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町田樹のスポーツアカデミア 【Archive:フィギュアスケート・ザ・マスターピース】 アダム・リッポン「牧神の午後への前奏曲」(2013年スケートアメリカ):物語性とその特徴
フィギュアスケートレポート by J SPORTS 編集部町田樹がアダム・リッポン「牧神の午後」の魅力を徹底解説
みなさん『スポーツアカデミア』にようこそ、町田樹です。シーズン2の第2回目となる【Archive:フィギュアスケート・ザ・マスターピース】では、競技成績では伝えきることができない、プログラムの美質や魅力について、とことん深掘りしていく番組となっています。今回も良質なプログラムが醸し出す奥深き美の世界をみなさんと共に探求していくことといたしましょう。
前回のおさらい
この《牧神の午後》がどういう物語を描いてるのかを説明していきたいと思います。この作品はギリシャ神話に登場する牧神という神と、水の精霊を意味するニンフの戯れを描いています。実際にニジンスキーは自らこの作品のあらすじをしたためていますので、そちらを読み上げたいと思います。
作品のあらすじ
「牧神は横笛を吹き葡萄を透かし見る。水浴びに行こうとしているニンフたち。ニンフたちは牧神を見つけて逃げようとする。牧神は半裸のニンフをひとり捕らえる。他のニンフたちは彼女を助けにまた戻ってくる。牧神はニンフが残していった薄着を持って一人残る。ニンフはひとり、あるいはグループで幾度も現れては、牧神をからかう。牧神は大切そうに薄衣を丘の上のしとねまで持っていく。そしてそれを身にまとい、うちながめ、身の回りに広げる」
これはニジンスキーの手記をフランス文学者である柏倉康夫さんが翻訳したものです。このようにギリシャ神話に登場する牧神とニンフたちの戯れを描いているわずか10分くらいの作品になっているわけです。しかしながら、この作品は今でもバレエ氏の中で燦然と輝く作品と認識されています。なぜそれほどまで有名な作品なのか、それはこの作品がここに示した三つの特徴を備えているからです。
その三つの特徴とは、まず一つ目「ヘレニズム」。そして二つ目「モダニズム」。三つ目「エロティシズム」と「プリミティヴィズム」。この三つの特徴をもって、この《牧神の午後》はモダンバレエの起源と言われています。バレエの歴史をザックリと振り返ると、まずクラシックバレエというものが起きて、その後モダンバレエというムーブメントが起きます。そして、その後、コンテンポラリーダンスへと至っていくというバレエ史の流れがありますが、この《牧神の午後》は、クラシックバレエとモダンバレエ、この境目の作品だというわけです。実際この「ヘレニズム」「モダニズム」「エロティシズム」がどのような性質なのかを具体的に説明していきたいと思います。
ヘレニズム
ヘレニズム
この言葉は簡単に説明すると、古代ギリシャへの回帰を意味するものです。この当時モダンダンスの祖と言われているイサドラ・ダンカンというダンサーがいました。彼女はこのヘレニズムを標榜しており、踊りのインスピレーションを、古代ギリシャ文化から得ていたとされています。このダンカンの影響をバレエ・リュスのメンバーやバクストは受けているわけです。ゆえにこの《牧神の午後》という作品も、ヘレニズムの系譜にある作品だと言えます。
ここに二つの下図があります。レオンバクストが手掛けた舞台美術の下図と、牧神の衣装デザインの下図になります。
下図
右下に女性たち、つまりニンフが描かれているわけですが、古代ギリシャの女性たちが着ているチュニックのようなものを彼女たちも着ています。そして真ん中の丘の上に寝転がってニンフたちを眺めている人物が牧神になります。牧神は半人半獣、つまり下半身が獣で上半身が人間の神様なんですが、そのデザインが衣装にも落とし込まれています。下半身が牛のようなデザインで、上半身は半裸人間の体。そして頭髪は金髪で、少し角が生えてるような形にデザインされています。青い薄衣が配置されていますが、これはニンフが残していった薄衣だと思われます。このような形で、古代ギリシャ文化からデザインも踏襲しているわけです。
こんな逸話があります。ニジンスキーはある日ルーブル美術館に行って、美術館の中を色々歩き回るんですけども、古代ギリシャの壺やフレスコ画からニジンスキーは《牧神の午後》の振付を着想したと言われています。そのフレスコ画や壺がどのようなものだったかと言うと、全部二次元で描かれています。例えば、エジプトのピラミッドの壁画なんかは二次元で描かれているかと思います。こういう古代文明の壁画から着想を得て舞台の上を二次元の空間にしてしまおうということで、《牧神の午後》を創造しました。
普通、クラシックバレエというのは身体を立体的に見せていきます。例えば、正面を向くのはアンファスという角度です。それからクロワゼという身体をクロスさせて立体的に見せていくような動きもあれば、エファセという斜めに開いていって、身体の美しいラインを作る技法もあります。こうした、身体を立体的に見せていくクラシックバレエのルールを全部無視して、ニジンスキーは、エジプトやギリシャのフレスコ画、それから壁画のように、身体を二次元に見せていく。こういうような形でバレエを創造できないかということで、振付が創作されていたようです。ですので、そういう《牧神の午後》の特徴を捉えて、よく舞踊会では《牧神の午後》を絵画的バレエという風に言います。それはこの作品が全部二次元の空間で構成されているからなのです。
モダニズム
モダニズム
これは端的に申し上げますと、クラシックバレエのルールや常識を逸脱した踊りだということです。先ほども言ったように、クラシックバレエは身体を立体的に見せていきます。プラスアルファ、勢いをつけて大きく飛んでいく動きもあれば、あるいはピルエットと言って回転技もあります。そういうクラシックバレエの典型的な踊りの様式だったりルールを全部この作品では破っているわけですね。例えば、クラシックバレエでは常につま先から歩いていきます。しかし、ニジンスキーはそのルールも無視して、かかとからぺたぺたと歩いていくわけですね。振り返る時も180°反転して次の動作に行く。クラシックバレエでは回転技や大きなジャンプが醍醐味ですが、この作品ではそうした動作は一切出てきません。この作品でたった一度だけ牧神は大きくジャンプしますが、その空中も二次元的な動きで作られていることがわかります。普通、男女で組むときも、組んで立体的に動いていきますが、この作品では牧神がニンフを捕まえて、ニンフもそれに驚いて二次元で構成していく絵画的なバレエになっている。絵画的なバレエを作るということは、立体的な世界を作っていくクラシックバレエのルールを逸脱しているということにもつながるので、この作品はモダニズムという性質が備わっていると言われています。
エロティシズムとプリミティヴィズム
エロティシズム / プリミティヴィズム
これは読んで字のごとく官能性だったり原子性を表すものです。クラシックバレエの世界では性的な表現をなるべく控えるということがありますが、実はこの作品ではその直接的な性描写を控えるというクラシックバレエのタブーを破っています。ギリシャ神話の中で登場する牧神は色好みな神様として描かれています。つまり女性が大好きということですね。この作品も牧神がニンフに欲情していくという、その様を描いていく作品なんです。
牧神はニンフと遭遇します。そして、出会った途端、牧神はニンフに欲情するわけですね。それに驚いたニンフは逃げていくわけですが、驚いて逃げる時に自分が身にまとっていた薄衣を落としてしまいます。なおも欲情している牧神はそのニンフが残していった薄衣で自慰行為をして、果てて眠りにつく、そのような表現が描かれている作品です。ですから、このクライマックスで牧神は薄衣で自慰行為をするんですけれども、その自慰行為の描写など、露骨な性的な表現が物議を醸した作品です。
絵画的なバレエ、二次元的な空間を作り、そしてバレエのルールも破り、バレエのタブーを破った。クラシックバレエという従来の枠組みでは捉えきれない全く新しい作品がニジンスキーによって生み出されたのです。ですから、この作品はクラシックバレエではなくて、クラシックバレエから新しく生み出されたモダンダンスになるということです。
アダム・リッポンさんの《牧神の午後》もニジンスキーの《牧神の午後》が備える「ヘレニズム」「モダニズム」それから「エロティシズム」や「プリミティヴィズム」といった特性を備えています。
文:J SPORTS編集部
J SPORTS 編集部
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