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フィギュア スケート コラム 2025年3月11日

浅田真央 前編「バンクーバーが最初の五輪だと思っていた」 | フィギュアスケーターのオアシス♪ KENJIの部屋

フィギュアスケートレポート by J SPORTS 編集部
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現役当時の記憶を振り返る浅田真央さん

現役当時の記憶を振り返る浅田真央さん

フィギュアスケートファンの“もっと選手の素顔を知りたい!”という熱い想いに応えるべくスタートした、「フィギュアスケーターのオアシス♪ KENJIの部屋」。元アイスダンサーであり世界を股にかけ活躍するコレオグラファー(振付師)宮本賢二が日本を代表するトップスケーターをゲストに迎えてお届けします。

今回のゲストは浅田真央さん。幼い頃から天才少女と呼ばれ、日本の女子フィギュアスケート界を牽引。今もなお多くのファンに愛されている浅田さんがスケートリンクをオープン。長年の夢だった「MAO RINK TACHIKAWA TACHIHI」を舞台に、KENJIの部屋をお届けします。

ここでは番組の書き起こしコラムを全3回に分けてお届け。2回目は、浅田さんの軌跡と題してシニアデビューからの時間を振り返ります。

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浅田真央の軌跡

KENJI:ここからは年表を見ながら、キャリアを振り返っていきたいと思います。まずは2005〜06シーズン。シニア転向1年目からすごい活躍でしたよね。

浅田:グランプリファイナルで入賞しちゃったんですけど……当時のことを思うと、これがグランプリシリーズ。これがグランプリファイナルっていうことが全くわからなくて。グランプリシリーズに勝ち残った人がグランプリファイナルに行けるというのも全然わからないまま出ていたんです。

KENJI:出たら勝って「次がファイナルです」って出て優勝してみたいな感じ?

浅田:そうなんです。何がどういう試合なのかも全然わかっていないまま出ていました。

KENJI:それはすごい。1年目の印象はどうだった?

浅田:私が子どもの頃からずっとテレビで見ていた憧れのスケーターと一緒に滑れるうれしさと、憧れのスケーターのみなさんに挑戦したら、どれだけ勝っていけるのかなっていうワクワクした気持ちで、何も怖いものはなかったですね。

KENJI:ジュニアとの違いは?

浅田:ジュニアは同世代のスケーターもいて「負けたくない」っていう思いでずっと試合に出ていました。でもシニアは私よりも上の憧れのスケーターのみなさんと一緒に滑らせてもらえる。それが、本当にワクワクした気持ちでした。

KENJI:楽しくて仕方がなかった?

浅田:すごくスケートって楽しいなって思いましたね。初めて出た全日本選手権もそうですけど、その頃ぐらいから「スケートって楽しい」と思うようになりました。

五輪の思い出や当時の苦労について話す2人

五輪の思い出や当時の苦労について話す2人

トリノ五輪出場について

KENJI:真央ちゃん自身は、トリノ五輪についてはどう感じていました?

浅田:小学6年生ぐらいの時に「トリノは年齢制限で出られないから、次のバンクーバーを目指す」って思っていました。たまたまトリノシーズンにすごく調子がよくて優勝などしちゃっいましたが、自分の中では、バンクーバーが最初の五輪だと思っていたんですよね。

KENJI:結構、周囲が騒いでいたもんね。

浅田:そうですね。ルールはルール。出られたらラッキーですけど、でも特に「出たい」という気持ちはなかったです。

KENJI:なるほど、落ち着いていたんだね。続いては2006〜07シーズンですけど、このシーズンは全日本選手権で初優勝。世界選手権も初出場で2位。思い出に残っていることは?

浅田:このシーズンは「世界選手権も何だろう」ぐらいな感じだったので、とにかく出るからには「優勝したい」っていうのがずっとありました。なので、すごく悔しかったっていうのは覚えていますね。

KENJI:そうなんや。悔しかったんだ。この時に拠点をアメリカに移したの? 気持ちの変化はあった?

浅田:このシーズンでは、海外に拠点が移っていたので、その前のシーズンぐらいからですね。ずっと日本でやっていて、振り付けだけ海外に行っていたんですけど、生活がガラリと変わって。当時はすごく楽しかったですね。やっぱり見たことのない景色だったり、いろいろな指導だったり。すごく楽しかった思い出があります。

スケート人生で初めての大きなケガ

KENJI:ここまでずっと楽しい感じ?

浅田:そうですね、ここまではですけど。2007〜08シーズンは足首にケガをしていて。スケート人生の中での大きなケガは、多分この時が最初で、それ以外はほとんどなかったんですね。試合の2週間ぐらい前に足首を痛めてしまって、ジャンプを再開したのは1週間前でした。でも、思っている以上にすごくいい状態で試合に臨めたんです。

KENJI:1週間前だと不安だと思うし、休んでいる時も気持ちは休まらないよね。

浅田:はい。片足で滑ったり、トレーニングをしたり。その前でしっかり練習はできていたのですが、やっぱり使えないとなると筋力がすぐに落ちてしまうので、足首を使わないトレーニングをして、何の問題もなくという感じでした。あの時は、アスリートでしたね。

KENJI:真央ちゃん、すごいね。いい意味で、全部が飛んでる感じというか。聞くことが、本当にすごいし「すごいな」ばっかり出ちゃう。

浅田:この年は、世界選手権でリベンジできた年だったんですよね。昨シーズンの2位だった悔しさを、この世界選手権でしっかり果たせた年だったかなって思います。

KENJI:続いて2008〜09シーズン。全日本選手で3連覇。メンタルコントロールなど、課題とかはあったの?

浅田:そうですね。その辺りから、自分に対してのプレッシャーと緊張で、うまく試合で自分の実力が出せなかったり、失敗したり。世界選手権で4位という結果だったと思うんです。ただ、この時はまだ這いつくばって、根性でいろいろ優勝はしているんですよね。さらにグランプリファイナルは韓国で、私と(キム)ヨナがすごく注目されて、ヒートアップしていたシーズンだったなと思います。

KENJI:それもすごかったよね。特に周りがね。でも韓国でも応援されていたよね。

浅田:そうですね。周りがすごかったですけど、韓国の方にもとても応援していただいて。ただ、いいライバル関係だったら良かったんですけど、やっぱり盛り上げるためにっていうのは「ちょっとね……」っていうのはありました。

初めての五輪で銀メダル。すべてをかけてやってきて良かった

浅田:バンクーバー五輪は、本当に夢に見た場所ですごく緊張したんですけど、何より緊張したのがバンクーバーの出場権が得られる全日本選手権でした。このシーズンの前半はあまり調子が良くなかったので「全日本で失敗したらバンクーバーに行けない」くらいな結果だったんです。決まるまでは、本当に戦いでしたね。試合に対してのプレッシャーだったり、体の変化でジャンプが飛べなくなっちゃったりという時期だったので、全日本選手権前は毎日、母親と喧嘩、喧嘩、喧嘩。本当にすごい日々を送っていました。

KENJI:それはもう僕らではわからないプレッシャーもあるだろうし、ストレスもある。

浅田:プレッシャーはすごくありましたね。

KENJI:あの時のバンクーバーを、その場で見ていたんだよね。フリーを見て、すごく拍手を送りたい……でも本人からしたらすごく悔しいんだろうなって。周りの人はみんな泣きながら見ていたんだけど、現地にいるから(試合後の)コメントは見られなかったんだよね。帰った後にコメントを見て、そこで泣いてしまって。

浅田:ショートがすごくうまくいっていただけに、フリーもすごく自信はあったんですけど……本当に取り返しのつかないあの一瞬の出来事は、今思えば自分の技術不足だったんだなっていうのも正直あるんです。でも、バンクーバー五輪という舞台で銀メダルが取れたことは、本当にすべてをかけてやってきて良かったって思います。

KENJI:いや、それが聞けて良かったです。みんなも気になることとかいっぱいあると思うけど、真央ちゃん本人がそう言うんだったら、ね。

浅田:競技が終わってすぐインタビューで。自分の気持ちの整理がつかないままだったんですよね。もちろん金メダルを目指していたので、悔しい気持ちもあって。ただ、表彰台に乗った時に、みんなから「おめでとう」「ありがとう」「銀メダルでもすごいんだよ」って言ってもらえて、そこでちょっと納得できたかなっていう気持ちでした。

精神的にも苦しんだ時期を振り返る浅田さん

精神的にも苦しんだ時期を振り返る浅田さん

ソチのためにゼロからジャンプを見直したい

KENJI:続いて2010〜2011シーズンは東日本大震災もあってメンタル的にもいろいろ苦しんだと聞いたよ。

浅田:この時はフリーが「愛の夢」でした。バンクーバーの時にジャンプですごく苦労していたので、ソチのためにもう1回、ゼロからジャンプを見直したいという思いで、スタートしたシーズン。ジャンプを見直すのは、右手から左手に変えるぐらいの作業ではあったので、「このシーズンはうまくいったらいいよね」ぐらいの気持ちでした。精神的にはすごく辛いシーズンではあったんですけど、ソチに向けてのシーズンだと割り切ってやっていたんです。

KENJI:中京で練習していたんだよね、あの時。僕もそこにいて、真央ちゃんが本当にシングルジャンプを何十回とやっていて。「すごく頑張っているな。大変だろうな」と思いながら練習を見ていたんだよね。修正するのは大変だよね。

浅田:大変でした。1年じゃ終わらなかったので。

KENJI:続いて2011〜2012シーズンは全日本選手権こそ優勝したけども、他がちょっと難しいシーズンだった。

浅田:そうですね。この時も「愛の夢」だったのかな。確か2年連続「愛の夢」で。ただ、このシーズン辺りからジャンプの修正がだいぶ固まってきたなという思いがあります。

KENJI:次のシーズンはグランプリファイナル、四大陸選手権、全日本選手でも優勝。合わせて5大会で優勝でした。この時はどうでした?

浅田:自分のベストではなかったので修正して、修正したものがいよいよ形になってきた形でした。ここからさらに難しいものにレベルアップしたいなと思っている段階なので「あきらめない」という想いで、ずっとやっていました。

KENJI:なるほど。いや、本当に強いね。

文:J SPORTS編集部

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