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ラグビー コラム 2023年6月9日

木材商の球をはじいた木製のポスト~昔のラグビーの風変わりなストーリー~

be rugby ~ラグビーであれ~ by 藤島 大
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決めれば同点。延長にもつれ込む。6月4日の太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ秩父宮大会の決勝。日本体育大学は昨年度総合2位のながとブルーエンジェルスを向こうに粘りに粘って土壇場のトライで22-24、スコアを挙げたばかりの殊勲者、新野由里菜がゴールを狙う。

惜しい。ポスト全体を人間に見立てると右肩のポールに当たって、それた。 

学生チームのしつこい防御や柔らかくて鋭いアタックはさえていた。写真家でもある古賀千尋監督の手腕は確かだ。つい判官びいきのつもりになって、だから無情のHポールがちよっと憎かった。

 

そして、昔、ロンドンの飛行場で東京便の長旅に備えて買った書籍を思い出した。

『Rugby's Strangest Matches』(2000年、ジョン・グリフィス著)。ラグビーのへんてこな逸話が満載の一冊だ。その一篇。邦訳すると「私たちのクロスバーはどこへ?」。1958年の実話である。

同1月18日のトゥイッケナム競技場。ウェールズ代表のFB、テリー・デイヴィスはイングランド戦の終了寸前、3-3からの勝ち越しPGを狙った。距離はざっと50ヤード(46m弱)と記録されている。

惜しい。ポストに当たって外れた。ここまでは65年後の日本体育大学ラグビー部女子にも起こる事態だ。ただし、この後、語り継がれるストーリーが始まる。

ウェールズのファンで名騎手として鳴らしたフレッド・マサイアスと、その婚約者の兄弟ら3人は、試合当日の夜、正確には翌日未明、トゥイッケナムへの侵入を図る。目的はひとつ。やつを伐り落とす。旋錠を突破、入場ゲートを乗り越え、無人のグラウンドへ向かった。ボールがぶつかったポール寄りの木製クロスバーへよじ登り「20分の作業」を経て、3フィート(91cm強)ほどをまんまと持ち帰った。

おかしなことは終わらない。ウェールズへの帰路。コッツウォルズの街道沿いのカフェで休憩しているとと、なんと、そこにゴールを外したテリー・デイヴィス本人が入ってくるではないか。やはり自動車で帰宅の途中だった。故郷のクラブの元フッカーであった騎手はさっそく「戦利品」にサインを求めた。

ほどなく「消えたクロスバー」は話題となる。イングランドのラグビー協会は愉快ではない。この翌年にはブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズにも選ばれる名手、デイヴィスの職業は「木材商」。そこで「クロスバーの材料の提供」を申し出た。

同協会は「緊急時に備えて備蓄はある」と丁重に断り、実行者たちがウェールズのラグビー記者の助言に従い、謝罪の手紙を送ると、そこで終結した。

あらためてフレッド・マサイアスは「通算91勝」の競馬界の名士である。なのに生涯を伝える記事にクロスバーのくだりは欠かせなかった。2008年の『ウェスタン・テレグラフ』紙にはこうある。

「あの2年後のトゥイッケナムにおけるイングランド戦に際してはクロスバーの両端に南京錠をかけた風刺画がデイリー・メイル紙に掲載された」

マサイアスは2005年に72歳で死去、テリー・デイヴィスは2022年に88歳で亡くなり、3等分されたクロスバーの一片はウェールズ・ペンブルックシャーの「クレセリー・アームズというパブに保管されている」(08年のウェスタン・テレグラフ)。これもまた歌い手は去り歌は残るの一例ではあるまいか。当事者はいなくなっても、好きなチームにつれなくしたHポールへの復讐という童心は消えない。

さて1958年1月18日のトゥイッケナムではもうひとつの珍事があった。ウェールズのジャージィの胸のエンブレムがなかったのだ。『Rugby's Strangest Matches』を引くと「メーカーが間違ったキットを送ってきた。ロッカー室で袋を破るまでミステイクに気づかなかった」。トライアル(選考試合)用のそれだった。

かわいそうなのは、このテストマッチが初キャップの者である。オープンサイドのフランカー、ヘイデン・モーガンはチームで唯一該当した。

「初めてのウェールズのジャージィに袖を通す瞬間が訪れる。これほどの誇りを抱くことなど過去にありはしない。しかし、シャツに目を落とすと、ウェールズの紋章がそこにないとわかったのである」

いま調べたら、モーガンは1966年に引退するまでに計27キャップを獲得していた。ブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズでも4キャップ。胸のさみしい代表ジャージィが最初で最後でなくてよかった。

文:藤島 大

藤島大

藤島 大

1961年生まれ。J SPORTSラグビー解説者。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。 スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。 著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)近著は『事実を集めて「嘘」を書く』(エクスナレッジ)など。『 ラグビーマガジン 』『just RUGBY 』などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球にみる夢』放送中。

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