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このブログについて
2000年の番組開始から15年以上に渡り、良質かつ多彩な企画で人気を博してきた、J SPORTSオリジナルサッカー番組「Foot!」。
2011年8月から、週5日放送のデイリーサッカーニュースとしてリニューアルし、世界のサッカー情報を余す ことなく紹介する。
『アミーゴを訪ねて〜エルクレス〜』いかがだったでしょうか?
亘さんとは初対面でアミーゴではなかったわけですが
アルゼンチン人トレゼゲ、ホントにたくさん話してくれました。
VTRでも亘さんが最初に質問してから5分くらいしゃべりっぱなし。
それでも少しカットしてますから、実際は8分くらいの1人喋り。
それだけのキャリアということもありますが
亘さん曰く「話しながらいろいろ思い出してきて、これも話さなきゃ、
あれも話さなきゃ。と、どんどん話が長くなる。」のは
典型的なアルゼンチン人なんだそうです。
あまり知られていないエピソードも満載だったと思います。
では、インタビューでカットしてしまった部分を補足します。
その補足もかなり長いわけですが、お付き合い下さい。
Q.君が初めてプロデビューしたクラブは
アルゼンチンのクラブ、プラテンセなんだよね?
父がフランスのクラブを退団した後、僕たち家族は
ブエノス・アイレスに移住した。それである日、
フットボール狂の叔父の紹介で彼と父と一緒に
その地区を本拠地にするプラテンセの練習の見学に行ったんだ。
プラテンセは世界的な知名度は高くはないけど
1部での在籍経験もある由緒あるクラブだ。
すぐに入団を決意した僕は、下部組織に入り毎日練習に励んだ。
そして15歳になると、僕のことが当時の監督の目に止まって
トップチームの練習に参加するようになった。
他の同世代の選手たちと比べて体の成長が早く、精神的にも
成熟していたのでプロの選手に混ぜても問題ないと判断されたんだ。
結果的にはプラテンセに入団したことが吉と出たのは間違いないね。
Q.アルゼンチン人がフランスで生活するなんて
僕にはなかなか想像できないんだけど
生まれはフランスといっても住んでいたのは2歳の時までだ。
だからかどうか分からないけど、子供の頃からフランスには興味があって
しょっちゅう両親を質問攻めにしていたそうなんだ。
当時憧れていたスポーツ選手のミシェル・プラティニとアラン・プロストも
いずれもフランス人だ。トリコロールの国旗も大好きだったしね。
ただ実を言えば、いざ目の前にフランス行きのチャンスが訪れると
あまり考えもせずに即決したというのが正直なところなんだ。
とにかくフットボールがしたかったし
若気の至りというか成せばなるという気持ちだった。
アルゼンチンでの生活には何の不満もなく
家族もブエノス・アイレスでの生活を楽しんでいた。
でもフランスでプロの選手になるという僕の夢の実現を優先して
家族全員でフランスに移住することになった。
この賭けは吉と出たわけだけど、もちろん失敗に終わる可能性もあった。
その時は、再び家族全員アルゼンチンに戻ることになっただろう。
でも僕の夢の実現を後押ししてくれた両親の存在もあって
後先考えずにフランス行きを決めたんだ。
今では僕の人生はフランスなしでは考えられない
妻と知り合ったのもモナコ時代だし2人の息子もフランス語を完璧に話す。
両親は今もフランスに住んでて、むしろ今ではアルゼンチンが
第2の故郷と言ってもいいほど、家族全員がフランスの
生活スタイルに順応している。君もよく知っているように
陽気で開放的な南米の人間に対して典型的なヨーロッパ人気質のある
フランス人はどちらかというと閉鎖的で冷たい印象がある。
ただフランスで知り合ったといっても妻はアリカンテ出身のスペイン人だ。
言うなれば僕たちは国際的な家族ってことだよ。
Q.子供の頃からずっと『9番(センターフォワード)』だったの?
僕は生粋の『9番』さ。子供の頃からテレビで試合を見ていても
FWのプレーに真っ先に目が行っていた。
父は現役時代にセンターバックとしてプレーしていたから
その意味では僕たち親子は正反対だ。
フットボールの最大の目的は得点を決めることで
観客が一番熱狂するのもゴールシーンだ。
だから小さい頃からストライカーへのこだわりは人一倍あったよ。
Q.1998W杯の思い出
重圧というよりむしろチームの周辺には悲観的な見方が広まっていて
うまく行ってもベスト16かベスト8というのが大会前の下馬評だった。
でも勝ち上がるにつれて国民の期待も上がり、決勝に駒を進めた。
相手は当時最強と言われたブラジルだ。ロナウド、リバウド、レオナルド
ドゥンガと豪華なタレントを揃えた文字通りのスター軍団だ。
でも僕たちは3対0という文句なしのスコアで地元優勝を成し遂げた。
もうその後は国中がフィエスタさ。一生忘れることのできない思い出だ。
特にフランスは人種の坩堝と言われるようにアラブ人、黒人、
その混血の人たちと、たくさんの人種が生活する多民族国家だ。
それが原因で人種問題に発展したことも過去にあった。
でもあの夜は国民全員が代表チームの優勝を一緒になって祝った。
国民があれほど1つにまとまったのは、第二次世界大戦以来と
言われたほどでフランス人にとってあの優勝は
スポーツの垣根を越えた歴史的な出来事だったんだ。
Q.2000年ユーロの思い出
W杯と同様に一生忘れられない思い出だ.。
ただ控えメンバーだったから個人的には悔しい思いをした大会だ。
出場時間も2年前のW杯に比べても少なかった。
でもそうした個々の問題はあったけど当時のチームは結束力が強く
優勝を目指して全員が一枚岩になっていた。
あの大会で交代出場選手の活躍が目立ったのも
そうしたチームの雰囲気が良かったからでもあるんだ。
その象徴的なゲームが決勝のイタリア戦だった。
まずヴィルトールが後半土壇場で同点ゴールをマークし
延長戦に突入してからの僕のゴールデンゴールでフランスが勝利した。
あのゴールについてはスペクタクルなゴールの1つとして
今でも取り上げられることが多いけど
僕にとってもキャリアの中で最も重要なゴールの1つだ。
最大のライバル国のイタリア相手に決められたこともあるけど
それ以上にフランスを史上初のW杯とユーロの
2大会連続の優勝に導くという値千金のゴールだったからね。
昨年、スペインもこの2大会連続優勝を成し遂げたけど
あくまで第1号は僕たちフランス代表さ。
3年前にこの2大会の優勝メンバーが一同に介しての
優勝10周年記念パーティーが開かれ
10年ぶりにトロフィーを手にする機会があったんだけど
触った時の感触は変わりなく格別だったよ。
もう自叙伝が出せるレベルですね。
まだまだ話してくれてますが、とりあえずはこの辺で。
さて来シーズン、トレゼゲはどこにいるのでしょうかねぇ。
石神
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