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モーター スポーツ コラム 2023年4月30日

小林崇志選手(No.18 UPGARAGE NSX GT3)「突然歯車が噛み合って勝てた」 | 2023 SUPER GT 第1戦 岡山

SUPER GT あの瞬間 by 島村 元子
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18号車 UPGARAGE NSX GT3 小林崇志選手(上)/小出峻選手(下)

18号車 UPGARAGE NSX GT3 小林崇志選手(上)/小出峻選手(下)

レースウィークの出来事をドライバーに振り返ってもらう「SUPER GT あの瞬間」。20223年シーズンも引き続き、どんなドラマがあったのか、その心境などをコラムにしてお届けします!

大荒れの天候に翻弄された2023年シーズン開幕戦岡山。目まぐるしく変わる状況を味方につけ、GT300クラスで待望の優勝を果たしたのはNo.18 UPGARAGE NSX GT3だった。気がつけばクラストップに浮上し、そのままチェッカー! チームで6シーズン目を迎える小林崇志選手は、あの波乱続きのレースをどう戦ったのか。

──優勝から3日経ちました(※1)が、改めて今のお気持ちは?

小林崇志(以下、小林):僕自身5年ぶり(の優勝)ですし、チーム・アップガレージとしても5年ぶり、久々の優勝だったので、正直あんまり勝ち方っていうのも思い出せなくて(苦笑)。優勝ってどんな感じだったのかなって、勝った瞬間思っていて。こんな感じだったかなとちょっと懐かしいぐらいな感覚でした。2、3日経つとようやく実感が湧いてきたぐらいです。

レースはどういう状況か全部把握してたので、自分たちがトップに立った理由っていうのもわかってました。そういう意味で混乱というか、不思議な部分もなかったんですが、やっぱり突然勝てるときって本当にあって……例えばポール(ポジション)からスタートしても圧倒的に勝てることってあんまりないのに、ふとしたときにすべて歯車が噛み合って勝てるときっていうのが、僕の経験上多くて……。今回もそういう感じです。突然歯車が噛み合って勝てちゃった、みたいな。そんな感じですね。

過去の優勝振り返ってみても、直前にトラブルがあったり、いろんなことがあったけど、結果フタを開けてみたらレース中は(トラブルが)出なかった、みたいな。そういうラッキーも多々あったんです。

今回も予選が赤旗中断の影響で18番とかなり沈んでしまって、苦しいレースになるなという覚悟をしてたんですが、逆に18番手スタートだったからこそ、チームとしても早めのタイヤ交換の選択ができて、それが結果的に勝利に繋がったのかなと。あれが5番手スタートだったら、ちょっと様子を見ようっていう判断をして、勝てなかった可能性もあったかなと思います。そういう意味では本当に予選から全部……結果から見れば、良かったのかなという感じですね。
※1:4月19日に取材

──Q1・A組では赤旗が出ました。そこで(Q1敗退となる)悔しい9番手に。何があって9番手に留まったのでしょうか。

小林:まず今年、ヨコハマタイヤさんのウェットタイヤのパターンが変わり、新しいものをご用意していただいたのですが、これがどちらかというと雨が少ないコンディションで強さを発揮するのかな、という印象です。Q1・A組に関して言っても、天気予報ではそんなに雨が降らない予報だったので、そのパターンが(路面コンディションに)合うだろうと(思いました)。雨がちょっと多くなったんで、柔らかいコンパウンドを選んでいったんですけれど、実際は雨がかなり強く降ってしまった影響でハイドロ(プレーニング)も多少起きてしまってたので、なかなかタイヤを温めるのが難しい状況だったんです。そのなかで数周走って、そろそろタイヤが温ったまってきてタイムも上がってくるなっていうところでどんどんペースアップしていって……最終コーナーを立ち上がり、ホームストレートに来るタイミングでちょうど赤旗になってしまって、そのままセッション終了に。“タラレバ”ですけど、そのときホームストレートに戻るまでに赤旗が出なければ、おそらく2、3番手か最低でも4番手にはいたかなというぐらいのペースで走れてたので、すごい悔しい予選になりました。

──決勝は18番手スタート。ドライコンディションで小出峻選手を送り出しましたが、途中から雨に変わりました。ルーキードライバーの小出選手には具体的なアドバイスをしたのでしょうか?

小林:通常であれば、あまりルーキーにスタートドライバーを任せないんですが、天候の兼ね合いで後半の方が荒れそうだという予測だったので、小出選手にスタートを行ってもらったという状況です。チームとしては「(他車と)当たるな」、「しっかりピットに帰ってきてください」ということをお願いしました。レースも長いので、(小出には)「そんなに無理する必要はないよ」っていうのは常に言ってましたが、1回目の雨が降り出してきたとき……ウェット(タイヤに)替えたタイミングですが、あの辺は、やはりチームから「プッシュしろ」と指示は出してましたし、要所要所で彼にペースアップの指示も出していました。彼もそれにうまく応えてくれたので、すごいよかったなと思いますね。本当に落ち着いてミスもなくしっかりレースしてくれていたので、本当に良かったなと思いますね。もう大満足です。

──ルーティンのピットインが37周目終わりでした。周りのクルマより数周早めのタイミングだったように思いますが?

小林:そうですね、まず彼(小出)がウェットタイヤに替えて、SC(セーフティカー)が明けた瞬間に10位だったんですが、ピット(イン)の他車との兼ね合いもあって、そこから彼がペースよく走ってくれて4位まで上がってくれていました。もう表彰台まであと一歩というところだったんですが、あのタイミングで替えた(ピットインした)理由としては、路面をモニターで見ていて、うっすらと(走行)ラインができてきてることがまずわかってました。あと、ダンロップ(タイヤ)勢……96号車(K-tunes RC F GT3)とか、スバル(No.61 SUBARU BRZ R&D SPORT)とか、もう何台かドライ(タイヤ)に替えていた。あとはちょうど小出選手がウェット(タイヤ)で走ってたんですが、「もうタイヤがダメです」っていうような状況になってしまい……。「じゃあ、もう入れようか」という話になって、それで(ピットに)入れたっていう感じですね。

──小林選手に代わったあと、41周目でクラストップに立ちましたが、レース展開を見ていても、この状況をなかなか理解することができませんでした。

小林:まずトップに立った理由のひとつは、ピット作業がかなり早かったこと。1回目のウェット(タイヤ)に替えたタイミングで給油していたので、次の給油時間が短くできた。それでピット時間を短縮できたんです。当然、メカニックも素晴らしいピット作業してくれて、僕らをすばやくコースに送り出してくれたこともあります。そこでたぶん10秒ぐらいはタイムを稼いだんじゃないかなと思います。ピットアウトしたら、もうレコードラインが1本ぐらいはドライアップしていたので、なんとか頑張って走ってたんですが、ヨコハマタイヤさんもすごく温まりのいいタイヤを用意してくださって、もうすぐに全開走行に近い状況で走れたんです。

僕もいろいろ他車のタイムデータっていうのを見ていたんですが、我々の方がアウトラップから1周につき10秒ほど速いことが2周ぐらいあったので、ピット作業10秒とピットアウトしたあとのアウトラップで、2、30秒とか(タイムを稼ぐことができた)。65号車(LEON PYRAMID AMG)に対しては、確かピットインする前に27秒ぐらい差があったのですが、そのあと逆に20秒ほど差をつけることができたので、たぶんトータルで50秒ぐらい稼げた計算になります。チームのピット作業であったり、タイヤの温まりの良さでタイムを稼げたかなと。ちょうど(40周に向けて)65号車がピットアウトしたタイミングで僕がホームストレート通過したのですが、彼らが2コーナーを走ってるときにうまくオーバーテイクをしたという感じです。

──絵に書いたような理想的な戦略で、うまく事が進んだというわけですね。

小林:ほんと、なかなかこんなに作戦がうまくいくことはないんですけど、18番手スタートだったからこそ、早めに“博打(ばくち)”……博打というほどでもないんですけど、早めの決断はできたかなと思いま。あと、去年の(第6戦)SUGOのレースで僕も雨からドライに変わる経験をしてまして……。後半、ちょうど僕がウェットでスティント走ってたときに、徐々に路面が乾いてきて自分の判断で早めにドライに替えたっていうことがあったんです。そのときも、かなりライバルに対してタイム的に稼げたっていうのがありました。そういう経験もあったので、(今回)ちょっと早めにタイヤを替えても、(18号車のパッケージである)NSXとヨコハマタイヤなら、おそらくライバルを出し抜けるんじゃないかなと。そういう自信があったので、うまく決断できたかなと思いますね。

──経験値を元に確実にトップの座に落ち着いたわけですが、トップに立ってからは、小林選手の頭の中を占めていたのは何でしょうか?

小林:また雨が降ることは情報として知っていたので(苦笑)、なので本当に雨が降るまでの間にどこまでギャップを開けるか、また雨が降った場合、どこでタイヤを替えるかっていうのを常に考えながら走っていました。単純にFCYが出る直前までに20秒くらいうしろとのギャップを作ることができていたんですが、まったく安心できる状況ではなかったので、結構集中して走っていたかな。この時点で勝てると思ってなかったので、優勝というのはまだ考えてなかったですね。もう安心というか、勝てる気になったのは最後の赤旗が出て、「終わったよ」って言われた瞬間まで勝てると思ってなかったんです。本当最後まで集中して走ってましたし、正直、僕がトップ立ってもそこからまだ30周ぐらいあったので。柔らかいタイヤを着けてたから、(コンディションが)ドライのままだったら逆にタイヤも摩耗して、もしかしたら逆転されてたかもしれない。

逆に、強い雨で再開したらブリヂストン勢が……ちょっと雨が多いときは彼らがすごく強いので、そういう状況で再開すればきっと抜かれるだろうなと思っていたので、結構ネガティブ要素しかなかったというか、まったく安心できる状況ではなかったですね。正直、あんまり再開してほしくはなかったですね(苦笑)。お客さんは、レースが再開して最後チェッカーを受けるところを見に来てると思うので、レースが再開されれば一番良かったんですけど、チームのことだけ考えると、あのままSC(セーフティカーラン)で赤(旗提示)で終わったので、僕らとしてはラッキーだったかなと。最後、再開されてたら(後続車に)抜かれた可能性も十分あったと思います。

──勝負の世界では、“運も実力のうち”と言いますが、チーム戦略をうまく活かした勝利でした。また今回は、自身SUPER GT参戦100戦目での優勝。素晴らしい展開になりましたね。

小林:本当そうですね。もう10何年前なんで知らない方も多いかもしれないですけど、最初にSUPER GT参戦(※2)させていただいたときに予選でポール(ポジション)を獲って……。それが記念すべき第1戦だったんですけど、そこから100戦、13年ぐらいの時間がかかり、13年目で100戦目を迎え、そのレースで優勝ができたのは、本当にラッキーというか、できすぎかなと思いますね。それを実現してくれたチームには本当に感謝してますね。もうそれだけです。
※2:2010年、第6戦「Pokka GT SUMMER SPECIAL」でSUPER GTにデビュー。No.8 ARTA HSV-010の第3ドライバーとしてスポット参戦し、公式予選のセッション2(現在の予選Q2)を任され、ポールポジションタイムをマークする。GT500クラス・デビュー戦でのポールは、JGTC(全日本GT選手権)/SUPER GTを通して史上初の快挙となった。

18号車 UPGARAGE NSX GT3

18号車 UPGARAGE NSX GT3

──2018年、TEAM UPGARAGEに移籍後、ようやくNSX GT3での勝利が叶いました、自身100戦目の優勝とチームの勝利で“うれしさ倍増”だと思います。

小林:はい。チームと一緒に勝てたっていうところが本当にうれしいし、NSX(GT3)になってからも初優勝ですしね。19年からNSXを使っていますが、当時はARTAとドラゴコルセの3台が走ってまして、その中でも我々は3番手ぐらいになってしまい、なかなか優勝に絡む……実力で優勝に絡むっていうのがすごく難しかったんです。そうこうしてるうちにARTAは(GT300クラス)チャンピオンにもなり……と、同じクルマ使ってるんですが、すごい悔しい日々を過ごしてたので、そこはもうチームも一緒(の思い)かなと。石田(誠)監督も同じ気持ちで戦ってたと思うので、今年の開幕戦でようやくNSXで優勝できたのは、チームも石田監督も、当然僕もそうですがすごくうれしい出来事です。本当最高です。開幕戦での優勝ってなかなかないことだと思うので、この勢いをキープして、(シリーズ)チャンピオンを獲りたいというのがみんなの願いですし、僕も願っているので、それができるように努力していくしかないですね。

──一方でコンビを組むルーキーの小出峻選手は、デビューウィンになりました。“持ってるふたり”、と言えるのではないですか?

小林:彼もラッキーというか、(運を)“持ってる”というか(笑)。いい仕事もしてくれました。チームの力なくしてやっぱり勝てないですし、彼の力がなくても今回は勝てなかったと僕も思ってるので、彼にとってもすごいいいレースでした。アップガレージでは、去年からホンダの育成の一端担うことになって、彼もホンダの若手育成選手なんです。去年は太田格之進選手と一緒に戦ってたんですけど、今年は小出選手と共に戦うなかで初優勝……デビューレースで初優勝を飾れたことは、彼のキャリアにとっても自信を持ったり、勢いづくきっかけになると思いますね。SUPER GTだけでなく(今シーズン参戦する)全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権に出るんですが、そっちも頑張ってもらって、あわよくばライツとGTの両方でチャンピオンを獲ってくれたら一番いいかなと思います。

──先輩というよりも、なんだか“お兄さん”のようです。

小林:僕が(過去に先輩から)していただいたことをそのまま次の世代返しているだけです。僕もARTAでCR-Z(GT)に乗ってるとき(※3)に、高木(真一)選手にいろいろお世話していただいて、いろいろ教えていただきました。結局4年一緒に組んでたんですが、本当にいろいろ教えていただいたことで僕自身成長できたことがたくさんあって、ホンダの育成関わることなった以上、そこは次の世代に伝えてかないといけないなと思いますし、今年一緒に小出選手と戦いますが、今年一年で学んだことを、また彼がベテランになったときに次の世代に伝えていってくれたらそれがいいのかなって思います。
※3:ARTAには2010年のスポット参戦後、2017年まで在籍。2013年から3シーズンはGT300クラスでNo.55 ARTA CR-Z GTをドライブした。2016年は車両をBMW M6 GT3にスイッチした。

──第2戦は早速60kgのサクセスウェイトを積んで、距離も450kmという長丁場になるのですが、意気込みを聞かせてください。

小林:(サクセスウェイトの)60kg積みますが、去年も開幕戦が2位で(第2戦富士では)45kgを積みました。その時は(事前に)ウェイト積んだ状態でのセットアップはまったくやってなかったので、第2戦、第3戦ともう“けちょんけちょん”で、全然ダメなレースだったんです。でも実は今年、“開幕戦は優勝する”って計画を立てていたので、富士の(公式)テストでは60kgのウェイトを積んだ状態で走っていて。あいにく雨のコンディションでしたが、そういうなかでウェイトを積んで、いろいろスピードも出せていました。優勝は厳しいと思いますが、しっかり着実にポイント獲れるレースがしたいなと思っています。それができるように、またこれから集中して準備していきたいですね。

──では最後、この企画恒例の「24時間以内のちょっとした幸せ」を教えてください!

小林:ちょうど昨日の夜、YouTubeの配信をしてたんです。コロナになってからファンの皆さんと触れ合う機会っていうのが一切なくなってしまったので、なんかしなきゃいけないと思い、YouTube配信を僕のフィジカルトレーナーと一緒に始めたんですが、コロナもだいぶ落ち着いたので、去年ぐらいからだいぶサボり始めてたんです。でも、昨日久々に配信をしたんです。優勝したときにシャンパンファイトをするんですが、僕は広島に住んでるから、岡山にはクルマで行ってたんですよ。なので、(表彰台で)シャンパンを飲めなかったんですね。それがちょっと悲しいなというので、昨日(4月18日)、配信中に小っちゃいシャンパン……モエ・エ・シャンドンを買ってきて、それを開けてトレーナーと一緒に飲んだことがちょっとした幸せでした。

■番外編

小林崇志、お好み焼きについてひと言。“広島焼き”は存在しない!

──ところで、小林選手が広島出身、小出選手は大阪出身なので、“西日本出身ドライバー”のコンビですね。

小林:あのぉ……広島と大阪はちょっとライバル関係じゃないかなと、僕は勝手に思ってて。やはり“お好み焼き”があるじゃないですか。広島のお好み焼きこそ僕はお好み焼きだと思っていて、 関西風のお好み焼きも美味しいんですけど、広島のお好み焼きの方がうまいだろうと思ってるんです。それに、広島は“カープ野球”で盛り上がりますが、彼は大阪なんで阪神ですよね。だから、やっぱりライバルなんです。だから、ちょっとあんまり仲良くはできないです。僕個人としてはね(笑)。

──ドライバーとしては先輩後輩で仲良く1台のクルマをシェアしなければいけませんが、レースを離れたら“ライバル”だと?

小林:そうですよ、もう、ほんと目も合わさないんで(笑)。あの、これ伝えてほしいんですが、“広島焼き”っていうのは、もうこの世に存在しないものなんですよ。あるのは“お好み焼き”だけなんです。お祭りの屋台でもそうですが、それは違います! これだけ伝えてほしいですね。まず、関西のお好み焼きとは“立ち位置”が違うんです。広島には白米と一緒にお好み焼きを食べる店がないと思います。というのも、広島のお好み焼きってすごいボリュームがあって、その上にご飯、って。もうお腹いっぱいになりすぎて食えないですよ。つまり、完全な“主食”なんです。作るのもちょっと難しくて、広島では家で作る人いないです。関西では、たぶん皆さん自分で作られたりすると思うんです。でも広島のはね、結構高度な技術がいると言いますか、家じゃとてもできないんですね。ひっくり返したりするのも、もうバラバラなっちゃうんで。そういう意味で立ち位置がちょっと違うなって常々思ってるんです。なんで、名前を一緒にしたんだろうなって。お互い迷惑じゃないかなって思いますね。僕、個人的な希望で言えば、お好み焼き……広島のはお好み焼きにしてもらって、関西のは“関西焼き”にしてもらったらいいかなぁ、みたいな。あっ、今これ結構大阪の人にケンカ売っちゃったかもしれないですね(笑)。

いつかね、サーキットでイベントをしてほしいです。パドック裏とかグランドスタンド裏にちょっと広島のお好み焼きと関西のお好み焼きの店を隣り合わせに出して、どっちが売り上げ多いかみたいな。(広島と岡山の中間点にあたる岡山戦でやるのは?)やってほしいですよね。僕、絶対負けたくないから100食ぐらい買いに行くんで。もうポケットマネーで買いまくります! 買って、お客さん配っちゃうかもしれない(笑)。

もう、お好み焼きへの愛情が止まらなくなってきた小林選手。最後は、若かりし頃、鈴鹿で住んでいたときには自ら作っていたという思い出話を。

小林:昔、鈴鹿に住んでたんですけど、広島のお好み焼きを作ってる場所が一切なかったんです。でも食べたいじゃないですか。だから、ネットで作り方を調べまくって自分で作ってました。大体、キャベツを4分の1玉使うんです。さらに中華麺を1玉。当時はお金がなかったんですが、当時、中華麺が5個入り250円、キャベツが1玉100円ちょっとぐらいでした。それに卵1個なんてたかが知れてるんで、一食が100円ぐらいで作れたのかな。100円ちょっとぐらいで作れたし、お金もなかったんで、もう毎日毎日ひたすら作って食ってたんです。そうすると、やっぱりだんだんうまくなってきて、上手に作れるようになって……。なんか千切りにするキャベツの厚みをいろいろ調整していたら、味が変わるな、とか。薄く引く生地の分量もいろいろ研究し出して、結構面白かった思い出ありますね。もうひたすら作ってました。でももう今は作れませんけど(笑)。

文:島村元子

島村元子

島村 元子

日本モータースポーツ記者会所属、大阪府出身。モータースポーツとの出会いはオートバイレース。大学在籍中に自動車関係の広告代理店でアルバイトを始め、サンデーレースを取材したのが原点となり次第に活動の場を広げる。現在はSUPER GT、スーパーフォーミュラを中心に、ル・マン24時間レースでも現地取材を行う。

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