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ラグビー コラム 2024年8月20日

古い古い友人の話 ~ジャパンのバンクーバーでのカナダ戦を前に~

be rugby ~ラグビーであれ~ by 藤島 大
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こんどの土曜。バンクーバーで大切なテストマッチが行なわれる。ホームのカナダとジャパンは現地時間の午後5時、こちらの日曜早朝の午前6時にぶつかる。

パシフィック・ネーションズカップのプールBの一戦だ。しかし個人的には大会をはなれて、ひとつの「テストマッチ」としてとらえたい。なんといってもカナダは日本ラグビーの恩人、いや、ちょっと違うな、古い古い友人なのである。

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1930年、昭和5年、日本代表が初めて編成された。オリジナルのジャパンである。12日間の船の旅。8月17日から10月15日にかけてカナダ遠征に臨んだ。

6勝1分けの結果を残した。バンクーバーやビクトリアの選抜を順調に退けて、実質の国代表であるブリティッシュ・コロンビア州代表とは3-3のドローであった。 

当時の遠征メンバー、早稲田大学の名CTBとしてとどろいた柯子彰さんの話を1998年に台北の自宅で聞いた。

「在留邦人は最初は歓迎しなかった。負けたら子どもがいじめられると。でも、どんどん勝つでしょう。最後のほうはデパートのウインドウに日本のジャージィーが飾ってありました」

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ていねいに保存されたスクラップ帳を開いてくれた。ジャパンについて現地の新聞にこんな記述があった。

「どんな体勢からもダミーパスを駆使、右に左にパスを回し、クロスキック、フォローアップのトリックを熟知」

ちなみに記録にはFBが「寺村誠一(東京帝国大学OB)」とある。本職は毎日新聞(当時は大阪毎日新聞および東京日日新聞)のジャーナリストだ。「昼間プレーヤー、試合後は新聞記者に早変わり」(『東京大学ラグビー部百年史』)。自分の出場した試合の記事を書いて本国へ送った。たとえばこんなふうに(東京毎友会のサイトより)。

「在留邦人も肩身が広くなったとて、その喜びはこの上もない」「こちらが確実なタックルさえすれば、そう恐るべきものではないとの確信を得た」

クレジットには「ヴァンクーヴァー発」。今回の会場と同じ都市だ。

2001年、東京大学ラグビー部の創部80周年の式典で、伝説の名手、寺村誠一さんがスピーチに立った。司会者が「このかたはベルリン特派員時代、ヒトラーにインタビューしたことがある」と紹介した。

そして94年前のテストマッチ(日本協会はキャップの対象としている)には語り継がれる逸話がある。日比野弘さんの編著である『日本ラグビー全史』が、出場選手の文章を引いている。要旨はこうだ。

開始早々、WTB鳥羽善次郎(明治大学)が肩を脱臼、退場する。あのころのルールでは交替は認められない。するとブリテイッシュ・コロンビア協会は自チームのWTBをひとり引っ込めた。日本側は「そうしてくれるな」と申し出るも「頑として聞き入れず」。やむなく鈴木秀丸(法政大学)を借り物のスパイクで送り出した。

2年後の1932年1月。こんどは「カナダ代表(ブリテイッシュ・コロンビアが主体)」の名で来日する。花園ラグビー場のテストマッチは9-8、神宮競技場では38-5とジャパンは連勝した。

 

こうした記録やストーリーは『BC RUGBY NEWS』というサイトに詳しい(写真)。歴史的に強豪国ではなくともBC、ブリティッシュ・コロンビアに確かな楕円球文化は存在するのだと、この一点でわかる。

1963年、戦後初のジャパンの海外遠征先もカナダであった。テストマッチと認定されたブリティッシュ・コロンビア戦に33-6の快勝を遂げた。バンクーバー選抜には負けて4勝1敗で帰国している。

カナダ代表の最初のツアーは遠く1902年にさかのぼる。統括の協会はまだなかった。英国、アイルランド、フランスを56日でめぐり、実に22試合を戦い抜いた。8勝1分け13敗。国代表との対戦はないものの北アイルランドのアルスターやイングランドのブリストルには勝利した。胸にメイプルリーフの赤のジャージィはここで採用された。

この89年後の代表が過去最強とされる。1991年の第2回ワールドカップで堂々の8強入り。あれは確か開幕前、アメリカン・フットボール経験者の関西のスポーツ記者がホテルでカナダのチームと遭遇した。数日後、こう話したのを覚えている。「きっと強いですよ。フットボールのプロに近い体してますもん」。その通りだった。

フィジーとルーマニアをそれぞれ13-3と19-11で破り、フランスには13-19と届かず、準々決勝ではオールブラックスに肉弾戦を挑み、13-29と渡り合った。大勝も大敗もないところに凄みがある。

フランカーのゴードン・マッキノンのタフネスを思い出す。その後、なにをしているのかと調べたら、2015年、クロスフィット・ゲームズの「55歳-59歳」のワールドランク1位だった。

先のパリ五輪。女子7人制のカナダは銀メダルを獲得した。かたや男子の15人制は、昨年のワールドカップ出場を初めて逃がすなど近年は精彩を欠き、再建と飛躍を期す。

直近のテストマッチは7月7日、オタワでスコットランドに12-73の完敗、同12日には同じ競技場でルーマニアを35-22で退けた。ジャパンは6月と7月、イングランドに17-52、ジョージアに23-25、イタリアには14-42と連敗を喫した。

ちなみに本年のシックスネーションズ、スコットランドはエジンバラでイングランドから30-21の白星を挙げ、敵地のイタリア戦を29-31で落とした。ジョージアは3月2日にルーマニアを本拠地トビリシで43-5と圧倒している。比較にさしたる意味はないものの、キックオフ前のイメージはわく。桜の花とカエデの葉、机上の力関係は、さて、どう転がるか。 

文:藤島 大

藤島大

藤島 大

1961年生まれ。J SPORTSラグビー解説者。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。 スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。 著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)近著は『事実を集めて「嘘」を書く』(エクスナレッジ)など。 ラグビーマガジン、週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球にみる夢』放送中。

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