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【栗村修】
一般財団法人日本自転車普及協会
1971年神奈川県生まれ
中学生のときにTVで観たツール・ド・フランスに魅せられロードレースの世界へ。17歳で高校を中退し本場フランスへロードレース留学。その後ヨーロッパのプロチームと契約するなど29歳で現役を引退するまで内外で活躍した。引退後は国内プロチームの監督を務める一方でJ SPORTSサイクルロードレース解説者としても精力的に活動。豊富な経験を生かしたユニークな解説で多くの人たちをロードレースの世界に引きずり込む。現在は国内最大規模のステージレース「ツアー・オブ・ジャパン」の組織委員会委員長としてレース運営の仕事に就いている。
フランス上院のドーピング調査委員会は、1998年ツール・ド・フランス期間中に採取された尿サンプル(全選手分ではない)から禁止薬物(黒=18名、グレー=12名)が検出されたと発表しました。
自転車ロードレースに詳しい人であればこの内容をみて驚くことはなかったと思います。
問題は、この発表に対する当事者を含めた関係者の反応です。
ブラックリストに名前が挙がったジャラベールのコメント
『今回のEPO陽性については認めるがあくまでONCEの医療スタッフに従った上での結果だった。』
ジャラベール所属チーム
1989 Toshiba (France)
1990 Toshiba (France)
1991 Toshiba (France)
1992 ONCE (Spain)
1993 ONCE (Spain)
1994 ONCE (Spain)
1995 ONCE (Spain)
1996 ONCE (Spain)
1997 ONCE (Spain)
1998 ONCE (Spain)
1999 ONCE (Spain)
2000 ONCE (Spain)
2001 CSC (Denmark)
2002 CSC (Denmark)
グレーリストに名前が挙がったオグレディのコメント
『1998年ツールでのEPO使用は認めるが全て自分個人の判断であり所属チームなどは関与していなかった。フェスティナ・アフェアが起こったあと全てを処分し、それがそれらに触れた最後だった。 』
オグレディ所属チーム
1995 Gan (France)
1996 Gan (France)
1997 Gan (France)
1998 Credit Agricole (France)
1999 Credit Agricole (France)
2000 Credit Agricole (France)
2001 Credit Agricole (France)
2002 Credit Agricole (France)
2003 Credit Agricole (France)
2004 Cofidis (France)
2005 Cofidis (France)
2006 CSC (Denmark)
2007 CSC (Denmark)
2008 CSC (Denmark)
2009 Saxo Bank (Denmark)
2010 Saxo Bank (Denmark)
2011 Leopard (Luxemburg)
2012 Orica GreenEdge (Australia)
2013 Orica GreenEdge (Australia)
ちなみに、ブラックリストに名前が挙がったブライレヴェンスはベルキンのスポーツディレクターを解雇され、同様にブラックリスト入りしたオラーノもヴエルタのテクニカルディレクター職を失っています。
相変わらず大多数の関係者が多くの真実を隠そうとしている様です。
出てきたものだけを認め、それ以外は自転車ロードレース界の“掟”を守るべく葬り去る…
今年のツール期間中にある大物選手が次のようにコメントしました。
『ぼくはこれまでずっとクリーンな状態でレースをしてきた。』
現在のプロコンチネンタルチームとUCIプロチームに限っていえば(コンチネンタルチーム以下の汚染度は加速しているともいわれている)、ピーク時に比べてクリーンになってきているのは事実だと思います。
しかし、“平気で嘘をつく”という本場ヨーロッパの自転車界に根付く伝統もしっかりと守られているようです。
かつて現役選手としてドーピング問題を訴え、その結果変人扱いされて引退に追いやられてしまったクリストフ・バッソンのコメントが印象的でした。
『このリストをみても私は何も驚かない。新しい世代は同じ過ちは繰り返さないだろう。しかし、嘘をついてきた多くの関係者が未だにチーム代表やTVコンサルタント、コーチ、その他としてこの世界に生き残っている。私はそれらをクリーンにすることがまず必要だと思う。そして、2013年のツールでもまだ何人かの選手が過ちを犯していただろう。』