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【栗村修】
一般財団法人日本自転車普及協会
1971年神奈川県生まれ
中学生のときにTVで観たツール・ド・フランスに魅せられロードレースの世界へ。17歳で高校を中退し本場フランスへロードレース留学。その後ヨーロッパのプロチームと契約するなど29歳で現役を引退するまで内外で活躍した。引退後は国内プロチームの監督を務める一方でJ SPORTSサイクルロードレース解説者としても精力的に活動。豊富な経験を生かしたユニークな解説で多くの人たちをロードレースの世界に引きずり込む。現在は国内最大規模のステージレース「ツアー・オブ・ジャパン」の組織委員会委員長としてレース運営の仕事に就いている。
先週末は、静岡県清水町で開催された 『清水町ゆうすいクリテリウム大会』 に会場解説として参加してきました。
同日にはシーズン終盤のビッグイベント 『ツール・ド・おきなわ』 が沖縄県名護市で開催されており、宇都宮ブリッツェンのエース増田成幸選手が、自身二度目となる勝利を圧倒的な独走劇で勝ち取りました。
増田選手は今シーズン国内で開催されているUCI公認レースのうち、『ツアー・オブ・ジャパン(UCI-2.1)=個人総合10位(日本時選手としては3年連続最上位)』、『全日本選手権ロードレース(NC)=5位』、『ツール・ド・北海道(UCI-2.2)=ステージ優勝、個人総合優勝、山岳賞』、『ツール・ド・おきなわ(UCI-1.2)=優勝』と、対象6レースのうち4レース(出走は5レース)でUCIポイントを獲得するとともに、計3勝を挙げる大車輪の活躍をみせました。
日本のチームに所属する外国人選手たちからも一目置かれる(マークされる)存在となり、フェアな視点を持つ人たちからは非常に高い評価を得るに至っています。
増田選手は2013年シーズンにUCIワールドチームの 『キャノンデール・プロサイクリング』 に所属した経歴を持っています。
上りを含むレースではアシストとして相応の働きをみせるものの、彼のウィークポイントである「内臓系」及び「関節や腱」の耐久力不足(アジアツアーでの活動ではまったく問題ないが)から、シーズン中に活動を中断する状況に追い込まれ、結果、世界最高峰の舞台での活動は1シーズンのみに限定されてしまいました。
その時点で一度は引退を考えた増田選手でしたが、『自分が高いレベルを維持して国内で走り続けることで若い選手の育成に貢献したい』 という思いから、もう一度地域密着型チームの 『宇都宮ブリッツェン』 で走ることを決意しました。
そういった意味では、いまの彼は自分のためではなく、周りのために走り続けていると言っても良いかもしれません。
増田選手の 『強くなるためであれば生活すべてを自転車に捧げる』 姿勢は間違いなく若い選手のお手本になり、また、一方で地域貢献活動などへも積極的に参加する姿勢も持ち、そんな理想的なエースのもと、宇都宮ブリッツェンに所属する若手選手たちはここ数年急速に力をつけてきています。増田選手と活動を共にできる宇都宮ブリッツェンの若手選手たちはとても幸運だと感じます。
他のスポーツでも、自身の 『世界挑戦』 に一旦区切りをつけたベテラン選手が、『恩返し』 の意味も込めて国内での活動を継続するパターンはよくあります。
正直なところ、増田選手は 『多くの犠牲を払いながら自分が走り続けるための理由』 を日々探し続けているのだと思います。恐らく、もう自分のためだけに走り続けることは難しいのかもしれません。
あらゆる分野に於いて、『経験の継承』 というのはとても大切な要素になります。
しかし、自身が蓄積した経験を殆ど次世代に残さないままその業界を去っていくひとは少なくなく、また、なんらかの理由からノウハウをブラックボックス化して闇に葬るひとさえいます。
『経験の継承』 がされなければ、新しく挑戦する人間はまた同じことを最初から繰り返すことになってしまいます。
また、『経験の継承』 が単なる 『自己顕示』 の道具に使われてしまっていることも実は少なくありません。
そういった意味では、私が参加した 『清水町ゆうすいクリテリウム大会』 の会場では 『元選手たち』 が色々な形でレースに関わっていて、とても良い雰囲気が醸し出されていました。
レース運営を様々な形でサポートするひと。働きながら社会人レーサーとして再び自転車に乗りはじめ、若い子などと一緒に練習しつつレースに出場するひと。
『野球オヤジ』 が街のそこら中にいるように、いつか 『自転車オヤジ』 がウヨウヨいる時代が来て欲しいと切に感じた秋晴れの日曜日でした。