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サッカー フットサル コラム 2021年6月5日

A代表からU-24代表へのメッセージとは。遠藤航のプレーを見て、OA枠の3人には期待が膨らんだ

後藤健生コラム by 後藤 健生
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札幌ドームで行われた日本代表とU-24日本代表の試合は、日本代表が3対0で勝利。「貫録勝ち」というところだろうか。U-24代表もボール保持の時間は長く、シュート数でも互角だったが、決めるべきところで決め、守るべきところで守るという意味で、内容的には日本代表(以下「A代表」)が格の違いを見せた試合だったと言える。

もっとも、U-24代表にとっては急遽開催が決まった試合だったし、中1日でU-24ガーナ代表と対戦するというスケジュールの中、けっしてベストメンバーを組めたわけではない。

一方、A代表はオーバーエイジで吉田麻也主将や遠藤航など守備の中心選手が抜かれていたものの、その他のポジションはベストメンバーを組んで対戦した。攻撃陣は大迫勇也をトップに2列目には南野拓実と鎌田大地、原口元気とレギュラー格が並んでおり、チームの完成度としてもU-24代表よりもだいぶ上だった。

つまり、個人能力でもチームの完成度でもA代表が優位に立っていたのだ。

ところで、A代表とU-24代表の対戦が決まったことで、急に注目が集まったのが1980年12月に行われた日本代表対日本代表シニアの試合だった。もう、40年以上も前の話だ。この試合では日本代表が2対3で敗れたのだが、これは当時は当然のことのように思われた。

まず、当時の状況を考えてみよう。

2020年の「兄弟対決」と全く違うのは、この時は「日本代表」の方が若手であり、「シニア代表」こそがもともとの代表だったのだ。たとえて言えば、今回のU-24代表の方を「日本代表」と呼んだようなものだ。いや、当時の日本代表はU-24よりも若いチームだった。

20歳前後の風間八宏や金田喜稔、木村和司などが中心であり、U-24よりさらに若いチームだったので、シニアの勝利は当然のことのように感じられたものだ。

日本代表がなぜそんなに若返ったのか。それを理解するには、まず、当時の日本代表の最大の目標はワールドカップではなく、オリンピックだったということを知っておく必要がある。

1980年のモスクワ・オリンピック予選に敗れた日本代表は、4年後のロサンゼルス・オリンピックを目指すために若返ったのだ。1980年12月にはスペイン・ワールドカップ一次予選が控えていたが、当時のワールドカップではアジア枠は「1」しかなく、日本が勝ち抜くことはほぼ不可能なことであり、ワールドカップ予選はあくまでも次のオリンピック予選に向けた準備試合でしかなかったのだ。

そこで、若返りに着手していた日本代表の渡辺正監督が病に倒れたため、強化部長兼任として監督に就任した川淵三郎氏が思い切った若返りを図ったのだった。いかにも、川淵氏らしい思い決断力だった。

だから、20歳前後の選手で構成される「日本代表」が敗れたことにはまったく不思議はなかった。

今回は挑戦者がすでに24歳以下であることを考えても、1980年当時の日本代表よりはだいぶ力のあるチームだった。24歳といえば、すでに大部分の選手がチームの主力級である。

いずれにしても、日本代表対U-24日本代表の試合でのA代表の勝利は試合内容を正当に反映した結果だった。

だが、78分にオーバーエイジの遠藤航が交代でピッチに入ると試合の様相は一変した。A代表の方が後半に次々と選手を交代させて、代表経験の少ない選手ばかりになっていたところに遠藤が入ったことで効果は抜群だった。

中盤でのボールの奪い合いではブンデスリーガでもデュエルの勝率ナンバーワンという遠藤の力は圧倒的で、しかも、ボールを奪うだけではなく、遠藤が前線に効果的なロングボールを配給したことで立て続けにチャンスが生まれた。また、遠藤が入って中盤でボールが回るようになったことで、田中碧のパス能力も活性化した。

ハーフタイムの交代でピッチに入っていた田中だったが、なかなかボールが支配できない中で前線の選手とのコンビネーションがうまくいかず苦戦を強いられていたが、遠藤が入って中盤の支配権を取り戻したことによって、田中本来のパス能力が発揮されるようになったのだ。

これは空想だが、U-24代表がキックオフの瞬間からもしオーバーエイジ枠をフルに使っていたら、センターバックが吉田麻也と冨安健洋だったとしたら……、日本代表もそう簡単には得点できずに苦しんだことだろう。

もし、U-24がベスト布陣で対戦していたとしたら「経験豊富な日本代表」対「若手中心のU-24代表」ではなく、「A代表の攻撃陣」対「A代表の守備陣」という“矛と盾の戦い”という構図となっていたことだろう。

試合を通じて日本代表が若い選手たちに示した最大のレッスンは、「立ち上がりの失点に気を付けろ」というメッセージであろう。U-24代表戦で、A代表は2分、41分、52分に得点して勝利を確実なものとしたのだ。

これは、昔からの日本サッカーの弱点の一つであり、たとえばアテネ・オリンピック(2004年)などは、開始早々の失点が続いて優勝争いからグループリーグで苦しんだ。筋肉量の劣る日本人選手は、無酸素運動でのパワーで劣るために、開始早々の争いについていけないのだそうだ。

日本代表は、この試合でも“格下”であるU-24代表に対して真面目に試合をして、「戦いの厳しさ」というレッスンをU-24代表に与えたのだ。

文:後藤健生

後藤 健生

後藤 健生

1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、「テレビでCLを見るよりも、大学リーグ生観戦」をモットーに観戦試合数は3700を超えた(もちろん、CL生観戦が第一希望だが!)。74年西ドイツ大会以来、ワールドカップはすべて現地観戦。2007年より関西大学客員教授

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