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サッカー フットサル コラム 2020年5月6日

天皇杯全日本選手権は今年で第100回。「スペイン風邪」大流行下に始まった日本の近代スポーツ

後藤健生コラム by 後藤 健生
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日本サッカー協会は今年の「天皇杯JFA全日本選手権大会」の大会方式を大幅に変更した。それによると、今年の天皇杯は各都道府県代表などの“アマチュア・チーム”だけで準々決勝までが行われ、Jリーグ勢はJ1の上位2チームだけが12月27日に予定されている準決勝から登場することとなった。つまり、J1の3位以下やJ2、J3のチームは天皇杯に参加しないということになる。

いわば、“アマチュア・チーム”によって挑戦者を決定して、プロのトップツーに挑戦するという変則的な形だ。昨年も、法政大学やHonda FCがJリーグ勢を苦しめたことをご記憶だろうが、今年は“番狂わせ”を2回起こせば優勝に手が届くのだ。JFLや大学の強豪にとってはチャンスが広がる。ぜひジャイアントキリングを狙ってほしい。

日本協会がこういう決定をしたのは、もちろん新型コロナウイルス(Covid−19)の影響である。

Jリーグは第2節以降の試合がすべて延期されており、再開の見通しはまったく見えない。そして、Jリーグは「全試合の75%以上の試合が開催できなかった場合には大会は不成立となり、順位を決定しない」ということも決めている。そこで、サッカー協会はJリーグのクラブは天皇杯には参加させず、リーグ戦の日程を優先させ、大会を成立させようと考えたのだ。

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Jリーグを天皇杯の日程から解放し、通常なら12月第1週に設定される最終節を12月下旬まで延ばすことでリーグ戦の日程の消化が可能になる。

というわけで、決定自体については仕方のないことかもしれないが、残念なのは今年の天皇杯が「第100回」の記念大会だったからだ。この大いに祝うべき百周年大会が変則開催となったのはなんとも残念な事だ。

「天皇杯が今年で第100回大会だった」ということは、この大会が今から100年前に始まったということだ。そう、第1回大会は1921年の9月に「ア式蹴球全国優勝大会」という名称で東京の日比谷公園のグラウンドで行われ、「東京蹴球団」が優勝している。「東京蹴球団」は、日本で最初に本格的にサッカーに取り組んだ東京高等師範学校(東京高師)や豊島師範、青山師範などの卒業生によるクラブチームだった。

東京高師は、旧制中学(現在の高等学校に当たる)の教師を養成するための学校。その他の師範学校は、旧制中学より年齢が下の学校の先生となるための学校だった。

天皇杯以外にも、この数年のうちに第100回大会を迎えたとか、あるいは今後数年のうちに第100回大会を迎える大会はいくつもある。

正月恒例の「全国高等学校サッカー選手権」は2020年暮れから来年正月にかけての大会が第99回で、2021来年度大会が100回目だ。第1回大会が開かれたのは1917年。当時の旧制中学のチームを集めた「日本フートボール優勝大会」だった。ただし、「日本」という名前が付いているが、実際は関西地区だけの大会で、同様の大会は東京や名古屋でも行われていた。そして、面白いことにこのフートボール大会は「ア式蹴球の部」と「ラ式蹴球の部」が一つの大会として行われたのだ。「ア式」というのは「アソシエーション式」の略でサッカーのこと。「ラ式」はもちろんラグビーだ。従って、「全国高等学校ラグビー」も2020年度大会で第100回を迎えることになる(中止となった大会があったりしたためサッカーとラグビーで回数がズレている)。

他の競技でも陸上競技の全日本選手権大会は、今年6月に行われるはずだった2020年大会が第104回だったし(延期が決定)、箱根駅伝は今年の正月の大が第96回。全国高等学校野球大会(夏の甲子園)は一昨年の大会ですでに第100回を迎えており、今夏の大会は第102回ということになる(中止か強行か、注目を集めている)。

つまり、今から約100年前の1910年代後半から20年代の初めにかけて、多くのスポーツで日本選手権級の大会が始まっているのだ。

明治政府が新しく作った西洋式の学校では体育教育も取り入れられ、また明治政府に招かれて来日した外国人教師たちも日本の学生にスポーツを教えたため、全国の旧制中学校や旧制高等学校、専門学校でスポーツが盛んになった。だが、最初のうちは教育の一環として校内だけで行われていたもので、ルールも本来のものと比べてかなり簡略化したものだった。

だが、1910年代になると学生たちは物足りなさを感じ始めたようで、英語の指導書を翻訳したり、外国人教師にコーチを頼んだり、横浜などの外国人たちのクラブに挑戦したりしながら、次第に本格的にスポーツに取り組み始めた。最初に野球に取り組んだのが第一高等学校(一校=東京大学の前身)で、初めて本格的にサッカーに取り組んだのは東京高師。そして、日本で最初にラグビーを始めたのは慶應義塾だった。

そして、いくつかの学校にチームができると対外試合が行われるようになった。

日本初のIOC委員となった嘉納治五郎(東京高師校長)が大日本体育協会を設立し、1912年のストックホルム・オリンピック参加を目指して予選大会を開催したのをきっかけに陸上競技の全日本選手権が始まり、他のスポーツでも1910年代に地域単位で学校対抗の大会が開催されるようになり、そして、1920年代に入ると一部の競技で全日本選手権大会が始まったのだ。

ところで、「100年前」はどんな時代だったのだろうか。

実は、新型コロナウイルス(Covid−19)の感染拡大のおかげで「100年前」の出来事が最近注目されるようになった。いわゆる「スペイン風邪」のパンデミックの話題である。1918年に発生した「スペイン風邪」の流行によって世界では数千万人の生命が失われ、日本でも40万人以上が死亡していると言われている。

現在のコロナウイルス禍をはるかに凌ぐ大規模な流行だった。

当時はヨーロッパでは第1次世界大戦の末期を迎えており、ロシアでは1917年に革命が起こった。また、東ヨーロッパや中東では、それまでこの地域を支配していたロシアやプロイセン(ドイツ)、オーストリア=ハンガリーといった諸帝国の崩壊によって情勢が流動化していた。

日本も戦争終結とともに不況に見舞われ、また米価高騰によって米騒動が起こったのも1918年のことだったし、日本は1923年には関東大震災にも見舞われることになった。そんな大変な時代だったのに、日本選手権を始めた当時の日本のスポーツ人はとても元気だったようである。

われわれも、がんばりましょう。

文:後藤健生

後藤 健生

後藤 健生

1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、「テレビでCLを見るよりも、大学リーグ生観戦」をモットーに観戦試合数は3700を超えた(もちろん、CL生観戦が第一希望だが!)。74年西ドイツ大会以来、ワールドカップはすべて現地観戦。2007年より関西大学客員教授

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