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モーター スポーツ コラム 2020年6月12日

R34ラストイヤーでの大躍進、日産の底力をみた2003シーズン

モータースポーツコラム by 吉田 知弘
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新型コロナウイルスの影響で開幕が遅れることになった2020年のSUPER GT。J SPORTSではレース開催を心待ちにするファンのために少しでも興奮を味わってもらうべく過去のレース「リバイバル放送」を行っている。6月13日からは2003年以降のレースを振り返っていくのだが、この当時を語る上で欠かすことができないのが「日産 スカイラインGT-R(R34)」の躍進だ。

日本のモータースポーツ界で常に輝かしい成績を残してきたスカイラインGT-R。この車両の勇姿を見るためにサーキットに通ったというファンも少なくないだろう。特に多くのモータースポーツファンの記憶に残っているのといえば、グループA仕様の日産スカイラインGT-R(R32)の活躍だろう。デビュー戦から連戦連勝を重ねる活躍で、多くのファンを魅了した。

SUPER GTの前身にあたる全日本GT選手権にも発足初年度から参戦し、常にトップ争いを繰り広げてきたスカイラインGT-R。当時その最新モデルだったR34型もデビューした1999年にエリック・コマス(No.23 ペンズオイル・ニスモGT-R)がドライバーズチャンピオンに輝いた。

このままR34 GT-Rが勝利を重ねていくのかと思われたが……2000年代に入ると勢力図は変化した。トヨタ スープラ、ホンダNSXが戦闘力を上げ、チャンピオン争いを繰り広げた。徐々に勝ち星も少なくなっていった日産勢は2002年はまさかのシーズン0勝を経験。追い打ちをかけるかのように市販車のR34は排ガス規制をクリアできないため同年8月で生産終了が決定。陣営は逆境に追い詰められた。

スープラ、NSXの後塵を拝することが多く、厳しいシーズンとなった2002年。年間順位は22号車ザナヴィ ニスモ GT-Rの8位が日産陣営では最高位だった。

しかし、このまま簡単に引き下がらないのが日産陣営。2002年の敗北はR34 GT-Rラストイヤーとなる翌2003年へのプロローグだった。彼らはR34 GT-Rを頂点に輝くマシンにするべく、大改革を敢行。まずはスカイラインGT-Rの伝統でもあったRB26DETT型の使用を2002年途中に終了しVQ30DETT型に換装。マシンの低重心化を目指した。さらに大幅に変更された2003年の車両規定をもとに徹底的に車体面も見直しを図った。ベース車両は今までと同じR34GT-Rではあるものの、その外観は前年までのものとは大きく異なっていることは一目瞭然だった。

この大改革により、今まで他メーカーに遅れをとりがちだったコーナリング面が大幅に改善された。早速シーズンが始まると、圧巻のパフォーマンスを披露。本山哲/ミハエル・クルム組のNo.23ザナヴィ・ニスモGT-Rが開幕戦岡山でポールポジションを獲得すると、影山正美/リチャード・ライアン組のNo.22モチュールピットワークGT-Rが第2戦富士で勝利。ブノワ・トレルイエ/井出有治組のNo.12カルソニックスカイラインはシーズン2勝を挙げた。

なかでも優勝こそなかったが8戦中4度の表彰台獲得を果たす安定した強さをみせた本山/クルム組がドライバーズチャンピオンに輝き、チームタイトルもニスモが獲得。さらに本山はフォーミュラ・ニッポン(現スーパーフォーミュラ)と合わせて国内二冠の快挙を達成した。

2003年のドライバーズチャンピオンに輝いた本山哲(左)とミハエル・クルム(右)

現在はR35型GT-Rをベースにした車両がスーパーGTや国内外のGT3レース等で活躍しているが、当時は“スカイラインGT-R”という名前が日本の最高峰カテゴリーからいなくなるということは大きなニュースだった。 絶対に負けることができないラストイヤーで、きっちりと結果を残す……“有終の美”とはこのことを言うのかもしれない。 余談ではあるが、現在もGT500クラスに参戦する23号車のニスモは常に赤をベースにしたカラーリングでお馴染みとなっているが、以前はメインスポンサーをに合わせたカラーリングで参戦していた。実は「ニスモ=赤」が始まったのは2002年から。まさに、ちょうど“この頃”だったのだ。 2020年のSUPER GTは7月に開幕することが決まったが、それまではもう少し時間がある。ぜひ、この期間を利用して日産スカイラインGT-Rの活躍のみならず、当時のレースの興奮と感動を、お茶の間でお楽しみいただきたい。

文:吉田 知弘

吉田 知弘

吉田 知弘

幼少の頃から父親の影響でF1をはじめ国内外のモータースポーツに興味を持ち始め、その魅力を多くの人に伝えるべく、モータースポーツジャーナリストになることを決断。大学卒業後から執筆活動をスタートし、2011年からレース現場での取材を開始。現在ではスーパーGT、スーパーフォーミュラ、スーパー耐久、全日本F3選手権など国内レースを中心に年間20戦以上を現地取材。webメディアを中心にニュース記事やインタビュー記事、コラム等を掲載している。日本モータースポーツ記者会会員。石川県出身 1984年生まれ

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