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モーター スポーツ コラム 2021年7月31日

SUPER GT 第4戦:阪口良平(No. 2 muta Racing Lotus MC)「第3戦までは『おめでとう』と言ってもらえるので、うれしい」

SUPER GT あの瞬間 by 島村 元子
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2号車 muta Racing Lotus MC

第4戦を制した 2号車 muta Racing Lotus MC

「SUPER GT あの瞬間」と題して、レース内容をドライバー自身に振り返ってもらう本企画。一部映像化し本コラムの最終ページで視聴可能である一方、本コラムでは余すことなく全文を紹介する。

厳しい暑さの中で繰り広げられた第4戦もてぎ大会。レース中盤を過ぎて2度のFCY(フルコースイエロー)が導入され、トップ争いにドラマが生まれた。結果、巧みなチーム戦略を完遂させたNo. 2 muta Racing Lotus MCが優勝。自身、46歳にしてSUPER GT初勝利を手にした阪口良平選手が「あの瞬間」を語る。

初優勝の阪口選手

初優勝の阪口選手

──初優勝、おめでとうございます
阪口:SUPER GT参戦は2006年からだと思うんですけど、15年目にして勝ちました(苦笑)。長かったかなぁ〜(笑)。諦めが悪いというか、やっと結果が出ました。まぁこれで満足しているわけじゃないんですけど、とにかく優勝というのは自分の中で大きいですね。

──トップチェッカーもご自身が受けました。ウィニングランのときはどんな感じでしたか?
阪口:これだけ長くレースをやっているのでグッとくるようなことはないんですけど、残りだいたい7、8周くらいで(後方を)抑えたら勝てるという気持ちは持っていたので、『やっと勝ったな』という気持ちでウィニングランをしてました。ちょうどGT500(クラス優勝の)山本(尚貴)選手も(ウィニングランをしていて)、バックストレートで抜かれたのかな? で、GT500とGT300の1位が一緒(にいる状況)だったので、GT500のスピードに合わせたというか……。そんな感じで自分も余韻に一瞬浸ったんですけど、GT500(の山本)もうれしそうだったので、『500もおめでとう!』っていう気持ちで走っていましたね。

──ひと晩明け、身の回りに何か変化はありましたか?
阪口:SNSとかLINEのコメント数とかお祝いのメッセージがもう……。自分が想像している以上に頂いて、『すごく感動した』『涙が出た』『パワーをもらった』とか。僕のことを長く見ていただいている方がいるので、その方たちはようやく(勝てたん)だなという気持ちがあったんだと思います。うれしいことなんですけど、朝起きると(メッセージへの)返信にちょっと追われていたなと(苦笑)。ちなみに(決勝当日レースを終えて)新大阪に着いたら(阪口)晴南が1時間先に着いてて……(※1)。『空港(リムジンバス乗り場)の1Fで待ってて』と晴南を待たせてました。優勝すると(記者会見等で)いろいろ忙しいんで(笑)。というか、最後、チーム(スタッフ)とも話をしたいので、そういう時間を取ってると結構遅くなったんです。晴南は逆に1時間早い電車に乗ってたってことですね。で、『ちょっと悪いけど待っといて』と。普段は(晴南に)送らされたりして逆の立場なんですけど、(今回の)帰りは助かりました。(互いの住まいが)近所だし、僕もさんざん色々やってきたので、『そのくらいはしろよ』という感じですけどね(笑)。(晴南は)僕が運転したらすぐ横で寝てるんです。晴南のお父さんもそうなんですけど、すぐ寝るんですよね。レースではいつか(晴南と)一緒にどっかで勝てるときもあるのかなと思ってたんですけど、(自身の優勝に時間が)ちょっとかかってしまいましたね。(帰路につく車内では)『よく(バトルに)耐えたね』と言われました(苦笑)。うしろから11号車の平中(克幸)選手がすごく追い上げて来てたので……。晴南自身、ファーストスティント(担当)だったので多分モニターを見てたと思うんです。(コースでの良平選手のレース展開を)僕より知ってるって感じでしたね。

※1:阪口晴南選手は良平選手の弟の子、つまり甥にあたる。サーキットへはともに移動することも少なくないとのこと。なお、今シーズンの晴南選手はGT300へ年間エントリーをしているが、開幕戦からGT500クラス・No.37 KeePer TOM’S GR Supraでサッシャ・フェネストラズ選手の代役として出場している。

──一方、予選はQ1B組で敗退。僅か0.049秒差でQ2進出を逃し、17番手に留まりました。
阪口:今回、僕がセットアップを担当したんですが、フリープラクティス(公式練習)ではそこそこ調子良くて。Q1も担当だったので、ちょっとアレンジしたというか、簡単に言うとストレートスピードがちょっと伸びないセットアップになっちゃって、逆効果の部分があって……。例えば、3コーナーまでと5コーナーまでの辺りは5速でリミッタが当たるので6速にしようかなと。予選だと6速で行ってしまうと思ってたんですが、それが5速のリミッターが入るか入らないかくらいになってしまったんで。ブレーキのフィーリングはABSユニットの仕様変更ですごく良くなったんですが、縦のスピードが伸びなくなって。そこでプラス・マイナスでいくとちょっとバックストレート辺りでマイナスになってて(タイムを稼ぐことができない状態)……。Q1で終わると(レース戦略も)やりようがないですからね。(予選が)17番手だったんで、もてぎは抜けないし、厳しいんじゃないかなと思っていました。

──厳しい結果を受け、”百戦錬磨”のチーム、ドライバーふたりはどう戦略を練ったのでしょうか?
阪口:大きく2種類に分かれてまして。(ルーティンのピットインを)ミニマム(最低周回数)で入るか、引っ張るか(タイミングを他車よりも遅らせる)だったんですが、加藤選手が1台ずつ抜いてこられて前がクリアになったときに、結構セクターでグリーンが点き出したんです(※2)。(他車の)皆さんは、どっちかというとタイムがもう厳しい状況だったんですけど、(逆に2号車は)底力があるということがわかっていました。ガソリンが軽くなってくるとうちのクルマは速いみたいで。おそらくなんですが、(2号車は)SUPER GTの中ではパワー系でいうと一番厳しいBoP(バランス・オブ・パフォーマンス:GTAが定める性能調整)のルール(が適応されている)なので、(車重が)重たい。またロータスはミッドシップウェイトで10kgプラスになっているので、すごくツラくて。それが(コース上で)前がクリアになったときにだいぶんいいペースだったので、(結果的に)加藤さんの仕事量は増えてしまったんですが、(ピットインのタイミングを)引っ張ってもらおうと。僕は(ドライバー交代の準備で)もう19周目辺りからヘルメットを被ってたんで(交代までの時間が)長かったです(苦笑)。無線も聞こえてなかった。いつもなら(ドライバー交代まで時間的に余裕があるときは)無線してるじゃないですか。でもヘルメットを被ってたんで、(チームピットにいる)みんなのザワザワ感で僕も動き出したみたいな感じでした。(FCY導入直前のピットインだったため、結果的にトップに立ったことを実感するまで)その辺ちょっとタイムラグはあったんですが、実際はそういう感じでした。

※2:計時モニターは、コースの区間タイムでチーム最速タイムをマークすると緑色、クラス最速タイムの場合は赤色で表示される。

──直近の予定は実際より2、3周後のピットインだったそうですね。
阪口:19周目くらいからヘルメットを被っていて、自分がリアルな無線を聞いていなかったんですが、加藤さんが(ピットに)帰ってきて。ほんとはあと2周ほど引っ張る予定だったんですけど、『ピットに入ってくる』と言われて。タイヤ交換をしないということだったので、給油の時間以内でドライバー交代を終わらさないとすごくロスになってしまう。だから(クルマの中で)ドライバー交代、ドライバー交代! ってやってて、パッと(車内の)右のモニターを見たら、”FCY”って書いてたんですよね。書いてたっていうか出ちゃってたので、『これはもしかして…』と。『これは(勝つチャンスが)来たな』と。で、ピットアウトするときの(時速)50キロからの速度規制解除したら、ちょうどGT500とGT500の間に入っていった形なんですけど、うれしさと重圧感を感じながら、(時速)80キロで走ってました(笑)。

FCYの舞台裏

FCYの舞台裏

──絶妙なタイミングとは別に、早くからタイヤ無交換は決まっていたのですか?
阪口:ドライバー的にはタイヤを変えてもらいたいというか(苦笑)。自分のスティントを自分の(新しい)タイヤで走るという方が流れ(タイヤの状況)もわかりますし。タイヤをどういう風に使ってきたかは自分が一番わかるので。(ピット作業前に)『どう、タイヤ? 換える?どうする?』(とスタッフに聞かれ)、『換えるって言われたら換える』としか言えなくて(苦笑)。でも加藤さんのセクタータイムでグリーンが点いてたりしてたんで、これは換えないほうが絶対メリットがあると思いました。チームにはドライバー登録している小高一斗もいるんですが、彼もずっと無線を聞いて僕に色々教えてくれてて……。で、一斗も『(タイヤを)換えたほうがいいですよ』から『換えないほうがいいですよ』と。本当に(タイヤ交換が)決まったのって(ピットインまで)ラスト何周だろ? 多分3、4周くらいのときじゃないですかね。それまではどっち? どっち?っていう話は聞いてたんですが、3、4周前に無交換って(チーム)から言われました。コース上では加藤選手がまずクルマの状況を伝えて、入るタイミングはホントにシャッターが閉まりかかるところに飛び込んでいったような感じだと思うし、それもその位置にいたので(作戦が成功した)……。もうちょっと手前(を走っていたら)ピットも入れなかったわけなので。その辺もすべてが噛み合っていたのかなという感じがしますね。もう同じことはできないんじゃないですかね。すごいタイミングでした。

※3:レース41周目、走行中に煙が上がったGT300・35号車が130Rで停車、これを受けてFCYが導入される。2号車は35号車のアクシデントを見て、ピットインを決断。FCYによるピットレーンクローズ直前にピットへの帰還を果たし、タイヤ無交換でコース復帰を成功させた。

レースの神様が2号車に微笑んだ

レースの神様が2号車に微笑んだ

──コースに出たらトップを守るという重圧もあったと思います。事実、後方からの2台が猛追。三つ巴の戦いになりました。
阪口:2番手、3番手のクルマ(11号車、52号車)はタイヤを換えてるし、ほかでも2本交換、ほとんどが4本交換していることは知ってました。一番の問題はピットアウトしたときにFCYになって走行していること。そのときは(時速)80キロなので基本的にブレーキを踏まないんですね。当然、(時速)80キロで走りたいんですけど、ヘアピンカーブなんて逆にギリギリ1速でブレーキ踏まなくて、フロント荷重が乗らないままターンインするので、結構スリリングだったんです。そんな感じで走っていると、僕らのクルマはミッドシップっていうのもあるし、今のパッケージングでいくと(タイヤに)ピックアップがフロントに付いちゃったんです。で、振動が出てきて。去年のMC86では別のところでピックアップが付いちゃったことがレース中にあったんですが、ロータルに関してはあんまりなかったんです。ブレーキもすごく安定してますし、トラクションも安定してるんで、走行中は(ピックアップが)全然なかったんです。(時速)80キロでノーブレーキで走っているときのFCY明けで加速したときに、ステアリングからもう振動が出てたので、まずこれ(ピックアップ)が取れないとマズい、と。後ろのクルマとの距離感よりも、自分のペースがまずわからなくなってしまうんで。

(実際は)3、4周したらピタッとは取れなかったんですけど、ほぼ(ピックアップが)薄れてきた感じで走れました。最初はステアリングから身体にくるくらいまで振動が出てたんで、そのときが一番マズいと思いましたね。1回くらい無線で「ヤバい」って言ったんですけど、言っても仕方ないんで。『で、だから?ガンバって!』としか言われないと思うんで……(苦笑)。まぁしっかりブレーキを踏めば、そういうところは改善というかピックアップも取れるという確信もあったので、自信もってブレーキは踏みましたね。ロータスはまずトラクションがいいのと、あとブレーキの開発がすごく進んできて、結構踏力をドカンとフロント荷重に乗せることができます。そういうときにピックアップも取れやすいのかな。決勝での強みがあるのかなという感じがします。ブレーキをドーンと踏んで、フロントにしっかりタイヤの”顔”(表面)がいい状態になる、何も(ピックアップが)付いてない状態でしっかり踏力を上げられることが一番だと思うんですが、色んなABS(アンチロック・ブレーキシステム)ユニットの開発とかやってもらっているので。どんどん進化しているって感じですかね。

──改めて、ロータスエボーラMCはどういうクルマなのでしょう?
阪口:まず、自分も東京オートサロンで発表していたときのエボーラを見てスゴいな、と。ミッドシップになって、マフラーの位置もすごいし、ディフューザーもスゴいし。車体もドライカーボンだらけなので、ほんとカッコいいなと思いました。まさか(SUPER GTで)自分がドライブするとは思わなかったですが。去年、MC86をドライブして、(今シーズン)ロータスに乗ったときにリアのトラクションというか安定度はだいぶ違うように感じました。ミッドシップなんですが、個人的にはポルシェの感覚もあって。しっかり蹴り出すと。車内は狭くて僕と加藤さんの身長差が結構あるんですが、同じシート位置で走っているんです。シートが動かないんです。僕、(クルマに乗るときは)”やどかりチック”に入っていくんですね(笑)。でも、乗ってると音もすごいし。MC86はマフラーが足元のあたりにあるんですが、(ロータスは)そういう細かなところのケアというか、ひと言でいうとすごく楽ちんというか、音とか振動とか。メンテナンスをやられているインギングさん、クインゲルトさんがすごく色んなことを毎回やってくれるんですが、(車内が)涼しいとか。エンジンも後ろなんで。その辺はドライバーとしてすごくラクですね。

2号車 muta Racing Lotus MC

2号車 muta Racing Lotus MC

──ラクなクルマということは、ベテランでもある両選手にとって「やさしいクルマ」でもあるのですね!?
阪口:そうですね。お祝い(メッセージ)の中で、『(加藤選手と)歳を合わせて99歳!』とか色々言われてたんで。若い子でも(暑さ等、タフなレース展開になれば体力が)持たない子は持たないと思うんですけど、僕は熱中症になって倒れたこともないし、ラクというのは集中できる時間が長いことにもつながるので、その点は本当に助かっています。ただロータスのデメリットじゃなくて”ミッドシップあるある”なんですが、吸気温度が高いんです。前にエンジンやリストリクターがあるわけではなくて後ろにあるので、ちょっと夏場になると温かい空気を吸って走ることになる。そこでまぁちょっとしたストレートの差とかパワーの差とか出るのかなという感じはします。

──5月開催だった鈴鹿が8月開催に。63kgのサクセスウェイトを搭載する戦いはタフになりそうですか?
阪口:はい。ただ、去年ライバルとして2号車の走りを見ていたんですが、(8月中に開催された富士(第2戦)が1位、鈴鹿(第3戦)が3位だったんですよね。鈴鹿は色んなところで接触とかもあって(ポジションが)上がってきたのを見ていたんですが……。(次戦鈴鹿は)厳しいんですが、ウェイトはほんとにうれしい悩みじゃないですか。ウェイトがなかったらポイントがないわけで。その中で勝負するというか、僕たちのチームは厳しいとは思いますが、それはもう向かっていくというか、他で補えるところをやっていくというか。あるものを最大限出すっていう、いつも自分たちが思っていることなんですが、それの繰り返しなんで。鈴鹿は楽しみです!

──鈴鹿は阪口選手のホームコースでもありますよね!?
阪口:8月の鈴鹿といえば、SUPER GTの前身で「(インターナショナル)Pokka1000km(耐久レース)」っていうのがあって。それで僕はRSっていうフォーミュラにボディを被せたクルマ(オスカーSK5.2)でGT300車両とずっと戦っていたんです。4年連続ずっと出ていて最後(2005年)に優勝できたんですけど、そのときはいつもGT300と当時の旬のマシンと戦ってたんですが、そのあと初めてGT出れたのもPokka1000kmから変わった2006年の鈴鹿のレース(※4)だったんです。なので僕の中では色んなことを経験させてもらったレースなので、8月の鈴鹿って聞いてるだけで暑いですが、ワクワクしちゃいますね、個人的には。あまり調子乗りすぎるとアレですが、まずロータスで鈴鹿を走るのが楽しみです。S字とか130R、デグナー…… 全部ですね。鈴鹿サーキットをGTのマシンで、しかもコーナリングマシンで走るのはほんとにワクワク、今からワクワクしてますね。

※4:2006年の第1戦は鈴鹿で開催

──同じ土俵で戦う甥っ子、晴南選手とのレースも楽しみですね
阪口:彼はSUPER GTにデビューして優勝していますからね。デビューウィン(※5)してますからねぇ。僕15年目なんで(笑)。『何の差なの!?』っていうくらいの差ですが、(初勝利を晴南が)すごく喜んでくれてたんで。諦めないでやってきた甲斐もありました。本来なら彼も96号車で同じクラスで戦っているんですが、(今シーズンは)500にピンチヒッターで走っていて、当然GT500なんで、コース上で抜かれるときに『頑張れ!、ミスするなよ!』と思いながらいつも抜かれてますね(笑)。去年だったかな? 去年の鈴鹿で第1スティントで僕が3番走ってて、(晴南のチームである)K−Tuneが2番走ってて。130Rで僕が前に出たんですが、そのとき(のK−Tune)は新田さんでしたが結構K−Tuneとガチバトルしたので、いつかは(晴南と)バトルするときもあるのかなと。いつかそういうときも来るのかなと思いますが、そのときまでにもっと(サクセス)ウェイトが乗っているようにしたいなと思いますけどね。

※5:阪口晴南選手は2019年にSUPER GT・GT300クラスにデビュー、ルーキーイヤーで2勝を上げている。

謙虚な気持ちを忘れない阪口選手

謙虚な気持ちを忘れない阪口選手

──試合巧者のドライバー2名での戦い、この先も期待しています。
阪口:加藤さんも歴史が長いので。昔はフォーミュラレースで戦って来られたので、モータースポーツを愛してられるし、ほんとに色んなところで個人的には話が合うんです。話すことがどんどん増えて。ちょっとオタクの世界です(笑)。何年のフォーミュラカーが……みたいな話もしてるんですが、尊敬できる先輩とこれからも一緒に戦っていきたいですね。この歳でも挑戦していければ、こういう結果もあるんだ、ということで。今回も、『すごくパワーをもらった』とか、そういうことを言っていただけることが多くて。それに個人的にはすごくびっくりしました。『ラスト何周かは泣けてきた』とか『苦しかったやろう』とか。色んなシチュエーションがそういう気持ちにさせたことはわかるんですが、僕も帰ってきてから、次の午前中にJ sportを見てて、『あ、そういうことか』と(理解できた)。僕への辛口のコメントを(TV解説の)光貞(秀俊)さんが結構言われてて。それは全然いいんですけど(笑)、『(1分)51秒で走ってて遅い』とかタイヤのこととかピックアップのこと、燃料積んでたりとかあるんですが……。でも最終的にはすごく褒めてもらえて。それに周りのひとたち、ファン、知り合いの人たちのコメントが熱いなぁ、と。

野球で言ったらピッチャーとか、音楽のバンドだったらボーカルとか、目立っちゃいますけど、チームの中で代表として走っているだけなんで。みんなの勝利、これが一番ですから。人がいればいるほど分かち合えるので、ほんとモータースポーツっていいなと思います。SUPER GTのすばらしいところなんですが、「ZF Award」(※6)っていうのがあって、ドライバーだけでなくメカニック、チームの賞をいただいていて。それもメカニックがすごく喜んでくれてたんで。あとの映像をみるとみんなはしゃいでくれていたので、1位で帰ってきてよかったな、と思いました。余韻は次のレースまで浸れると思うし。SUPER GTのラウンド3(鈴鹿戦)までは『おめでとう』と言ってもらえるので、うれしいなと思っています。

※6:レースウィーク中に秀でたパフォーマンスを披露したメカニックに与えられる「ZF Award」のこと。今回は、絶妙なピットインとタイヤ無交換によってクラストップ奪取を果たすことになった戦略、および後続の猛追を許さないクルマを準備した功績が称えられた。

文:島村元子

【SUPER GT あの瞬間】

第4戦:阪口良平選手(No.2 muta Racing Lotus MC)

島村元子

島村 元子

日本モータースポーツ記者会所属、大阪府出身。モータースポーツとの出会いはオートバイレース。大学在籍中に自動車関係の広告代理店でアルバイトを始め、サンデーレースを取材したのが原点となり次第に活動の場を広げる。現在はSUPER GT、スーパーフォーミュラを中心に、ル・マン24時間レースでも現地取材を行う。

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