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サイクル ロードレース コラム 2017年6月1日

【ツールに恋して~珠玉のストーリー21選~】日本にロードレースブームを巻き起こした男の「勝利」への飽くなき執念

ツールに恋して~珠玉のストーリー21選~ by 山口 和幸
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※本企画は2017年に実施されたものです。予めご了承ください。

世界中の自転車ファンを魅了して止まないTour de France。男たちの激闘の裏に隠されたHUMAN DRAMAに僕らは胸を打つ。ここに紡ぐ珠玉のストーリー21選があなたに届くとき、聞こえるのはきっと、ツールへの恋の予感

【STAGE 03】フランスの英雄、ベルナール・イノー(フランス)

フランスのベルナール・イノーと言えばジャージの胸元を引き裂いて走るほど荒々しい性格で、集団を統率するような存在感に満ちあふれていた。それと同時に最新鋭機材を次々と導入。空気抵抗を軽減して少しでも速く走れるようにと涙滴断面のエアロチューブを駆使し、スキー靴を板に固定する機能を自転車に流用したルック社製のビンディングペダルを使用。ツール・ド・フランス以外にもジロ・デ・イタリア3勝、ブエルタ・ア・エスパーニャ2勝、世界選手権ロード優勝などあらゆるメジャーレースを総ナメにした。ニックネームは「ブルターニュの穴グマ」。

1985年はNHKが初めて現地取材に乗り込み、「世界最大の自転車レース、ツール・ド・フランス」と題した特集番組を報じた。多くの日本人が「こんなスポーツがあるんだ」と初めて知らされたのだが、さらにはこれがきっかけとなって自転車界にロードバイクブームが到来する。

前年の覇者、パリ生まれのローラン・フィニョンは故障により欠場していた。初日はイノーが5回目となるプロローグ優勝を果たすのだが、イノーは最大のライバルがチーム内にいることに気づく。前年に総合3位と新人王を獲得した米国のグレッグ・レモンだ。イノーはだれがエースであるかを明確にするため、第8ステージの75kmタイムトライアルでレモンに2分34秒差をつけて優勝するとともに、首位に立った。さらにアルプスでは、区間勝利をねらって飛び出したコロンビアの山岳王ルイス・エレラと協力して、後続に残ったレモンとの差を広げた。

イノーの5回目の総合優勝は決定的かと思われた。

しかしエレラが制した第14ステージで、2位をねらったゴールスプリントに参加したイノーがクラッシュ。鼻骨を折り、顔面から真っ赤な血をしたたらせながらなんとかゴールラインを通過した。翌日はスタートを切ることができたが、息をするのもやっとも状態。

マイヨジョーヌを着用するエースのアシスト役であるレモンは、他チームのアタックに加わらないように自分の心をコントロールした。今ならエース交替も想定できるほどのイノーの負傷だったが、フランス選手が最多勝利にあと一歩という状況で、米国選手が代役で栄冠を手中にすることなど許されない雰囲気だった。

レモンは最終日前日の個人タイムトライアルを勝ち、米国選手初の区間優勝者という記録に甘んじた。

チームメートに援護されたイノーは5回目の総合優勝を決め、伝説的な存在であるアンクティルとメルクスに並んだ。イノーにしてみれば不用意な落車がなければ苦戦することなく優勝できていたはずで、レモンはエースを裏切りさえすれば初優勝できたはずだ。

1986年。「来年は優勝を譲る」というイノーの言葉を信じて、レモンはこの年のレースをスタートした。

しかしイノーの胸中には「あと1勝すれば不滅の記録が手に入る」という考えがあった。

大会2日目の第1ステージでイノーはレモンに44秒差をつけ、ピレネーの初日に山岳派のペドロ・デルガドと逃げ去った。第12ステージが終わってレモンはイノーに4分36秒離されている現状を知る。

写真:グレッグ・レモン

翌日のピレネー、ツールマレーの下りでイノーは再びアタックした。チームのエースはレモンであるはずで、それに対してチームメートが攻撃を仕掛けることはセオリーでは考えられない。「優勝を譲る」と約束したイノーがその言葉を撤回したとみる行動だった。

「昨年の約束はどこにいったんだ」と叫ぶレモン。

激怒したレモンは、ペイルスールド峠でイノーを逆転し、ゴールのシュペルバニェールまで独走した。レモンは4日後のアルプスでようやく約束のマイヨジョーヌを手中にする。

翌日はツール・ド・フランス最高の舞台と言われるラルプデュエズス。数々の名勝負がこのアルプスの激坂で演じられ、この年も大観衆が詰めかけていた。イノーとレモンは2人でアタックを決めてコース途中のガリビエ峠を駆け下りると、クロワドフェール峠を仲よく上り、その下りを時速100kmで先頭交代しながら走った。

大観衆で埋もれたラルプデュエズで、レモンは稀代のパフォーマンスを見せつける。2人は途中の上り坂で補給食のタルトを分け合った。そして総合優勝をねらうエースとそれを助けるアシストという役どころが明らかになるように、最後は手に手を取りながらも、イノーに先行させて区間優勝をプレゼントするのだ。

イノーと同タイムでゴールしたことでレモンは総合優勝を確定づけた。先着することで区間勝利を譲られたイノーは苦虫をかみつぶしてゴール。イノーはこの年のオフに引退するのだが、1985年が地元フランス勢にとって最後の総合優勝となっている。

代替画像

山口 和幸

ツール・ド・フランス取材歴25年のスポーツジャーナリスト。自転車をはじめ、卓球・陸上・ボート競技などを追い、日刊スポーツ、東京中日スポーツ、Number、Tarzan、YAHOO!ニュースなどで執筆。日本国内で行われる自転車の国際大会では広報を歴任。著書に『シマノ~世界を制した自転車パーツ~堺の町工場が世界標準となるまで』(光文社)。2013年6月18日に講談社現代新書『ツール・ド・フランス』を上梓。青山学院大学文学部フランス文学科卒。

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