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このブログについて

2000年の番組開始から15年以上に渡り、良質かつ多彩な企画で人気を博してきた、J SPORTSオリジナルサッカー番組「Foot!」。
2011年8月から、週5日放送のデイリーサッカーニュースとしてリニューアルし、世界のサッカー情報を余す ことなく紹介する。

Ben’s Foot! notes 2017年05月09日

Week 38 - Arseover

foot!
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Week 38 - Arseover


(1)「Arseover」、「St. Woolwich Day」
0004_英国4カ国 守護聖人の記念日.jpg
「St. Totteringham's Day」
●毎年、アーセナルが必ずスパーズよりも高い順位で終わることが決定した日は、アーセナルファンが「St. Totteringham's Day」を祝ってきたが、この結果により22年ぶりにスパーズが上の順位で終わることが決定し、今年は「St. Totteringham's Day」が無い。
●因みに、そのネタが始まったのは2002年。「ArseWeb.com」というファンサイトから、まずはアーセナルファンの中で広まった。
●そして、2010年には初めてマスコミにも取り上げられ、ノース・ロンドン以外でも良く知られるようになった。
●キリスト教圏では聖人や守護聖人の記念日がたくさんある。英国4ヶ国とアイルランドにもそれぞれの守護聖人とその記念日がある。
(3月1日がSt. David's Day(ウェールズ)、3月17日がSt. Patrick's Day(アイルランド)、4月23日がSt. George's Day(イングランド)、11月30日がSt. Andrew's Day(スコットランド)。)
●だから、非常に馴染みのあるネーミングであり、アーセナルファンが適当にトッテナムに近い名前を作ってネタにした。
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「Arseover」 2015/16『Foot! TUESDAY』、#40の前半レポートより
●逆のケースはスパーズファンが「Arseover」と呼ぶ。
●これは実は、かなり賢いネーミングである!様々な意味がある。

1.響きは「Passover」に近い。これはユダヤ教では「過ぎ越しの祭」という意味。
昔からスパーズファンにユダヤ系の人が多い。
2.「over」は「終了」という意味を持つ。つまり、「アーセナルは終わっている」という意味になる。
3.「over」は「超える」という意味を持つ。
つまり、「スパーズはアーセナルを超えた」という意味になる。
4.英国のスラングに「arse over tit」という表現がある。「真っ逆さまに転がる」という意味である。
直訳すれば「ケツがおっぱいの上になる」。

もう1つの言い方、「St. Woolwich Day」
●そして「St. Woolwich Day」という呼び方もある。
●Woolwichとはサウスイースト・ロンドン(南東部)にある地名であり、アーセナルが元々1886年12月に創設された場所である。
●ノース・ロンドンに引っ越したのはその27年後、1913年のことだった。
●だから、スパーズファンにとってはスパーズだけがノース・ロンドンのクラブであり、アーセナルは後から引っ越した南東部のクラブだという拘り(ネタ)がある。
●因みに、Woolwichには英国王立工廠(こうしょう=軍隊直属の軍需工場)があった。そこで働いた労働者がクラブを創設した。
●最初は、その工廠の中にあった広場の名前、「Dial Square」をクラブの名前にしたが、わずか一ヶ月後には英国王立工廠の英名、「Royal Arsenal」へと改名した。
●その後、クラブが有限責任会社になった1893年にはまた「Woolwich Arsenal」へと改名した。
●ノース・ロンドンに引っ越したとき、最初はWoolwichという地名を残したが、1914年には「The Arsenal」へ、1915年には「Arsenal」と改名した。
●尚、「St. Woolwich Day」のコンテクストとは他にも、スパーズファンはネタとしてアーセナルのことを今も「Woolwich」と呼ぶことがある。

(2)1994/95のスパーズ:めっちゃくちゃのシーズン、経営編
●最後にスパーズがアーセナルよりも上の順位で終了したのは22年前、1994/95シーズン。
●そのとき、スパーズは7位、アーセナルは12位というシーズンだった。
●アーセナルは名監督のGeorge Grahamが移籍金の取り分をもらったスキャンダルに巻き込まれ、解任となった。その後、チームが失速して、一旦残留争いに巻き込まれてしまった。
●一方、European Cup Winners' Cupの決勝戦には進出して、レアル・サラゴサを相手に2連覇を目指した。しかし、延長戦の土壇場で元スパーズMFのNayimがハーフウェイ付近からゴールを決め、サラゴサが優勝した。

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スパーズにも財務関係のスキャンダルにより、シーズン前は大ピンチを迎えていた
●前のシーズンは15位でフィニッシュしたスパーズ。5月にオールダムとのアウェイ戦で勝利して、残り1試合でようやく残留を決めていた。
●しかし、1980年代の前オーナー時代からの不正経理が発覚し、イングランドサッカー界史上最高の処分を課せられた。
●£60万の罰金、FAカップ出場権剥奪、そしてマイナス12の勝ち点ペナルティ。
●シーズンが始まってから、スパーズは暫く最下位で、勝ち点がマイナスだった。
●(最終的には、チェアマンのAlan Sugarが裁判を起こしてアピールして、罰金が£150万へと大きくなった一方、勝ち点ペナルティとFAカップ出場権剥奪の処分は取り消された。それが無ければ、アーセナルは1ポイント差でスパーズよりも上に順位出終了することになった。)

1994年5月5日、Ossie Ardiles監督、オールダム戦後のコメント
●"I'm going to be more clever and determined in the future."
「今後に向かっては、より大胆で賢いアプローチを取ろうと思っている。」
●出典:These Football Times

マイナス12の勝ち点ペナルティを課せられると、どうやって2年連続の残留争いを回避するのか?
●シーズンが始まった時点では、大ピンチを迎えそうだったスパーズは、成績を良くする為に当時にしては大型補強を図った。
●当時の監督は、のち清水エスパルス・横浜FM・東京ヴェルディ・町田ゼルビアの監督も努めた、
オズワルド・アルディレスだった。
●彼の「大胆で賢いアプローチ」は、その年のW杯アメリカ大会で活躍した、攻撃のエースを狙え!というプランだった。
●その年、イングランドをはじめとする英国4ヶ国はともに予選で敗退していたので、英国民はアイルランド共和国を軽く推しながら、中立の立場で試合を楽しんで、エースの活躍に憧れていた。
●その中、アルディレスが最初に狙っていたのは何と、Diego Maradonaだった!
●MaradonaはArdilesと仲が良く、実は1986年にArdilesのテスティモニアル・マッチでは1試合だけ、スパーズでプレーしたことがあった。

2017年2月17日、元スパーズFWのTeddy Sheringhamの言葉(マレーシア、Stadium Astro)

●"I got on really well with Ossie, and I think I was the captain at the time, and Ossie came to me one day and said 'I want your opinion, I'm thinking about signing someone'.
「あのとき、私はキャプテンも勤めていたし、Ossieと非常に仲が良かった。ある日、Ossieは相談したくて声をかけてくれた。『ある選手を獲得しようと思っているけど、意見を教えて欲しい』と。」
●"And I was like 'go on' and he was like 'Diego Maradona', and I went 'Ossie, Ossie, really!? Are you? Do it, just do it'.
「誰なのか聞いたら、『ディエゴ・マラドーナだ』と言われた。『Ossie、マジで言ってるの?本当の話なら、絶対に取ってくれ』と答えた。」
●"He said 'I'm in talks with him at the moment' and I was like 'my God, do it, it would be brilliant to play with him'.
「彼は『既に交渉を始めた』と言ったら、興奮した。あのマラドーナと一緒にプレーできたらすごいなと思った。」
●"He came to me about three days later and was like 'I've decided not to sign Diego, he's got too much baggage around him'."
「しかし、その3日後、彼はまた声をかけてくれた。『ディエゴの移籍はやめておくことにした。やはり、あの人はトラブルが多過ぎるからね』といった。」

第二志望も大物だった
●マラドーナはその年のW杯でドーピング違反が見つかり、15ヶ月の出場停止処分を課せられた。
●しかし、その代わりにスパーズが取ったのは何と、W杯で5ゴールを決めていた、ユルゲン・クリンスマンだった!
●当時、イングランド国内ではかなり嫌われ者だった。
●その理由は、1990年W杯からの印象だった。
イングランドが準決勝で西ドイツに敗れた、負け惜しみもあったが、何と言っても「めっちゃダイブする」という印象が強かった。
●1990年W杯の決勝戦では、Klinsmannの過剰反応によってアルゼンチンのPedro Monzonがレッドカードを貰った。(W杯決勝戦として初めてのことだった。) (Getty写真はこちら。)
●移籍が初めて報道されたら、「あのドイツ人のダイブ野郎がイングランドに来ちゃう」みたいなスタンスが多かった。
●その為、Klinsmannは前評判を早めに挽回する為に、ユーモアを使ってイングランド人にアピールすることにした。

Jurgen Klinsmann、スパーズ移籍発表会見、1994年8月
●"Maybe I can ask you the first question. Are there any diving schools in London?"
「皆さんの質問に答える前に先に質問したいと思います。ロンドンにダイビングスクールがありますか?」
●出典:FourFourTwo

それと同時、W杯で大活躍したルーマニア代表のエースも2人取った
●ルーマニア代表がラウンド16でアルゼンチンに3対2で勝利して、史上初のベスト8進出を決めた。
準々決勝ではPKでスウェーデンに惜敗した。
●あのアルゼンチン戦で2ゴール1アシストと大活躍したFW、Ilie Dumitrescuがステアウア・ブカレストから加入した。
●そして、DFか中盤スイーパーとして守備だけではく、パスをさばくのが得意だったGheorghe PopescuもPSVから加入した。
●外国人エースを中心にした、こんなに贅沢な補強がイングランドではかつてないことだった!

(3)1994/95のスパーズ:めっちゃくちゃのシーズン、黒板編
●それまで、スパーズのメインFWはTeddy Sheringhamだった。
●他に、若手FWも2人居た。イングランド代表のDarren Anderton(22歳)と、U21代表のNick Barmby(20歳)だった。のち、違うポジションでプレーするようになったが、当時はFWだった。
●当時、あまりターンオーバーすることが無かったので、集めたFWを一体どうやって起用するのか?誰がベストXIに入るのか?

黒板:アルディレス監督の「4-1-5」、いわゆる「The Famous Five」
●アルディレス監督の「大胆で賢いアプローチ」は、FW5人を同時に起用することだった!
20170509_2.png
(Popescu加入前の試合。Popescuは背番号④で、⑤Calderwoodのポジションに入った。)
●黒板:攻撃陣5人は流動的で、基本的に守備の責任を負わされなかった。
●マスコミには、この5人は「The Famous Five」と呼ばれた。
●これは、イギリスの有名な児童文学作家、イーニッド・ブライトンの「五人と一ぴき(の探偵団)」シリーズに因んだあだ名だった。因みに、このシリーズを元に、1969〜1971年にNHKが小学生向けにテレビドラマを放映した。(Wiki)

アルディレス監督、1994年プレシーズンのコメント
●"...adventure, flair and entertainment... the front is now looking good, but don't ask me about the back".
「今季は冒険、派手さ、そしてエンターテイメントを目指したい。攻撃の調整はうまくいっている。ただ、守備についてあまり聞かないで下さいね。」
●出典:FourFourTwo

1994/95シーズン、アルディレス監督の指揮下での試合成績
●ゴールは確かに多かった!しかし、失点も半端ない...
20170509_3.png

マンチェスター・シティに2対5で敗れた後、アルディレス監督のコメント
●"Even if someone could guarantee that by playing the long ball and putting in two more defenders we would win, no, I still wouldn't do it."
「例えDFを2人増やして、ロングボールのスタイルに変えることで確実に勝利を保証できると言われても、私は絶対いやでやらない。」
●出典:FourFourTwo

やっぱり持たなかった
●マンチェスター・シティに敗れた後、Alan Sugar会長は守備専用コーチを就任させるべきだと提案して、候補としてDon Howeを挙げた。
●アシスタントのSteve Perryman(のち清水エスパルスと柏レイソルの監督を努めた)は賛成だったそうだが、Ardilesは拒否した。
●そしてリーグカップ3回戦では、2部リーグで最下位だったノッツ・カウンティに0対3で惨敗して、Ardilesの解任が決まった。
●後任者としてGerry Francisが就任した。より現実的なサッカーでチームを安定させた。

2011年、Sport.co.ukとのインタビューで、アルディレス監督が「The Famous Five」を振り返った
●"To be perfectly honest. I believed that those five people up front - or, to put it more correctly, five attacking players - could play in the same team.
「正直、あの5人は同じチームでプレーできると信じていた。というか、攻撃的な選手を同時に5人を起用することは可能だと確信していた。」
●"I was inspired by the Brazil team from 1970 with Pelé, Rivellino, Tostão and all these great, great players. They had five attacking players and Barcelona now play exactly like that, with only one holding midfielder, so it can be done."
「1970年のブラジル代表チームにインスパイアされていた。ペレやリベリーノ、トスタンなど、偉大な選手が多かったね。あのチームには攻撃的な選手が5人居たし、今のバルセロナも守備的MFが1人だけで同じく5人の攻撃的な選手だね。だから、可能だろう。」
出典:These Football Times



(4)1994/95:22年前は一体どんな世界だった?
●「Arseover」を記念して、ESPNFC.comが特集記事を掲載した。
●22年振りとはどれだけ久しぶりのことなのか見せるために、1994/95当時の世界をフットボールとフットボール以外の22項目で紹介した。
●出典:http://www.espnfc.com/english-premier-league/23/blog/post/3114176/what-was-life-like-when-tottenham-last-finished-above-arsenal-in-1995


FOOTBALL
1.ブラックバーン・ローヴァーズがプレミアリーグで優勝した
2.プレミアリーグに22チームがあった
翌シーズンから20チームへと減らす為に、このシーズン、4チームが降格して僅か2チームが昇格した。
3.アーセン・ベンゲルは名古屋グランパスエイトの監督で、イギリス人には知られていなかった
4.Dele Alliはまだ生まれていなかった
(尚、BBCが1994/95シーズン終了時点での、現在スパーズ選手の年齢を纏めた)

出典:http://www.bbc.com/sport/football/39766518 

5.Jurgen Klinsmannは1995年のバロンドールで準優勝
6.移籍金の世界記録はPaul Pogbaの14.5%
Gianluigi Lentiniが1992年に約£1300万でトリノからミランに移籍したのが、まだ世界記録の移籍だった。
7.Diego Maradonaがまだ現役だった
W杯でのドーピング違反で15ヶ月の出場停止処分を受けたMaradonaはその後、古巣のボカ・ジュニアーズに戻って現役を続けた。
8.Johan Cruyffがバルセロナ監督だった
9.Eric Cantonaのカンフーキック
10.今なら当たり前のルールがIFABによって導入された
交代枠が「2」から「3」へと増やされた。ハーフタイムは10分から15分へと延長された。そして、オフサイドのポジションに居る選手はプレーに関与していない場合、オフサイドにならないというふうになった。
11.Sepp BlatterがまだFIFA会長になっていなかった
12.アメリカにプロサッカーリーグがまだ無かった

WORLD EVENTS
13.アメリカ大統領はビル・クリントンだった。イギリスの首相はジョン・メージャーだった。そして日本の総理大臣は日本社会党の村山富市だった。
14.OJシンプソンの裁判
15.フォレスト・ガンプがアカデミー賞を6つも受賞した
16.人気テレビシリーズ『フレンズ』はまだ第2シリーズが放映中だった
17.オアシスの第2作『What's The Story? (Morning Glory)』が発売された
18.『マトリックス』映画で使われて有名になったNokia 8110携帯電話が開発された
19.ヤフーが初めて検索エンジンを公開した
20.ソニーがPlayStationを発売
21.Steve JobsがAppleに復帰した
22.Bill Gatesが堤義明を上回り、世界長者番付一位となった

(5)後半:Joey Bartonの処分とブログ
●2006年〜2016年の間、サッカー試合に1260件のベットをしたJoey Bartonは18ヶ月の出場停止処分を課せられた。
●本人によれば、これで現役キャリアを実質、終わりとする処分だ。

1260件のうち、30件は重大な違反と見なされた。Bartonの所属チームの試合だった
上:所属チームの勝利・得点に賭けた15件
下:所属チームの対戦相手の勝利・得点に賭けた15件


Market:ベットの種類
First Goalscorer:先制点の決め手
Match Odds:勝敗
Correct Score:最終スコア
Half Time/Full Time:前半終了と試合終了の勝敗
Match Involvement:Bartonが試合に出場したか
Starting XI:先発出場
Not Involved:ベンチ外

出典:http://www.joeybarton.com/betting-statement/



4月26日、処分を受けてJoey Bartonの発表(抜粋)
●I accept that I broke the rules governing professional footballers, but I do feel the penalty is heavier than it might be for other less controversial players. I have fought addiction to gambling and provided the FA with a medical report about my problem.
「私はサッカー選手に適用されるルールを破ったことは認める。しかし、私ほど話題の多い選手ではなければ、こんなに重い処分を受けたと思えない。私はギャンブル依存症と戦っており、それを証明する医師の診断書をFAに提出した。」
●But surely they need to accept there is a huge clash between their rules and the culture that surrounds the modern game, where anyone who watches follows football on TV or in the stadia is bombarded by marketing, advertising and sponsorship by betting companies, and where much of the coverage now, on Sky for example, is intertwined with the broadcasters' own gambling interests.
「FAのルールと、現在のフットボールを巡る文化とは大きな対立があり、FAはそれを認めるべきだ。テレビやスタジアムでサッカーを観る人間は、ブックメーカーの宣伝や営業活動、スポンサー活動に圧倒される。Skyをはじめとするテレビ中継にも、テレビ局と提携するブックメーカーの都合に合わせたコンテンツも混ざっている。」
●That all means this is not an easy environment in which to try to stop gambling, or even to encourage people within the sport that betting is wrong. It is like asking a recovering alcoholic to spend all his time in a pub or a brewery.
「つまり、ギャンブルを辞めるには、或いは関係者のベットを辞めさせるには、フットボール界が良い環境ではない。元アルコール依存症患者をパブとかビール醸造所に住ませるも同然だ。」
●If the FA is serious about tackling gambling I would urge it to reconsider its own dependence on the gambling industry. I say that knowing that every time I pull on my team's shirt, I am advertising a betting company.
「FAは本当にギャンブルの問題に取り組みたければ、それ自身の依存症を見直すべきだ。私だって、所属チームのユニフォームを着る度に、ブックメーカーの宣伝になってしまう。」

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