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スポーツアーカイブについて | 町田樹のスポーツアカデミア 【Dialogue:研究者、スポーツを斬る】 秩父宮記念スポーツ博物館・図書館
フィギュアスケートレポート by J SPORTS 編集部町田樹のスポーツアカデミア
スポーツアカデミアへ、ようこそ。町田樹です。
早速ですが、皆さんはアーカイブという言葉をご存知でしょうか。アーカイブとは、あらゆる資料を保存し、継承する事業や仕組みを指す言葉です。私たちが歴史を振り返ったり、過去の情報にアクセスしたりすることができるのは、すべてこのアーカイブがあるおかげなのです。
こうしたアーカイブを司る機関の代表例としては、博物館や図書館、公文書館、美術館などが挙げられるでしょう。また、インターネットが発達した昨今では、デジタルアーカイブの事業も世界的に推進されています。デジタルアーカイブとは、読んで字のごとく、資料を有形物としてだけではなく、デジタル化して保存し継承する営為のことを言います。私たちは1日のうちに何度も、googleやyahooなどの検索エンジンを通じて情報を取得しますが、これらの検索エンジンを入り口にして、宇宙のように無限に広がっていくWEB空間もデジタルアーカイブの一つだということができるでしょう。
つまり、アーカイブは私たちの生活や社会、あるいは知的活動を根本的に支えてくれている大事なものです。そのため、アーカイブは“知のインフラ”と呼ばれ、各種ビジネスや教育研究、福祉、観光、街作り、娯楽など様々な分野に多大なるメリットをもたらすとされています。そして、それはスポーツ界においても例外ではありません。
今回、私はスポーツアーカイブ機関としては国内随一の規模を誇る秩父宮記念スポーツ博物館・図書館に来ています。今、日本のスポーツアーカイブはどのような状態にあり、どのような可能性が秘められているのでしょうか。秩父宮記念スポーツ博物館・図書館で日々アーカイブ事業に取り組まれている学芸員の先生とともに、スポーツアーカイブについて様々に議論していきます。まずは資料の内容や収集について伺います。
町田(以下M):今回は木村一貫さんをはじめ学芸員の方々の言葉から、博物館。そしてスポーツアーカイブの過去、現在、未来を読み解いていきます。改めてよろしくお願いします。
木村(以下K):よろしくお願いします。
秩父宮記念スポーツ博物館・図書館
M:ここは国内最大の規模を誇るスポーツ博物館ですが、どのような経緯で設立されたのでしょうか。
K:秩父宮記念スポーツ博物館は、スポーツの宮様として親しまれた秩父宮雍仁親王が亡くなられた後、財団法人秩父宮記念会と日本体育協会が中心となって、スポーツに関わる方々に呼び掛けて資料の寄贈を募り、開館したのが昭和34年、1959年のことです。旧国立競技場の中に設置されましたので、ご存知の方も多かったと思います。
M:それでは、もう半世紀以上にも遡る歴史があるということですね。どのような資料がどれくらい保存されているのでしょうか。
K:現在、公にしております博物館の資料は約6万件。そして、秩父宮記念スポーツ博物館内にある図書館の蔵書は約16万件です。
秩父宮記念スポーツ博物館・図書館 主な展覧会実績
1959年に旧国立競技場の敷地内に開館して以来、多数の展覧会を実施。2014年の休館以降も全国の博物館などと連携し、各地で巡回展なども開催しています。
倉庫を見せてもらう町田
現在、秩父宮記念スポーツ博物館は休館中ですが、今年6月に移転してきたばかりの収蔵庫があります。そこに博物館が貯蔵している資料が保管されているのです。収蔵庫は1400平方メートルの広さを持ち、貴重なスポーツ用具の数々、そして図書や文書などが幅広く保管されています。早速、学芸員の新名佐知子先生にお話を伺いながら、資料を見ていきましょう。
町田(以下M):倉庫に潜入し、貴重な資料の数々を拝見させていただきます。
金栗四三さんのシューズ
新名(以下N):一見、生活用具にも見えますが、これも貴重なスポーツ用具です。金栗四三さんというマラソンランナーが1912年のストックホルムのオリンピックに出場されました。
M:少し前にテレビドラマで話題になりましたね。
N:はい、そうですね。当時、金栗さんが履いていた足袋です。これでオリンピックに出場されましたが、ストックホルム大会に出場した時は、全くいい成績が出なかったんです。なぜかというと、ストックホルムは石畳の街でした。このような足袋で42.195キロを走るのです。でも、布製の物では持つわけがないですよね。そこで、ご自身でも用具を考え開発し、どんどん進化していきます。
その進化の過程が分かる資料です。固く滑りやすいヨーロッパの石畳での走りに苦労したことから、金栗さんは運動用具店の店主と改良を進めました。丈は短くなり、足裏は布からゴムへ。そして、足の甲で紐を結ぶ現在のスニーカーに近い形へと変化し、戦前の日本のマラソン選手の多くが使用。アスリートとしての探求心が用具の進化へとつながりました。
鞍馬(1936年ベルリン五輪)
M:次に興味深いのは、大きな木です。これは何の用具でしょうか。
N:実際に体操競技で使われたあん馬です。1936年、ベルリンで行われたオリンピックで使用されたもので、当時の体操協会の関係者が日本に持ち帰ったものと言われています。あん馬という字は、馬と漢字で書きますよね。この形は、馬に似ている感じがしませんか。
M:しますね。何よりも足の形が動物っぽいです。
蹄のようになっている鞍馬の足
N:はい。よく見ると、足の先が馬のひずみのような形になっています。
M:近代オリンピックが創設されて以降、近代スポーツが発展していきますが、その近代化の波に乗って道具もどんどん機能性や合理性が追求され、よりシンプルなものになっていきました。競技の由来は道具からは読み取れませんが、過去の道具を見ると、あん馬という競技は馬とともにあった身体運動文化だということが読み取れる。すごく面白い資料ですよね。競技の文化的な成り立ちが読み取れる貴重な資料でした。
札幌五輪承知報告書
M:続いては、文献エリアへ行きましょう。
N:スポーツに関する文書関係の資料です。ぜひご紹介したいパンフレットがあります。札幌オリンピック招致の報告書です。
M:まさに最近も、再度、札幌に招致するかと議論されていますよね。
N:そうですね。この資料は第1回目の招致の時で、1968年のもの。実際に札幌大会が実施されたのは1972年。大会の一つ前から招致活動をしていたことは、あまり知られてないことです。
M:1968年で落選し、悲願の1972年だったのですね。
N:もっと言うと、札幌は東京オリンピックと同じで、戦前に開催を予定していたんですね。1940年のことです。
M:第一次世界大戦で流れてしまった。
N:その通りです。戦後に招致活動を始めたのが1968年だったのです。
M:人間は0からものを生み出すことはほとんどなく、過去の前例や蓄積されたデータ資料から考え、新しいものをクリエイトしていきます。それは人の世の常だと思いますが、スポーツの競技会も例外ではないということですね。
さまざまな資料
秩父宮記念スポーツ博物館・図書館はそのほかにもオリンピックに関する文献やあらゆる競技の資料を多数保管。その中には、戦時中や戦後の最も資料が乏しい時代をカバーする貴重なコレクションも含まれています。
M:ここからは資料収集についてお話を伺います。まず、これだけの資料をどうやって収集されたのでしょうか。
N:当館は様々な競技団体さんや個人の方からの寄贈品が多いです。スポーツ協会さんが取りまとめて、こちらに集めてくださいました。
M:それでこれだけ集まってきたんですね。今もそのようなスタイルで資料は収集されているのでしょうか。
M:一度にいろいろな競技団体の資料を集めたり、プロ選手の資料を集めたりする活動が事実上、途絶えてしまっています。我々もスポーツ協会さんから、昔のように、いろいろな資料を一括して頂戴することが、できにくい状況です。競技種目も非常に増えていますし、様々な競技団体が存在するので、博物館の職員として各機関にご協力を得ることを行うことはなかなか難しいですね。
M:資料を収集することも大事ですけれども、博物館やアーカイブ機関というのは収集して保管して、それを再利用していきます。この一連の過程があって初めて資料が有意義に生きていくと思いますが、やはり権利関係の問題も生じてくるということですよね。
N:その通りです。昔のおおらかな時代と違って、今は、例えば選手の写真でしたら肖像権の問題があります。大会によって、特にオリンピック、パラリンピックの著作権は我々にはなく、競技を主催する側にあるというものが非常に多いです。ただ単に物がここにあっても使えない、許諾をきちんと取った形ではないと公的には使えないという状況が昔よりは増えていまして、そこも頭が痛いところです。
M:巧みにその問題を克服しているのがIOC。実はIOCも博物館をスイスに持っていて、いろいろな資料を収蔵されています。各オリンピックでは、おそらく数千数万の資料が創出されるわけですが、アーカイブされて、いつでもどこでもIOCは活用しているわけです。それがなぜできているかというと、オリンピックのIDカードの裏側に記されている文言があります。そこには、次のようなことが書かれています。
オリンピックIDカード記載事項
『このIDカードはIOC単独の裁量で、直ちに撤回させることができる。IOCは私もしくは私の代理人からのさらなる承認または補償なしに、私が会場内から、もしくは会場内で創造した記録物にかかる知的財産権すべての唯一の所有者となる。私は私がコンテンツに関して持つ可能性のあるすべての権利をIOCに譲渡する』
M:これは権利制限規定と言って、その資料には肖像権や著作権といった権利があります。アスリート、ジャーナリスト、誰もが著作権や肖像権を主張することができますが、「オリンピックの競技会場内で作られたコンテンツに関しては、一切それができませんよ」という権利を制限する規定をIOCが作り、流布しています。だからIOCは自由に何の許諾も必要なく、資料を収集し活用することができる。IOCは一網打尽方式ですね。ただ、これくらいしなければ、実はスポーツアーカイブって進まないんですよね。だからこそ今、IOCは競技会の映像やあらゆる写真、画像、資料をYouTubeで無料公開したり、オリンピックの博物館に来た人たちに公開したりしています。ただ、こういうことはスポーツ界の中でもかなり影響力のある組織がやらないと意味がないことでもあります。そこで、私は日本のスポーツアーカイブにおける資料収集の理想のチャートを考えました。
理想の資料収集チャート
最終的には秩父宮記念スポーツ博物館・図書館で収蔵し、資料を活用していく。これをするためには肖像権や著作権、所有権等の権利が必要で、権利を処理する必要があります。でもそれは物理的に不可能なことなので、スポーツ庁、日本スポーツ協会、あるいはJOC(日本オリンピック委員会)、日本のスポーツ界において組織構造上トップにいるような組織が「資料を定期的に集めてください」と各競技団体や統括組織に呼びかけて、そして「私たちのところに寄贈してください」と伝える。それをまとめて、スポーツ博物館に寄贈する形を作る。年1回、いろいろな形で資料を集めて「必ず寄贈しなさい」というルールを課すことをしないと、資料は集まっていきませんよね。でも、それだけでは肖像権や著作権、所有権がかかっていますから、資料を保存できたとしても活用できない。
この問題を克服するためには、集められた「資料の肖像権や著作権、所有権は主張しないようにお願いします」ということを、IOCがオリンピックのIDカードに書いたように権利制限規定を設けた形で資料収集の流れを作る。集まってきた資料はアーカイブされて、いつでもどこでも誰もが参照できるような形になるというのが、私は理想だと思います。
でもこれは、博物館の学芸員の先生方だけでは達成できません。だからこそスポーツ庁やスポーツ協会、JOCのような力のある大きな組織が動いていただかないと問題解決はできないのです。
本当に秩父宮スポーツ博物館は貴重ですし、日本全国にあるスポーツアーカイブ機関も貴重なものです。いつでも誰でも、そうした資料に触れることができるのはスポーツ界にとっても重要なこと。スポーツ振興に寄与できることなので、ぜひ、各機関にもご協力をいただきたいと思います。
文:J SPORTS編集部
J SPORTS 編集部
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