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モーター スポーツ コラム 2024年5月2日

「たくさんの人が『生き残れ!』と声を届けてくれた」復活した“新ホピ子”が持つ意味

モータースポーツコラム by 吉田 知弘
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No.25 HOPPY Schatz GR Supra GT。

今年も岡山国際サーキットで開幕した2024年のSUPER GTシリーズ。全車ノーウェイト勝負となった開幕戦は、GT500クラスがNo.36 au TOM'S GR Supra(坪井翔/山下健太)、GT300クラスはNo.2 muta Racing GR86GT(堤優威/平良響)が優勝を飾った。

このほかにも、予想より結果が良かったチーム、思うような結果が出ず悔しい思いをしたチームなど、悲喜交々の開幕戦となったが、その中でSUPER GTの舞台に再び帰ってこられたことに心から喜びと新たな決意を抱くチームがいた。No.25 HOPPY Schatz GR Supra GTで戦うHoppy team TSUCHIYAだ。

ご存知の方も多いと思うが、昨年8月に行われた2023年第4戦富士大会で、トラブルによる出火でマシンが炎上。燃料ラインに引火したこともあり、大きな火災に見舞われた。このアクシデントで幸い怪我人は出なかったが、チームが作り上げてきた大事なマシンは全焼してしまった。

普通ならば、すぐに新しい車両を購入して準備が整いしたいレース復帰を果たすことができるが、昔からプライベーター魂を貫いてきたつちやエンジニアリングは、自分たちでマシンを製作していき、時間をかけて改良してきた。そのため、マシンを最初から作り直すとなると根幹部分はもちろん、各パーツをゼロから揃えることになり、製作期間もそれなりの期間を要するのに加え、それにかかる製作資金も集めなければいけない。

チームを率いる土屋武士は、これまで何度も大きな壁にぶち当たるも、不屈の精神と努力で乗り越えてきた。しかし、今回ばかりは“白旗”をあげざるを得なかったという。

「自分自身として正直あの8月6日から……『“どん底”ってこういう感じなんだな』というくらい目に映るものっていうのは暗く見えて、今思うと何をみていたのかも分からない状態。だから、どんな時間を過ごしていたのか……とにかく“どん底”でした」

「『これ以上、自分にはできない』『自分の力で続けるのは無理だ』と……白旗をあげて、諦めていたところもありました」

当時の取材でも「また戻ってきたい」と語っていたものの、現実的に自分たちだけで復活の道を探るのは不可能に限りなく近い状態だったという。

「『もう受け入れるしかないんだ』『自分たちはもうここに残ることはできないんだ』と思いました。それは今のレース界だけじゃなくて、社会の中でそういう方たちがいらっしゃると思います。色々な渦に飲み込まれてしまって浮上できなくなる。でも、それが現実な部分もあると思います」

そんな、どん底の日々過ごしていた時、周囲から自然と「25号車(愛称:ホピ子)の復活」を願う声が様々なところから上がった。

「たくさんの人が『生き残れ!』という声を届けてくださって……自分もその声を頼りに本当に這いつくばって、ここまで来ました。そうして、自分が暗闇のなかでどうしようもないと思っていたところを、皆さんが出口に導いてくれました」

こうして「ホピ子復活プロジェクト」が立ち上がり、ホームページで支援者を募ることとなった。プロジェクトが始まると予想を遥かに上回る支援が寄せられ、チームもマシンの制作に着手。さらに全焼だったマシンを細かく調べたところ、一番の根幹部分となるメインフレームにダメージがなかったため、マシンをゼロから作り直すのではなく、つちやエンジニアリングの想いが注ぎ込まれてきたホピ子を修復するという形で作業が進められることとなった。

こうして、2024年シーズンの開幕前にマシンが出来上がり、3月下旬の公式テスト富士で半年ぶりにファンの前でホピ子が走行した。

「たくさんの方が『おかえりなさい!』と言ってくれて、なかには『ありがとう!』と言ってくれる人もいました。みんなが、この道をつないでくれたと思います」

「このクルマにはみんなの想いが宿っていますし、本当にたくさんの人の想いを背負っている『自分がこのクルマをずっと走らせ続けないといけない』という……感情というよりはプレッシャーですね。責任の重さみたいないなものが一番強いです」

さらに、復活したホピ子は、新たな可能性を秘めていた。チームとしては開幕戦に何とか間に合わせたという状態で、細かなセットアップなどが出来ていない状態。土屋監督は「生まれたての赤ちゃんのような感じ」と表現していた。

そのため、4月の岡山大会は苦戦することは確実かと思われたが、19番グリッドから着実に順位を上げ、時にはライバルと接戦のバトルを展開。最終的にポイント圏内まで届かなかったものの、14位でフィニッシュした。

「まだ生まれたての赤ちゃんみたいな状況で岡山大会を迎えました。だけど、ドライバー2人(松井孝允と菅波冬悟)のコンビネーションが素晴らしくて、ものすごいスピードで進化していって、レースでもあらゆることをトライしました」

「(チームの)運営面とかで戦える準備がまだ出来ていなくて、今回もレースをちゃんと戦えるかどうか分からないという状況でした。でも、普通にレースが出来ちゃったし、走り出しから普通に走れた。このポテンシャルを感じてしまうとレースがしたくなりますね」

レース後、つちやエンジニアリングを訪れると「皆さんのお陰で、やめずに帰ってくることができました! 本当にこんなに早くこんなふうに戻ってこられるとは思わなかったです」と心から安堵した表情で答えた土屋監督。多くの人の想いに支えられて復活したホピ子は、今までとは別の意味を持つという。

「(昨年までのホピ子は)やっぱり親父と約束したというところがスタートであって、それは若い子たちを育てるという環境を整えること。それがメインテーマでした。でも、これ(生まれ変わったホピ子)は、もう自分たちだけのクルマではありません。本当に支援してくれた皆さんのクルマで、それを預かっているっていう感覚です」

「皆さんに繋げていただいたおかげで、今ここに自分たちが居られます。本当にその皆さんからいただいた……“ご縁”なのでしょうか。それも金額の大なり小なりではなくて、本当に想いの強さがここに募っています。それをメカニックやドライバー、スポンサーさん全員が感じてやってくれています」

「今は、自分の感情がどうと言うよりも、色々なものを背負っている責任が一番強い。『ここから逃げちゃいけない』という想いが一番強いです」

開幕戦で見せたポテンシャルを考えると、ここから先のパフォーマンスアップに大きな期待が持てるホピ子。今週行われる富士スピードウェイでの第2戦をはじめ、これからどんなドラマを我々にみせてくれるのか。ぜひご注目いただきたい。

文:吉田 知弘

吉田 知弘

吉田 知弘

幼少の頃から父親の影響でF1をはじめ国内外のモータースポーツに興味を持ち始め、その魅力を多くの人に伝えるべく、モータースポーツジャーナリストになることを決断。大学卒業後から執筆活動をスタートし、2011年からレース現場での取材を開始。現在ではスーパーGT、スーパーフォーミュラ、スーパー耐久、全日本F3選手権など国内レースを中心に年間20戦以上を現地取材。webメディアを中心にニュース記事やインタビュー記事、コラム等を掲載している。日本モータースポーツ記者会会員。石川県出身 1984年生まれ

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