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バドミントン コラム 2024年5月24日

別々の道を考えていた「ナガマツ」、悔いの残った五輪へ2人で再挑戦

バド×レポ by 平野 貴也
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松本麻佑と永原和可那

もう一度「ナガマツ」で五輪へ。悔いが残った東京五輪を経て、再挑戦を決めた2人がパリの舞台に挑む。日本バドミントン協会は、5月21日に都内でパリ五輪出場選手の内定発表会見を行った。日本勢同士の出場権争いが最も激しかった女子ダブルスは、2組が出場。ともに170センチ台の長身ペアである松本麻佑永原和可那(北都銀行)は、2大会連続の五輪出場となる。前回は、準々決勝でマッチポイントから逆転負けを喫し、メダルに手が届かなかった。永原は、会見で「東京五輪での悔しさを、パリの舞台で(ぶつけて)もう一度挑戦したい思いで戦って来た。後悔がないように、自分たちのプレーを出せるように頑張りたい」と再挑戦にかける思いを話した。

■東京五輪での引退を考えていた永原、コロナ禍で方針転換

「ナガマツ」でのパリ五輪挑戦は、当初、2人の予定になかった。永原は、東京五輪を区切りに現役引退を考え、松本は、別のペアでのパリ挑戦を考えていた。しかし、東京五輪を目前に控えた2020年、世界がコロナ禍に見舞われ、永原の考えに変化が生じた。
「コロナ禍で、全然、バドミントンができなかった。2週間も3週間も、まったく練習しなかったのは、人生で初めて。生き甲斐がなくなったというか、本当につまらない日々になってしまった。私は、バドミントンが生き甲斐になっていたんだと気付けて、まだやりたい気持ちが出て来た」(永原)
引退の先送りは、パートナーである松本にも伝えた。ただ、その段階では、まだパリ五輪まで挑戦するとは言い切れず、東京五輪後の目標をしっかりとは持てていなかったという。

一方の松本は、東京五輪後に組む新しいパートナーを見つけようと動き出したが、コロナ禍で先行きが不透明な中、思うようには進まなかった。永原から現役続行の意思を伝えられた段階から、ペア継続について「雰囲気はちょっと感じていた」ことと、東京五輪が2021年開催に延期され、24年パリ五輪までの準備期間が1年短くなったことを考慮。「やっぱり、新しい人と組んでパリを目指すのは、ちょっと難しいかなと思うようになった。もう1回(ナガマツペアで挑戦する)チャンスがあるなら、組んで目指す形でもいいのかなと思っていた」と当時を振り返った。東京五輪でメダルを逃し、永原はパリへの再挑戦を決意。ペアを継続して目指したいと伝えられた松本が了承し、2人での再挑戦が決まった。

■追い込まれたレース終盤、ベスト4の壁を乗り越える

ただし、今回も出場権獲得の道のりは、険しかった。松本は「ベスト8までコンスタントに勝ち上がっていたことが、後半になって、自分たちを苦しめた」と話したとおり、終盤は難しい戦いを強いられた。五輪レースランクに反映できるポイントは、好成績の10大会分のみ。8強のポイントで埋め尽くされ、終盤は大きな大会で準決勝以上に進む必要が生じたからだ。殻を破ったのは、年が明けてから。1月のインドオープンで、約3年ぶりのワールドツアー優勝。五輪レースランクで日本勢2番手に浮上した。さらに3月、パリ五輪のプレ大会として行われたフランスオープンでベスト4。ようやく、世界のトップを争う2人の姿が戻って来た。

■今では認める、異なる特長への理解不足

爆発的な攻撃力を持つ長身ペアは、世界が認める存在だ。五輪2大会連続出場だけでなく、世界選手権では4大会連続のメダルを獲得している(18年、19年に連覇、21年、22年に銅)。しかし、初めは、かみ合わないペアだった。長身という共通項があるものの、性格や特長は異なる。永原は、何事も粘り強く、実直で丁寧に続けられる力がある。一方の松本は、継続性よりもひらめきや爆発力が武器。組み始めた当初は、互いのプレーに、不満を抱えていた。永原は「最初は、いきなり(松本に)冒険した球を打たれてビックリして、どうしていいか分からなかった。今となれば、その松本の一発が決めてくれる信頼もある。自分には打てない球もたくさん持っていて、すごく助けてもらっています」と理解が進んだことに触れたが、逆を言えば、以前は、互いの異なる特長への理解を欠いていた。「最初は(松本が必要以上に難しいプレーにトライして)コートの緑(のマット)より外に打ってしまうこともあって、えーっ!? みたいなこともありました」と苦笑いを浮かべた。

一方、松本は、自分のアグレッシブなプレーがミスとなって失点を生むことに気付き始めたが、永原がつなぐばかりで相手を崩す球を思い切って仕掛けないため、自分が持ち味を発揮しなければいけないと思い、葛藤を抱えていた。「逆に(永原も)やれよみたいな感じの雰囲気は、多分、出していたと思う」と笑って、当時を振り返った。

■躍進のきっかけは前後逆転プレー、世界を驚かせた大ブレイク

だが、日本B代表に入り、どちらかの長所だけでは世界に通用しないことを感じ始めた2人は、次第に、自分とは異なるパートナーの特長を、ペアの武器として受け入れるようになった。進化が、大きな成果となって表れたのは、東京五輪の出場権獲得レースを翌年に控えてA代表入りを果たした2018年だった。松本は「持ち味や性格が違う分、ないものを補い合えるし、自分が強化しなければいけない部分が分かりやすい。(18年の)世界選手権で、前衛と後衛が入れ替わったところもあって、互いの良さを知った気がします」と話した。
2018年の世界選手権は、日本勢4番手の補欠繰り上がりから世界の頂点に立つ大ブレイクを起こした。それまでは、松本が後衛、永原が前衛。ただ、世界の強豪が相手になると、松本が得意とする一撃の強打が簡単には決まらなくなり、課題だったスタミナ不足に直面した。しかし、立ち位置を入れ替えるプレーが奏功した。体力と継続性のある永原が後ろから粘り強くスマッシュを打ち続け、返球が甘くなったところで、思い切りの良さがある松本が前衛から強烈な一撃を見舞う形が機能した。松本は、永原の粘り強さの価値を知った。同時に、延々と強打を打ち続けても決め切れなかった永原は、世界を相手に点を取れる、思い切りの良い松本のショットがどれだけ貴重であるかを知った。

世界で勝つという目標を見据えて互いを認め、理解し、歩んで来た。集大成の場となるパリの舞台では、東京の悔しさを晴らす。その思いは強いが、松本は「五輪に出るからには、絶対にメダルを持って帰りたい。でも、多分、金メダル…金メダル…となり過ぎると、取りこぼす。前回がそういう感じだったので、あまり金メダルを取りたいとは(事前から)言いたくないと永原にも監督にも話していた」と目標意識や表現の仕方もすり合わせてきたことを明かした。もう一度2人で目指すと決めた五輪。互いの長所を生かし合う連係プレーで、メダルをつかみ取る。

文:平野 貴也
平野貴也

平野 貴也

1979年生まれ。東京都出身。
スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集・記者を経て、2009年に独立。サッカーをメーンに各競技を取材している。取材現場でよく雨が降ることは内緒。

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