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サイクル ロードレース コラム 2017年6月15日

【ツールに恋して~珠玉のストーリー21選~】誰からも愛された美しき王者、ペドロ・デルガドの物語

ツールに恋して~珠玉のストーリー21選~ by 山口 和幸
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※本企画は2017年に実施されたものです。予めご了承ください。

世界中の自転車ファンを魅了して止まないTour de France。男たちの激闘の裏に隠されたHUMAN DRAMAに僕らは胸を打つ。ここに紡ぐ珠玉のストーリー21選があなたに届くとき、聞こえるのはきっと、ツールへの恋の予感。

【STAGE 11】優しさと強さを兼ね揃えた、ペドロ・デルガド

ペドロ・デルガドは端整な顔立ちと温厚な性格で人気の高かったスペインの山岳スペシャリストだ。1986年のツール・ド・フランスは母急死の報を受けてレース中に涙ながらにリタイアした。1987年は得意の山岳で首位に躍り出たものの、最後のタイムトライアルでロッシュに逆転されて総合2位となった。1988年にミゲール・インデュラインらのアシストを利して悲願の初優勝。ブエルタ・ア・エスパーニャでも1985年と1989年に総合優勝した。

デルガドは首都マドリードに近いセゴビアに生まれた。貧しい家庭環境だったようで、新聞配達をしてかせいだお金でロードバイクを購入した。学校を出ると生活のために看護士として働くのだが、1982年にプロ選手となる道を選んだ。すでに22歳だった。

1989年のツール・ド・フランスは米国のグレッグ・レモンが最終日にフランスのローラン・フィニョンを8秒差で逆転するなどドラマチックなフィナーレで知られている。しかしその大会の初日、プロローグで前代未聞の事態が発生したことも語りぐさになっている。

初日は顔見世興行として、距離の短い個人タイムトライアルが行われる。最初のマイヨジョーヌをだれが獲得するのかが興味どころで、総合成績にはそれほど影響しない。ところがこの年、ハプニングが起こった。前年の覇者としてマイヨジョーヌを着用して登場する最終走者が出走時間になってもこなかったのだ。

前年の覇者はもちろんデルガドだ。スタート時間に遅刻し、あわてて出走台に飛び上がって走ったものの、時計はすでにカウントされていたので記録は最下位だった。デルガドはその後の山岳ステージで必死にタイムを詰めていき、最終的にはシャンゼリゼで3位の表彰台に上った。あの遅刻がなかったらデルガドは果たして優勝できていたんじゃないか。記者の多くが本人に質問したが、デルガドは 「そんなことはないよ」とあくまでもさわやかな表情で返答していた。

そんなデルガドを献身的にアシストしていたのが、スペイン北部のバスク地方で生まれたインデュラインだった。インデュラインがツール・ド・フランスで初優勝する1991年も、スタート時はデルガドがエース。もっと正確には第8ステージの個人タイムトライアルで、インデュラインがレモンやブーニョを上回るトップタイムで区間勝利するまでエースはデルガドだった。

そのときを悟ったデルガドはこれまでの彼の働きに感謝するように、なんのためらいもなくエースの座を譲り渡す。それがまた実にカッコよかった。ファンが新聞の切れ端を突き出しても丸っこい文字でていねいにサインに応じる。どこか憎めないナイスガイ。今日でも現役時代と変わらないスマートさがあって、スペインのテレビ局の解説を務めている。

代替画像

山口 和幸

ツール・ド・フランス取材歴25年のスポーツジャーナリスト。自転車をはじめ、卓球・陸上・ボート競技などを追い、日刊スポーツ、東京中日スポーツ、Number、Tarzan、YAHOO!ニュースなどで執筆。日本国内で行われる自転車の国際大会では広報を歴任。著書に『シマノ~世界を制した自転車パーツ~堺の町工場が世界標準となるまで』(光文社)。2013年6月18日に講談社現代新書『ツール・ド・フランス』を上梓。青山学院大学文学部フランス文学科卒。

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