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【栗村修】
一般財団法人日本自転車普及協会
1971年神奈川県生まれ
中学生のときにTVで観たツール・ド・フランスに魅せられロードレースの世界へ。17歳で高校を中退し本場フランスへロードレース留学。その後ヨーロッパのプロチームと契約するなど29歳で現役を引退するまで内外で活躍した。引退後は国内プロチームの監督を務める一方でJ SPORTSサイクルロードレース解説者としても精力的に活動。豊富な経験を生かしたユニークな解説で多くの人たちをロードレースの世界に引きずり込む。現在は国内最大規模のステージレース「ツアー・オブ・ジャパン」の組織委員会委員長としてレース運営の仕事に就いている。
昨日は宇都宮ブリッツェンの 『2015シーズンイヤーエンドパーティー』 に参加してきました。
宇都宮ブリッツェンが発足したのが、2009年(正式には2008年10月~)ですので、無事に7シーズンを過ごしてきたことになります。
『無事に...』 と書きましたが、実際には様々な障害を乗り越えながら 『道なき道を突き進む7年間だった』 と表現した方が正しいでしょう。
この7年間で、栃木県内に於ける 『自転車競技を取り巻く環境』 は劇的に変化しました。
宇都宮ブリッツェン発足初年度には、スポンサー営業へ行くと "門前払い" という反応は少なくありませんでしたし、そもそも 『自転車ロードレース』 というスポーツの存在すら認識していない方々が大半だったといえます。
現在でも日本国内に於いてマイナースポーツの一角である事実は変わっていませんが、少なくとも宇都宮に於いては、ここ数年で自転車ロードレースが重要なスポーツコンテンツとして扱われはじめているのは間違いないところとなってきました。
市内では、アルベルト・コンタドール よりも、堀孝明選手の方が "よっぽど有名" という面白い逆転現象が起こっています。
自治体がこのスポーツに投資し、地元メディアが "需要のあるコンテンツ" として積極的に露出を推進し、そして、地元企業が支援に乗り出す。
チーム側もレース活動だけではなく、地域貢献活動や各種イベントなどを積極的に展開し、一般社会と一般経済に取り込まれる努力を常に続けてきました。
元々潤沢な資金源を持っていた自転車界には、通常の経済活動を行わなくても活動を継続できる団体やチームが数多く存在していました。
しかし、時代は変わり、"実力主義" の波が自転車界にも確実に押し寄せてきています。
宇都宮ブリッツェンは、トップランナーとして、その "波" との戦いを今後も続けていくことになるでしょう。