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サッカー フットサル コラム 2019年1月18日

イスラームの国で考える、サッカーの試合のすべてを見通す「神の視点」とは

後藤健生コラム by 後藤 健生
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アジアカップの観戦でアラブ首長国連邦(UAE)に来ている(今回は、諸般の事情によりグループリーグ終了で帰国する)。

アジアのサッカーは過去25年くらいにわたり(つまり、「ドーハの悲劇」の頃から)、日本、韓国、サウジアラビア、イランの4強体制が続いていて、後にオーストラリアが加わって現在は5強体制となっている。アジアカップは今回から24か国が参加しているが、6つのグループのうち4つが、2戦目を終わって2勝0敗のチームと0勝2敗のチームに分かれてしまったことでも分かるように実力差は大きい。ヨーロッパとは違うのだ。24か国参加は、明らかに多すぎる。

フィリピンやインドなども健闘し、観客動員では貢献したが(アラブ産油国ではフィリピン人やインド人などは労働者として数多く働いている。ただし、彼らはサッカーにはあまり詳しくない)、やはり実力差は如何ともしがたいようだ。

その、トップ5のうちイランとサウジアラビアは国内組の選手が多いので(しかも、地理的には準ホーム)、準備もしっかりできており、開幕直後から好調だった。一方、日本、韓国、オーストラリアは海外組が多く(オーストリアなどは登録の23名中、国内組は1人だけ!)、コンディション調整も進まず、戦術確認の時間も足りずに、開幕直後はかなり苦戦を強いられていた(オーストラリアは初戦で敗れる)。

グループリーグを終えてどこまで調整できるかが、これからの勝負を分ける。初戦敗退のオーストラリアはターンオーバーができず、3戦をほぼ同一メンバーで戦った上に負傷者も出ているようで、これからのやり繰りはかなり苦しいだろう。

日本代表も、シーズンオフ中の国内組と海外組の混成だ。海外組の中でもウィンターブレークが長い国の選手はアジアカップ開幕まで3週間近く実戦から遠ざかっている一方で、プレミアリーグやスペインリーグ所属の選手は年末年始も試合をしてから現地で合流している。コンディションがバラバラなのは当然だ。

韓国の孫興民(ソン・フンミン)は1月13日に所属のトッテナム・ホットスパー対マンチェスター・ユナイテッドの試合にフル出場してから代表に合流し、16日の中国戦に先発し89分までプレー。疲れを見せながらも、格の違いを見せつけていた。

ラウンド16以降の本当の戦い以降に、各チームがどんな状態で臨めるか。この辺りは、各国のコーチング・スタッフの腕の見せ所であろう。

さて、話は大きく変わるが、UAEという国はもちろんイスラームの世界である。サウジアラビアなどに比べると戒律も厳しくなく、女性たちも黒髪をなびかせて歩いているが、いたるところに立派なモスクがあり、日に5回の祈りの時間になると、モスクのミナレット(尖塔)から祈りを呼びかけるアザーンの朗誦が聞こえてくる。

イスラームの考えによれば、世界のすべてのことは神(アッラー)の下にある書物(キターブ)に書き込まれているのだそうだ。アジアカップで、どこが優勝するのかもきっと書かれているのだろう。

アッラーというのは唯一神だ。イスラームは先行のユダヤ教やキリスト教と同じ一神教。3つの宗教は兄弟のような関係にある。イスラームによれば、アブラハムやイエスなども神から遣わされた預言者の一人であり、ムハンマドこそが最後の預言者ということになっている。預言者というのは、神が教えを伝えるために遣わされた人間であり、ムハンマドの言葉はすなわち神の言葉であり、一切の変更は許されないので、1400年も前のムハンマドの教えをムスリムの人達は守り続けている(1400年前に豚の病気が流行っていたのでムハンマドが豚を食べるなと言ったおかげで、今でもムスリムの人達は豚を食べられないし、1400年前には新大陸原産のタバコはまだ渡来していなかったので、酒は禁止だが、タバコは自由)。

人格のようなものを持ち、それぞれがそれぞれの考えで行動し、時には過ちすら犯す日本の神々と違って、アッラーとは絶対の存在なのだ。姿形などはもちろんなく、すべてのところに遍く存在する。いわば、宇宙そのものとも言っていい。アッラーの法則は、地球上だけでなく、他の惑星でも、他の銀河でも通用するはずだ。

神とはすべてを見下ろす存在なのである。アッラーのように世界のすべてを見渡す目を持っていたら、どんな気持ちなのだろうか。

そこで考えたのだが、僕たちがサッカーの(サッカーでなくても全く構わない)試合を観戦するというのは、いわば神の視点に近づく行為なのではないかということだ。

実世界というのは因果関係があまりに複雑すぎる。人間界だけにしてもプレーヤーの数は百数十億人に上る。そして、過去から未来への因果関係がつながっているのだから、プレーヤーの数はさらに膨大なものに膨れ上がる。138億年まえの宇宙開闢以来、未来永劫まで時間も連なっている(宇宙が将来収縮に転じてすべてが潰れてしまうとしても未来は数百億年続くだろうし、宇宙の膨張が永年に続くとしたら、すべての粒子が蒸発してしまうまでさらにさらに長い時間が続いていく)。

また、実世界では経済、政治、社会、芸術、スポーツなどあまりに多くのことが絡み合っているから、どんな学者でも、どんな哲学者でもそのすべてを見通すことは不可能だ。その点、サッカーであればプレーヤーの数は22人だけ。監督やベンチの選手、審判員なども含めても40人程度だし、時間も「90分」と限定されている。138億年に比べれば一瞬に過ぎない。

宇宙のすべてを見届けることは神にしかできないが、プレーヤーの数も時間も(そして、目的も)限定されているサッカーの試合のすべてを見届けることは、人間にも可能なのかもしれない。

数十人の男たちが(女たちでも同じ)勝利という限定された目的のために懸命に動いている姿をスタンドから見下ろすという行為は、まるで自分が神になったような気持ちを味わわせてくれるのだ。

もっとも、いくら瞬きもせずに、食い入るように見つめていても(僕は、試合中はそうしているつもりだ)、わずか22人の選手の動きをすべて視野に入れて、全員の意図を理解することなど不可能なことだ。そして、サッカーほど不可解なゲームはない。

やはり、僕たちは神にはなれないようだ。神は偉大なり、アッラーアクバル!

後藤 健生

後藤 健生

1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、「テレビでCLを見るよりも、大学リーグ生観戦」をモットーに観戦試合数は3700を超えた(もちろん、CL生観戦が第一希望だが!)。74年西ドイツ大会以来、ワールドカップはすべて現地観戦。2007年より関西大学客員教授

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