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サッカー フットサル コラム 2022年2月28日

ウクライナは隠れたサッカー大国。スポーツの国際交流は多少とも国の安全に寄与するはず

後藤健生コラム by 後藤 健生
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バロンドールを掲げるシェフチェンコ

バロンドールを掲げるシェフチェンコ

2月24日、ロシア軍が国境を越えてウクライナへの侵攻を開始。26日には首都キエフ市内でも戦闘が始まったという報道もある。つい先日まで「行動を起こすにしても親ロシア派が一方的に独立を宣言している東部2州に限るのではないか?」とも言われていたが、ロシアのウラディーミル・プーチン大統領の決断はキエフを含む主要都市制圧を目指す全面的軍事侵攻だった。

「ウクライナのNATO(北大西洋条約機構)加盟がロシアにとって脅威になる」というのがその言い分なのだが、西側諸国がウクライナのNATO加盟を認める可能性などほとんどなかったのだ。なぜ、今、軍事侵攻が必要だったのか? まったく合理性を欠いた暴挙としか言いようがない。

サッカー界からも早速、反応が起こっている。

UEFA(欧州サッカー連盟)は2022年6月に行われる予定のチャンピオンズリーグ決勝の開催地をサンクト・ペテルブルグからフランス・パリ郊外のスタッド・ド・フランスに変更することを決定。また、3月下旬に予定されているワールドカップ予選の欧州プレーオフでロシア、ポーランド、スウェーデン、チェコの4か国が参加する「パスB」はロシアで開催となっていたのだが、ロシア以外の3か国は「ロシア開催反対」の声明を発表した。

「ロシア開催」が取り消されるのは当然のことだろう。戦争当事国での試合開催は安全を考慮すればありえないことだし、西側各国政府やEU(欧州連合)がロシアに対して厳しい制裁措置を採っている。また、国際オリンピック委員会(IOC)もスポーツ大会のロシア開催は認めるべきでないと各国際競技連盟に対して呼びかけている。同じくプレーオフに出場するウクライナ代表の扱いを含めて、FIFAの決断に注目したい。

ちなみに、「ロシア開催反対」の声明を出した3か国はすべて北東欧に位置する国だ。かつて“共産圏”の一角としてソ連を盟主とするワルシャワ条約機構の一員だったチェコ(当時はチェコスロバキア)は1960年代に自由化を模索したが、1968年にソ連の軍事介入を受けた歴史があり、またポーランドも、軍事介入こそ逃れたものの、ソ連の政治的介入を何度も受けている。そして、スウェーデンは中世以来ロシアとの間でバルト海や北東欧の覇権を争った国だ。

今回、ロシアの軍事侵攻を受けたウクライナはかつてはソ連を構成する15の共和国のひとつだった。そのため、独立国だったチェコ(チェコスロバキア)やポーランドに比べれば知名度は低い。

だが、おそらくサッカー・ファンであれば、ウクライナという国の存在をよくご存知であろう。

ソ連時代はウクライナのサッカーはソ連サッカー協会の傘下にあり、首都キエフの強豪ディナモ・キエフはウクライナの代表チーム的な存在で、ソ連リーグでロシアの首都モスクワの複数の強豪クラブと覇権を争っていた。

もちろん、モスクワのクラブの方が財政力もあり、連邦政府の肩入れもあって有利な状況だったのだが、名将ヴァレリー・ロバノフスキーは運動量とスピードを生かしたチームを作ってモスクワ勢に対抗。1960年代から1980年代にかけて合計13回も全ソ連リーグで優勝を遂げた。この数字はスパルタク・モスクワの12回、ディナモ・モスクワの11回を上回り、ソ連リーグの最多優勝記録として残っている。

そして、ロバノフスキーはソ連代表チームの監督も兼任。ディナモ・キエフをベースとした「ソ連代表」は1986年のメキシコ・ワールドカップで準々決勝に進出(戦挑戦の末にベルギーに敗れる)。そして、1988年には欧州選手権(EURO)では準決勝を成し遂げ(オランダに敗れる)、同年のソウル・オリンピックで金メダルを獲得した。

そのロバノフスキーの秘蔵っ子であるオレグ・ブロヒンはディナモ・キエフやソ連代表で活躍し、1975年にはバロンドールも受賞している。

当時はソ連の傘下にあったため、「ウクライナ」の旗の下でワールドカップ本大会を戦ったのは2006年のドイツ大会だけだが、それでもウクライナはヨーロッパのサッカー大国のひとつだったと言っていい。

1991年のソ連崩壊後に独立したウクライナは経済的に困窮し、また政治的にも不安定化(親西欧派と親ロシア派の対立が大きな原因)。そのためサッカー強化も順調には進まなかったが、それでも2004年には当時イタリアのACミランで活躍していたアンドリー・シェフチェンコがウクライナ人として2人目のバロンドール受賞者となっている。そして、現在もマンチェスター・シティーのオレンクサンドル・ジンチェンコをはじめ、多くのウクライナ人選手が各国のビッグクラブで活躍している。

ソ連時代は“ディナモ・キエフ一強”だったウクライナの国内サッカーだが、独立後には東部ドネツク州のシャフタール・ドネツクが台頭。21世紀に入ってからは13度の国内リーグ優勝を記録している。

ドネツク市はいわゆるドンバス盆地にある古くからの炭鉱街だ。炭鉱町に強豪クラブがあるというのはヨーロッパでは普遍的な現象だが(たとえば、ドイツ・ゲルゼンキルヘンのシャルケ)、シャフタールもそのひとつ。そもそも「シャフタール」とは「炭鉱労働者」と言う意味だし、サポーターはチームカラーのオレンジのヘルメットを被って声援を送る。

クラブが強化されたのも、エネルギー産業を支配して同国随一の大富豪にのし上がったリナト・アフメトフの財力のおかげだった。

シャフタールはウクライナ・チャンピオンとしてUEFAチャンピオンズリーグでも活躍。ウィリアンやルイス・アドリアーノ、フェルナンジーニョといった無名のブラジル人選手多数を発掘。ウクライナ人など東欧勢で守備陣を固めて、攻撃面はブラジル人を起用するというチーム作りを進め、2004年に就任したミルチェア・ルチェスク監督(ルーマニア人)の下でシャフタールは西側の強豪クラブ相手に毎年のように善戦して注目を集め、2009年にはUEFAカップで優勝を遂げている。

こうしたサッカー界での数々の栄光。それは、ウクライナという国の知名度を大きく上げた。ヨーロッパの人々でウクライナという国を訪れたことのある人は少ないだろうが、ロバノフスキー監督やブロヒン、シェフチェンコの名は誰でも知っているし、シャフタールの活躍も記憶に新しいだろう(シャフタールと対戦したクラブのサポーターだったら、はるかウクライナ東部まで出向いたこともあるかもしれない)。

そういう形で多くの西ヨーロッパの人々がウクライナという国のことを肌感覚で知っていること。それが、今回のような政治的、軍事的な危機を迎えた時に、国際的な関心を繋ぎとめることになる。

世界の人たちがウクライナについて関心を持ち続けていれば、ロシアもあまりに酷い行いをすることができなくなるかもしれない。スポーツを強化して世界と交流することは、間接的には国の安全保障に多少とも寄与することができるのである。

僕も、2005年10月の日本代表のウクライナ遠征の時にキエフに行ったことがあるし、2012年6月にはポーランドとの共同開催だったEURO観戦のためにウクライナを訪れた。2005年の時は雨が降って寒かった記憶しか残っていないが、2012年に訪れた時は初夏の明るい日差しの中で美しいキエフの街の散策を楽しんだ。

また、シャフタールが強豪として活躍を始めた当時は、スカパー!のチャンピオンズリーグ中継の解説者として何度もシャフタールの試合を担当した。

そんなわけで、僕にとってもウクライナの情勢は他人事とは思えないのである。

文:後藤健生

後藤 健生

後藤 健生

1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、「テレビでCLを見るよりも、大学リーグ生観戦」をモットーに観戦試合数は3700を超えた(もちろん、CL生観戦が第一希望だが!)。74年西ドイツ大会以来、ワールドカップはすべて現地観戦。2007年より関西大学客員教授

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