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【栗村修】
一般財団法人日本自転車普及協会
1971年神奈川県生まれ
中学生のときにTVで観たツール・ド・フランスに魅せられロードレースの世界へ。17歳で高校を中退し本場フランスへロードレース留学。その後ヨーロッパのプロチームと契約するなど29歳で現役を引退するまで内外で活躍した。引退後は国内プロチームの監督を務める一方でJ SPORTSサイクルロードレース解説者としても精力的に活動。豊富な経験を生かしたユニークな解説で多くの人たちをロードレースの世界に引きずり込む。現在は国内最大規模のステージレース「ツアー・オブ・ジャパン」の組織委員会委員長としてレース運営の仕事に就いている。
世の中には、周りから「イイ人」と思われている人と、逆に「ワルイ人」と認識されている人がいます。
この「善」と「悪」の判断基準とはいったいどこにあるのでしょうか?
ものすごくアバウトに表現するならば、大半の人にとっての「イイ人」とは、評価する人にとって評価対象の人間が「都合が良い」人なのかどうかをさしている気がします。
「都合が良い」というのは、自分と価値観が似ている、自分が持つ道徳心に近い行動をとっている、自分の言うことを聞く、自分の面倒をみてくれる、自分と嫌いな人が一緒、などなど、その理由は多岐に渡っていると思います。
では「ワルイ人」カテゴリーの人は?
これまたアバウトに表現するならば、単に上記の要素を逆さまに考えれば成立してしまうのでしょう。
もちろん、世の中には物事を客観的に分析できる人もたくさんいるわけですから、違った尺度で判断を行うことも多々あるはずです。
ただ、どちらにしても、判断を下す上で一定の価値観が必要になり、結局は「自分にとって…」という表現は残ることになります。
誰を信じていいのか?
何を信じればいいのか?
善悪とは何を基準に判断すればいいのか?
少なくとも「自分にとって…」という利己的な基準で判断はしたくないものです。
偽善的だとはわかっていますが、全ての人を最後まで信じることができれば、本質がみえてくるのかもしれません。
あっ、特に深い意味はまったくありませんので…(^-^;