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【栗村修】
一般財団法人日本自転車普及協会
1971年神奈川県生まれ
中学生のときにTVで観たツール・ド・フランスに魅せられロードレースの世界へ。17歳で高校を中退し本場フランスへロードレース留学。その後ヨーロッパのプロチームと契約するなど29歳で現役を引退するまで内外で活躍した。引退後は国内プロチームの監督を務める一方でJ SPORTSサイクルロードレース解説者としても精力的に活動。豊富な経験を生かしたユニークな解説で多くの人たちをロードレースの世界に引きずり込む。現在は国内最大規模のステージレース「ツアー・オブ・ジャパン」の組織委員会委員長としてレース運営の仕事に就いている。
photo(c):Tatsuya.Sakamoto/STUDIO NOUTIS
今シーズンのラストレースとなる『ツール・ド・おきなわ』が終了しました。
最後は18名と比較的大きなグループでのスプリント勝負となり、2010年のジャパンカップクリテリウムの覇者、ドラパックサイクリングのトーマス・パルマーが圧倒的なスピードで集団を制して優勝を飾りました。
宇都宮ブリッツェン勢では、レース序盤から集団前方で多くのアタックに反応し続けた飯野選手が最後まで先頭グループに残り、トップと同タイムの11位でゴールしました。
シーズンを通して全てのレースで高い集中力を要求される宇都宮ブリッツェンの選手たちにとって、11月下旬のレースで良いパフォーマンスを発揮することは決して容易なことではありません。
今回は地元沖縄出身の普久原選手がエースを担当し、出走3名と少ない戦力ながらも現実的な目標として勝利を狙ってレースに挑みました。
しかし普久原選手は最後の上りで先頭集団から離れてしまい、ゴール後には静かに自分自身を責め続けていました。
Jプロツアー最終戦の輪島ロードが終わってからも中村選手とともに寒い宇都宮でトレーニングを続けてきた普久原選手にとって、今回の結果は受け入れがたいものだったと思います。
一方で、アシストとしてこのレースに初めて出場した飯野選手は、序盤から積極的にアタック合戦に加わり、中盤はメイン集団のローテーションに入り、勝負どころとなる後半のアップダウン区間でも殆どのアタックに反応していました。
一般のレースレポートなどには飯野選手の強さは取り上げられないかもしれませんが、ゴール後に多くの有力選手たちが『飯野が強かった』という言葉を口にしていたのがとても印象的でした。
レース後の普久原選手と飯野選手というのは一見すると対照的な存在に見えたかもしれません。
右肩上がりで進化し続ける若手選手…
色々なことを要求されながらも自らの進化も求め続けるベテラン選手…
今の普久原選手を見ている、チームミヤタ時代の柿沼コーチを思い出します。
自らへの飽くなき向上心と、周囲から求められるリーダーとしての資質…
選手には2つの時間帯と価値があると思っています。
自らが成長することで時代を創りあげる時間帯と、自らの経験を次世代に受け継いで未来を創りあげる時間帯…
どちらにも価値はありますが、私にとっては後者の方がより重要となります。
チームが強くなるには優秀なベテラン選手が数名必要です。
中村選手もある意味で普久原選手と同じ苦しみと戦っているといえます。
飯野選手の素晴らしい成長というのは、彼が持っている資質が大きく関係しています。
彼には才能があります。
しかし、それを引き出したのは間違いなく宇都宮ブリッツェンのベテラン選手たちなのです。
ロードレースの選手に『力こぶ』は必要ないということを知った飯野選手は、シーズン開始時とは違った体つきとなってきました。
ロードレースというスポーツはルール上個人競技です。
しかし、実際には全ての面においてチームスポーツであるといえます。
これからも普久原選手と中村選手には妥協せずに自らを高め続けていって欲しいと思っています。
そんな彼らの背中を見て何かに気がついた数名の若手選手たちが、次世代を創る選手に育っていくのですから。
今シーズンも全てのレースでたくさんのご声援をいただき本当にありがとうございました。
来季もこれまで同様により高いところを目指してがんばって参りますので引き続き宜しくお願いいたします。
僕たちが走り続けられるのは皆さんのお陰です。
心からありがとうございます。