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サイクル ロードレース コラム 2017年6月16日

【ツールに恋して~珠玉のストーリー21選~】前人未踏の5連覇を成し遂げた心優しきマイヨ・ジョーヌ、インデュライン

ツールに恋して~珠玉のストーリー21選~ by 山口 和幸
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※本企画は2017年に実施されたものです。予めご了承ください。

世界中の自転車ファンを魅了して止まないTour de France。男たちの激闘の裏に隠されたHUMAN DRAMAに僕らは胸を打つ。ここに紡ぐ珠玉のストーリー21選があなたに届くとき、聞こえるのはきっと、ツールへの恋の予感。

【STAGE 12】素晴らしき人格者、インデュライン

「ロワソレイユ=太陽王」、あるいは「心優しきマタドール(闘牛士)」といわれたミゲール・インデュラインは、その謙虚な性格によってチームメートどころか一緒に走る選手全員から尊敬される存在だった。常に冷静で欠点を見せない走りでライバルたちのやる気を奪っていった。山岳ステージで上りのスペシャリストに追従し、得意の個人タイムトライアルで圧勝する。まさにそれはスペインの無敵艦隊のようだった。

スペイン北部のバスク地方で生まれたインデュラインは、1984年にバネストの前身であるレイノルズでプロデビューした。188cmと大柄だが、山岳スペシャリストとして徐々に経験を積み重ねていく。ほかのスーパースターと違うところは、下積み生活が長かったこと。1988年はアシストとしてペドロ・デルガドの総合優勝に大きく貢献した。

その後2年間は春のパリ~ニースでエースに起用され、2年連続で総合優勝を達成。しかしツール・ド・フランスでは依然、スペインの人気者であるデルガドのアシストだった。

インデュラインが初優勝する1991年も、スタート時はデルガドがエースだった。しかし第8ステージの個人タイムトライアルで、インデュラインがトップタイムで区間勝利。ライバルチームのマークが厳しいデルガドは、得意の山岳で封じ込まれている。だったら個人の実力だけでタイムを稼ぐことができるインデュラインのほうが最終的に総合優勝の可能性が高い。チームはここでデルガドからインデュラインにエースを交替した。

続くピレネーの山岳ステージで、インデュラインは上りに強いクラウディオ・キャプーチと逃げ、3年連続4度目の総合優勝をねらっていたグレッグ・レモンに大差をつけて総合1位に立った。それがインデュライン時代の幕開けだった。インデュラインは最終日のパリまで逃げ切り、初優勝を遂げた。

インデュラインはその後、1995年まで完全無欠の走りでライバルにつけいるすきを与えることなく前人未踏の5連覇を達成。「一度たりともインデュラインに勝てると感じたことはなかった。2位で終わったとしても満足だ」。スペインの無敵艦隊と運悪く時を同じくしてしまったライバルたちが口をそろえた。

レースを終えてもインデュラインの優しさには定評があった。サインひとつとっても、インデュラインはスペイン国王からホテルの前に陣取る子供たちまで同じサインを書いてみせる。嫌みのない対応は人々の心を釘付けにして十分あまりあるものだ。

現在はバスク地方の生家で謙虚な生活を送っているという。それがまたインデュラインらしいところだ。ツール・ド・フランスが興行とスポーツという狭間に揺れ動いた時代の王者として、彼の記憶から受ける印象にはネガティブなものがない。よき時代のマイヨ・ジョーヌなのである。

代替画像

山口 和幸

ツール・ド・フランス取材歴25年のスポーツジャーナリスト。自転車をはじめ、卓球・陸上・ボート競技などを追い、日刊スポーツ、東京中日スポーツ、Number、Tarzan、YAHOO!ニュースなどで執筆。日本国内で行われる自転車の国際大会では広報を歴任。著書に『シマノ~世界を制した自転車パーツ~堺の町工場が世界標準となるまで』(光文社)。2013年6月18日に講談社現代新書『ツール・ド・フランス』を上梓。青山学院大学文学部フランス文学科卒。

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