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田村優(キヤノンイーグルス)
マエストロ。芸術の言葉だろう。たとえば卓越した指揮者をそう称する。名人。飛び切りの師匠。スポーツライターも案外、用いる。サッカーの中盤の名手の巧みなボール配りの描写にピタリとくる。
ラグビーならこちら。横浜キヤノンイーグルスの田村優に決まっている。トライラインに正対しながら球を受け、よい選手よりほんのちょっぴり長く持って、ふわりと殺人パスを繰り出す。したがって、ものすごくよい選手。
キックの過不足なき勢いや精確な軌道ときたら、軟投型の投手が「球を置きにいく」ようだ。うまい! つい声が出る。ふいに抜きにかかれば、芯をぶち抜かれるタックルはまず浴びない。浴びないと察知したときのみ角度のちょうどよいステップを踏む。
6年前の6月。ワールドカップ日本大会開幕の前。桜のマエストロはキヤノンのクラブハウスで言った。
「向いてる向いてないより、信じるか信じないかだと思います。みんなが同じことを信じれば絶対にうまくいく」
ジャパンの戦法について述べた。あの瞬間、本大会でアイルランドとスコットランドに勝つとわかった。と、書きたいところだが、ただ「いいなあ。正しいよなあ」と思った。「理」を追い求める人間が「理の外にある理」をつかまえている。
問答には前段があった。日本に生まれ育った者には、いまのような「パス。キック。ラン」のオプションを状況に応じて使い分けるよりも「決め事の徹底」のほうが向いているのでは? と、質問した。
「うーん、向いていると思いますけど…ま、向いてます」
ちょっと笑った記憶がある。そのうえで「向いてる向いてないより、信じるか信じないか」と言い切った。
2025年3月。全国高校選抜大会。京都工学院高校が準々決勝に進んだ。前身はもちろん伏見工業高校である。真紅のジャージィを新聞のスポーツ欄の片隅の写真に見つけるだけで「信」の字が胸に浮かぶ。1981年1月7日。全国制覇の旗をつかんだ。7-3の初優勝。「泣き虫」と称された感情の指導者、山口良治監督の唱えた栄冠の呪文。
「信は力なり」
勝利の直後、本人は話している。「最後の5分は信じることがこんなに苦しいとは思わなかった」(『高校ラグビー 花園の記憶』)。そうなのだ。「信じる」とは衝動や感情ではなく、はっきりと意思なのである。
時は流れ、昨年度、9大会ぶりの花園出場を果たし、3回戦で國學院栃木高校に敗れるも、やはり、理屈に収まらぬオーラの気配は消えてはいなかった。
春の熊谷。準々決勝は抽選のいたずらで京都成章高校とぶつかった。24-34の敗戦。いったんは3-22までスコアが傾いた。追い上げの事実は、秋の決闘までにチームに付加価値をもたらすはずだ。
選抜大会には福岡の筑紫高校の姿もあった。2回戦で大阪桐蔭高校に7-60の黒星。気迫の県立校にも部史を貫く土地のアクセントの文句は存在する。
「筑紫やぞ」
われわれは筑紫なのだ。「信は力」のひとつの表現である。
かつての西村寛久監督は、スパルタにも映る猛鍛錬を部員に課し(ほとんど科し)、県内どころか列島のジャイアントたる東福岡高校に挑みかかった。必要なら極度に単純化した戦法を採用。反復また反復。そこだけ切り取るとスポーツの平和を逸脱している。
しかし指導者のほとばしる情熱や噴きこぼれる愛情が根幹にあった。他にない方法や文化が「筑紫やぞ」という誇りへ昇華する。そんな過程こそはコーチングの核心に他ならない。
京都工学院と同様、指導体制は移り、攻防理論は更新される。でも。でも。「筑紫やぞ」の精神はなくさぬに限る。それが生きるってことなのだ。
選抜には、もうひとつ、別の角度の「信は力なり」が登場した。茗渓学園高校である。こちらは1回戦で大阪桐蔭に5-25の敗北。たとえば、往時の筑紫のカラーとは反対側にありそうなカルチャーを培い、実力校であり続ける。陣地はどこであれ手にしたボールを自然にスペースへ運んで、花園では対峙するのがいかなる強豪であろうと、圧力に潰されず、さらりと、でも鋭くトライを返す。
1988年度の日本一(昭和の終焉による決勝中止で大阪工業大学高校=現・常翔学園=と両校)のチームの掲げた「エンジョイ」は、上滑りした楽しさとは次元が異なった。あのころ記者席で、半分失敗を大成功にしてしまう未知のスタイルに驚きながら、これはエンジョイ魂なのだと感じた。すなわち。
「茗渓やぞ」
われわれは茗渓学園なのだ。きっと、いつまでも。
実は「信は力なり」にはオリジナルがある。伏見工業の山口良治監督の日本代表フランカー時代の監督にして「師」である名将、敬称略で大西鐵之祐のまさに信念であった。
本コラム筆者は直接、次の一言を聞いた。
「戦法に絶対はない。だが絶対を信じない者は敗北する」
2003年。横浜F・マリノスの岡田武史新監督との始動直後のインタビュー、考え抜いて、割り切り、しぶとく勝つ人は語った。
「信は力なり。信じれば必ず目的を達成できる。それは嘘ですよ。しかし信じなければ絶対に達成できない」
同シーズン。Jリーグ 1st、2st両ステージをともに制した。2019年の田村優は正しかった。
文:藤島 大
藤島 大
1961年生まれ。J SPORTSラグビー解説者。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。 スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。 著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)近著は『事実を集めて「嘘」を書く』(エクスナレッジ)など。『 ラグビーマガジン 』『just RUGBY 』などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球にみる夢』放送中。
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