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サイクル ロードレース コラム 2017年6月29日

【ツールに恋して~珠玉のストーリー21選~】「イル・ピラータ(海賊)」と呼ばれた男の数奇な運命。

ツールに恋して~珠玉のストーリー21選~ by 山口 和幸
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※本企画は2017年に実施されたものです。予めご了承ください。

世界中の自転車ファンを魅了して止まないTour de France。男たちの激闘の裏に隠されたHUMAN DRAMAに僕らは胸を打つ。ここに紡ぐ珠玉のストーリー21選があなたに届くとき、聞こえるのはきっと、ツールへの恋の予感。

【STAGE 19】イタリアが生んだ伝説、マルコ・パンターニ(イタリア)

同じ年にジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスの両方を制することを「ダブルツール」と呼ぶが、一番最近のダブルツール達成者は1998年のマルコ・パンターニだ。しかもそれ以外の達成者がタイムトライアルを得意とするオールラウンダーであるのに対して、山岳スペシャリストはこのパンターニしかいない。

伝説的な選手だった。メジャー勝利以外は目もくれなかった。ジロ・デ・イタリアやツール・ド・フランスでも最難関のステージで独走を果たした。イタリアのファンでなくてもその実力にひかれ、世界中に多くのファンを持つようになった。

1995年のツール・ド・フランスでミゲール・インデュラインと渡り合う。ステージ2勝と2年連続の新人賞という成績にイタリアファンは満足していなかったが、それでもその将来性は十分だった。ところがそのシーズンの終わりに開催されたミラノ~トリノで、コースを逆走してきたクルマに正面衝突して大腿骨を骨折。不世出のヒルクライマーは翌シーズンを棒に振った。

しかし「イル・ピラータ(海賊)」と呼ばれた男の不屈の魂はなえるものではなかった。1997年のツール・ド・フランスでは、最難関のラルプデュエズで圧勝。このときの登坂記録は現在もラルプデュエズの登坂最速記録として、だれにも破られていない。さらにステージ1勝を重ねて総合3位に入った。

そして1998年にジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスで優勝し、選手生活の絶頂期を迎えた。しかしその後は不運がつきまとった。1999年のジロ・デ・イタリアで区間4勝と圧勝し、2連覇が目前となった最終日前日に、パンターニは血液検査でヘマトクリット値(血液中の赤血球の濃度)が50%を超えたため、健康上の理由で出場停止処分を受けてしまうのだ。

さらにその後はドーピング騒動の渦中にもなり、自動車事故を起こすなど私生活でもトラブルを起こした。才能に恵まれたはずのレーサーが活躍の場を失ったことで精神的に打ちのめされたのは明らかだった。2004年2月14日にイタリアの小さなホテルの一室で床に倒れて死んでいるのを発見された。

司法解剖の結果、前日の14日に死亡したこと、脳と肺に水腫があったことが明らかになり、死因はコカイン摂取過多と報じられた。

「ボクは完全に孤立している。みんなドーピングに関して疑いのまなざしを向ける」という走り書きも見つかった。アパートではチェックインしてから死亡するまでの5日間、食事以外は部屋に閉じこもりがちで、外部との接触を嫌っていたという。

それでもパンターニの人気は現在でも絶大だ。ジロ・デ・イタリアの沿道はもちろん、ツール・ド・フランスでもパンターニの名前が路面にペイントされているのを今でも目撃する。あまりにもドラマチックな走りを見せつけたスーパーヒーローは、あっという間にファンの目の前から消えてなくなった。

代替画像

山口 和幸

ツール・ド・フランス取材歴25年のスポーツジャーナリスト。自転車をはじめ、卓球・陸上・ボート競技などを追い、日刊スポーツ、東京中日スポーツ、Number、Tarzan、YAHOO!ニュースなどで執筆。日本国内で行われる自転車の国際大会では広報を歴任。著書に『シマノ~世界を制した自転車パーツ~堺の町工場が世界標準となるまで』(光文社)。2013年6月18日に講談社現代新書『ツール・ド・フランス』を上梓。青山学院大学文学部フランス文学科卒。

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