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ラグビー コラム 2023年10月24日

バトル・オブ・ザ・ジャイアンツ ~ラグビーワールドカップ決勝で南アフリカとニュージーランドが激突~

be rugby ~ラグビーであれ~ by 藤島 大
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フランスが残ればパリはラグビーの街のままであった。数万のアイルランド人にも花の都に居座る資格はあった。イングランドのキックまたキックが雨中のセミファイルに光を放ち、退屈の先に未知のときめきが訪れることを世界のファンに教えた。純白の胸に薔薇の勇士たちも決勝に臨んでかまわなかった。

でも、これでよかった。どのみち魅力に富んだ開催国が消えたのだから、あとは「巨人」に託そう。この土曜、現地の10月28日、日本時間の翌午前4時。南アフリカとニュージーランドがラグビーの王の座をかけてぶつかる。

バトル・オブ・ザ・ジャイアンツ。1960年のオールブラックスの南アフリカ遠征を描いた書籍のタイトルである。歴史の審判を堪えた好敵手の激突。その最新エディションが2023年のワールドカップのファイナルで実現する。

必見。なんとありきたりな言葉だろう。しかし、そうなのだ。いまここにいる最高のラグビー選手は、現在と未来の名誉のみならず、ヒストリーを守るために戦い抜く。力と技に大義がからまるのだから、つまらないわけがない。

スプリングボクスはスプリングボクスらしく肉弾戦を仕掛け、なおオールブラックスのようにキャッチとパスの妙を発揮、外側のフィールドも駆けるだろう。オールブラックスはいつものごとく全方位のスキルを駆使、キックをさながら手渡しのパスとさせて、しかしスクラムやモールのレスリングでも引かない。

1921年。南アフリカはニュージーランドへ遠征、8月13日、ダニーデンのカリスブルック競技場で史上初のテストマッチを行なった。13-5。黒いジャージィが勝った。手元のニュージーランドのテストマッチ史『THE VISITORS』などによると、正式にゲートをくぐった観衆は2万5千、ほかに1万人がグラウンドを見渡せる外部で観戦している。

南アフリカのFWの平均体重は93kg。ロックのベイビー・ミシャウは193cmで108kgと当時としてはまさに大男であった。ニュージーランドの同平均は86kgである。「パワー」の前者、「機動力」の後者の図式はいまも変わらない。スプリングボクスの右WTB、A・J・ファン・ヒールデンは440ヤード(402.336m)ハードルの国内チャンピオンで1920年のアントワープ五輪の代表でもあった。際立つアスリートの存在も後年と重なる。

興味深いのはオールブラックスの後半のスコアだ。長く「ニュージーランドのテストマッチにおける史上最高のトライのひとつ」とされてきた。スクラム起点の展開、スタンドオフの名手、ハリー・エドガー・ニコラスが中央付近からタッチラインぎわの右WTB、ジョン・スティールの前方へパント、スピードランナーは頭上の球をなんとか肩甲骨のところでつかんで45m強を走り抜いた。キックによるパス。それこそは102年後のニュージーランダーの有力な得点源でもある。

同年のシリーズは1勝1敗1分ときれいに星が並んだ。いちばん初めにすでにライバルなのである。以後、通算105試合でニュージーランドの62勝39敗4分。数字の印象よりもはるかに実力の接近したバトルを繰り広げてきた。

1995年にはワールドカップ南アフリカ大会の決勝で対戦した。ヨハネスブルグのエリス・パーク。ともにノートライのまま同点延長に入り、グリーン&ゴールドの10番、ジョエル・ストランスキーのDGが15-12の結末を招いた。両チームあわせてPGが6本、DGが3本、それが全得点だった。ストランスキーはパスやランにおいては格別ではなく、されどキッカーとして不可欠であった。2023年のハンドレ・ボラードにもどこかかぶる。

あのとき準決勝のオールブラックスはイングランドに6トライの猛攻で大勝(45-29)した。スプリングボクスは雨天のフランスとのトライひとつのみの蹴り合いを辛くも制した(19-15)。ここも今回の構図と似ていなくもない。

さて。95年大会の決戦の前には不穏な出来事があった。オールブラックスの選手たちが次々と腹痛に襲われたのだ。ホテルの食堂の「スージー」という従業員が紅茶のポットに「毒性のある無臭のハーブ」を盛ったのだと広く信じられている。

当時の黒衣の一員であるジェイミー・ジョセフに5年前のインタビューで真相を聞いたことがある。

「多くの選手が苦しんだのが本当かと聞かれたらイエス。毒かと聞かれたら、わからない、と答えるほかない。私は平気でしたが忘れもしません。あれは(決勝前々日の)木曜です。マオリ伝統の(日本語で)ブタナベが夕食でした。本来なら決勝のあとに供されるはずなのに手違いがあった。監督はとまどっていました。その後、『ショーシャンクの空に』という映画をみんなで観賞していると次々とトイレに出ていくのです。最悪の事態は土曜の試合前まで続きました。紅茶に毒を盛られたというストーリーも本当かもしれない。でも、それが私の知っている事実です」(『ナンバー』)

ニュージーランドのロリー・メインズ監督による私的な探偵の調査では「黒人女性のスージーはオールブラックスがホテルへ着く2日前に採用され、病状が発生した翌日、完璧に姿を消した」(NZヘラルド紙)。ロンドンのブックメーカーや東南アジアの賭博組織の影もしきりに噂された。さて、どうなのか。

1981年にはオークランドのイーデン・パークでのテストマッチで、アパルトヘイト、人種隔離政策に抗議する団体がセスナ機を飛ばし、袋に小麦粉を詰めた爆弾(フラワーボム)を上空から投下した。スプリングボクスのメンバーには命中せず、オールブラックスの右プロップ、ギャリー・ナイトの頭を直撃、あのタフガイは起き上がり、さっと水をかけてもらい、ほどなく隊列へ戻った。スプリングボクスのキャプテン、ワイナンド・クラーセンは「ニュージーランドに空軍はないのか」とつぶやいた。

ときに謎めく事件や政治的対立を含みながら、最も強い者と力を試したい、という本能的な欲求が物語を紡ぎ、ジャイアントとジャイアントをラブとヘイトを織り交ぜながら結びつけてきた。

パリの土曜夜、日本列島の日曜未明、ラグビーの中のラグビーが始まる。空中のボールの確保、スクラムとラインアウト、ブレイクダウン、モール、そして、またもや歓喜を隔てるかもしれぬドロップゴールの精度でいずれが上回るのか。羅列すると当たり前みたいだが、ここまできたら、「策」ではなく競技の核そのもので白黒は決する。

そして気になるニュース。本稿を書いている時点では結論の導かれていないニュースが流れた。スプリングボクスのフッカー、ボンギ・ンボナンビが準決勝の前半、イングランドのトム・カリーに「白い×××」と人種にまつわる暴言を吐いたとされる問題である。10月23日、日本時間の夕刻に国際統括団体のワールドラグビーが「すべての差別的行為への申し立てを深刻に受けとめている」との声明を発表、急ぎ調査を始める。

いまのところ音声は見つかっていない。ただしカリーが開始24分、ベン・オキーフ主審に「白い×××と言われたら、わたしはどうすればよいのか」とたずねる声は確かめられる。「なにもしないでくれ」が答えだった。

スプリングボクスはもともとフッカーをふたりしか選ばず、マルコム・マークスがトレーニングの際に負傷すると、補充に当初はケガでスコッドより外れたスタンドオフのポラードを呼んだ。唯一のエキスパート、ンボナンギが仮に出場停止となれば、本職はフランカーのデオン・フーリーとマルコ・ファンスターデンでカバーしなくてはならない。そうなれば大打撃である。

巨人の闘争はどこまでも想像をかき立てる。いちばん初めのスクラム。もし37歳のフーリーが2番を務める南アフリカの8人がピタリと止まったら。むしろ押したら。壮大な叙事詩の1行目だ。

文:藤島 大

藤島大

藤島 大

1961年生まれ。J SPORTSラグビー解説者。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。 スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。 著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)近著は『事実を集めて「嘘」を書く』(エクスナレッジ)など。『 ラグビーマガジン 』『just RUGBY 』などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球にみる夢』放送中。

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