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モーター スポーツ コラム 2020年4月17日

約20年前のGT500はこんな感じだった!

モータースポーツコラム by 吉田 知弘
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新型コロナウイルスの影響で開幕がずれ込む2020年のSUPER GTそんな中、JSPORTSではシーズン開幕を心待ちにするファンのために少しでも興奮を味わってもらうべく過去のレース「リバイバル放送」を4月18日から行っていく。まず、最初にスポットを当てるのが今季復活を果たすスープラだ。

SUPER GTの前身にあたる全日本GT選手権(JGTC)の時代からGT500クラスで活躍してきたスープラ。JGTC時代には3度(1997年、2001年、2002年)のシリーズチャンピオンを獲得。当時のチャンピオンマシンの1台であるNo.6 エッソウルトラフロースープラは今でも動態保存され、イベントなどでデモ走行を行う機会も少なくない。

2002年にシリーズチャンピオンを獲得したNo.6 エッソウルトラフロースープラ。ドライバーは脇阪寿一/飯田章のコンビ

当時のGT500クラスは、今のそれとは様相がかなり異なっていた。現在ではドイツツーリングカー選手権(DTM)との統一規則「Class1」が導入され、シャシーやエアロパーツ、サスペンションに至るまで厳しい制限が設けられ、メーカー独自で開発できるのはエンジンのみとなっている。

これに対し2001年~2002年当時のGT500レギュレーションは比較的自由度が高く、現在は統一されているエンジン形式(今季の規定では2リッター直列4気筒の直噴ターボ)についても制限がなく、ホンダNSX-GTはV6自然吸気エンジン、日産スカイラインGT-R(R34)は直列6気筒ツインターボエンジンを採用。排気量もメーカーによってバラバラだった。さらにシーズン中の車両改良についても細かな制限がなく、日産は2002年途中にV6エンジンに換装。各メーカーとも外観のエアロパーツを始め、シーズン途中に新型パーツを装着し戦闘力を上げていくことは日常茶飯事のことだった。

ザナヴィニスモ GT-Rは、本山哲/ミハエル・クルムのコンビで2003年にシリーズチャンピオンを獲得

現在と比べると公平性に欠けるように見えがちだが、逆に当時の方が“より市販車に近いGT500マシン”で争われるというイメージ。その特徴もあってか参戦車両も多岐にわたり、マクラーレンF1 GTRやランボルギーニ ディアブロなどもGT500クラスにエントリー。特にマクラーレンは予選でポールポジションを獲得するなど上位争いに絡む活躍を見せた。

また当時は多くのレジェンドたちが現役で活躍していた頃でもある。星野一義はNo.12 カルソニックスカイラインで本山哲と組み、熱い走りを披露した。現在ARTAのエグゼクティブアドバイザーを務める土屋圭市も当時は金石勝智とともにNo.8 ARTA NSXのステアリングを握り、2001年には第6戦鈴鹿で優勝しランキング2位を獲得した。

今とはすっかり雰囲気が違う2001年当時のJGTCだが、逆に今では恒例になっているものが当時スタートしたというものもいくつかある。例えばシーズンで一番の盛り上がりを見せるゴールデンウィークの第2戦富士だが、そのレース距離が500kmに初めて設定されたのは2001年からなのだ。また海外ラウンドが始まったのもこの頃。舞台は今年復活予定のセパン・インターナショナル・サーキットで2001年は特別戦として開催され、翌年からシリーズ戦のひとつとして行われるようになった。

2001年、初の500km開催となった第2戦。改修前の懐かしい姿の富士スピードウェイ。

そんな中で当時安定した強さをみせていたのがトヨタ・スープラ勢だった。2001年に脇阪寿一がホンダからトヨタに移籍。第2戦富士ではNo.38 auセルモスープラの立川祐路と激しいトップ争いを繰り広げ移籍後初の勝利を飾った。しかし最終的にチャンピオンを獲得したのは38号車だった。この年立川は竹内浩典とコンビを組み、優勝こそなかったが3度の表彰台を獲得し初タイトルを手にした。

最終戦までチャンピオン争いが繰り広げられた2001年。最終戦もてぎでは様々なトラブルに見舞われるも完走し、チャンピオンを獲得したNo.38 auセルモスープラ。

翌2002年も各レースで激しい戦いが繰り広げられ、最後は脇阪寿一/飯田章組のNo.6 エッソウルトラフロー スープラと松田次生/ラルフ・ファーマン組のNo.64 Mobil1 NSXとの一騎打ちとなったが、わずか1ポイント差で6号車の脇阪/飯田組が逃げ切りシリーズチャンピオンを手にした。

2002年のシリーズチャンピオンに輝いた脇阪/飯田組。(2002年最終戦鈴鹿)

この他にも、マシンカラーリングやレースシーンなどネタを挙げれば切りがないほど懐かしい話でいっぱいなのだが、そこは是非JSPORTSの放送で、20年前の世界にタイムスリップした気分でお楽しみいただきたい。

文:吉田 知弘

300クラスにも個性的なマシンが多く注目したい。写真は2001年第2戦 No.86プロジェクトμ・エスペリアトレノ(長島正興-松田晃司組)

吉田 知弘

吉田 知弘

幼少の頃から父親の影響でF1をはじめ国内外のモータースポーツに興味を持ち始め、その魅力を多くの人に伝えるべく、モータースポーツジャーナリストになることを決断。大学卒業後から執筆活動をスタートし、2011年からレース現場での取材を開始。現在ではスーパーGT、スーパーフォーミュラ、スーパー耐久、全日本F3選手権など国内レースを中心に年間20戦以上を現地取材。webメディアを中心にニュース記事やインタビュー記事、コラム等を掲載している。日本モータースポーツ記者会会員。石川県出身 1984年生まれ

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