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ラグビー コラム 2022年10月26日

オールブラックスを経験しよう ~ラグビー王国の代表がやってきた~

be rugby ~ラグビーであれ~ by 藤島 大
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オールブラックスがやってきた。10月29日。ハカや銀シダのエンブレムや腕が5本に見えるオフロードが国立競技場に舞い降りる。テレビ画面で、スタジアムで、目撃できれば生涯消えない瞬間となる。もしジャパンが金星をかっさらったら? 100年後の墓の中でまだ自慢しよう。

昔、かつてオールブラックスであった男と飛行機の席で隣り合わせたことがある。ローリング・ストーンズのミック・ジャガーが太ったような顔をしていた。前夜というか未明まで嗜んだと推定されるワインの匂いがほのかに漂った。たぶん「赤」だ。

1995年6月18日。南アフリカ。ダーバンを午前5時発のケープタウン便だった。ワールドカップのふたつの準決勝をつなぐ特別フライトである。

3人がけの通路側。少し眠ったあと、機内誌の英語のラグビー特集ページを読むふりしていると、中央シートの「ミック・ジャガー」が話しかけてきた。

「ラグビーをしていたのか」

東京・杉並のアクセントで「イエス」。それから「ユニバーシティーのセカンド・チームで」。3軍や4軍もよくあったが方便だ。

「あなたは?」

のちに本名の判明する人物は即答した。

「もちろん。1977年のオールブラック」

あのときニュージーランド代表歴を持つ者を「オールブラック」と呼ぶと知った。偶然会って会話を交わす。栄えある珍事だ。

「ヒーローですね。あなたの国では」

直接は答えず、男は語り出した。

1977年11月。このニュージーランド人はフランスのクラブ、ビアリッツに在籍していた。ポジションはWTB。そこへオールブラックスが遠征してくる。たまたま選手の負傷が続いた。そこで「現地調達」でツアーへ加わった。

微妙な雰囲気をいま思い出すのだが、少し語りたくて、あまり語りたくないような感じだった。途中で話題を打ち切り、いまも暮らすフランスが「いかに自由な国か」についての持論を展開した。

「あそこには自分だけの人生がある」

ゴルフのライターをしているそうだ。英語で書いて、フランス人の妻が訳し、それを出版社に送る。「つまり妻の文章がどんどんうまくなる」と笑い、こう言った。

「君はラグビーを書くのか。ダメだよ楽しみを仕事にしちゃ」

この午後、ケープタウンのニューランズ競技場でオールブラックスは決勝進出をかけてイングランドとぶつかる。母国の応援ですか? 

「ノー。僕にひいきはない。ラグビーの素晴らしいプレーだけが好きなんだ」

タラップを降りると民族舞踊と音楽が迎えてくれた。そのとき1977年のオールブラックは無防備なほど無邪気に喜んだ。まさに子どもみたいに。「おい。なんて素敵なんだ。これを見ろよ」。くしゃくしゃの笑顔がそう伝えていた。100%の自由人だ。

 ニュージーランド・ラグビー百科事典(THE ENCYCLOPEDIA OF NEW ZEALAND RUGBY)

帰国後。8年前にオークランドの書店で購入した『ニュージーランド・ラグビー百科事典(THE ENCYCLOPEDIA OF NEW ZEALAND RUGBY)』を調べた。「1977年の現地調達」の該当者について。あった。190ページ。正代表セクションとは別の「有力選手」の欄である。

「ブライアン・パトリック・ヘガティー。ニュージーランド・リザーブ1977」。概要はこうだ。「フランス遠征のオールブラックスはFBのベバン・ウィルソンとWTBのブライアン・ウィリアムズを続けて負傷で失った。そこでヘガティーを最後の6日間、ツアーに加えた。2試合にリザーブを務めた」

フレンチ・セレクション戦とパリにおけるフランス代表との最終テストマッチ、出場記録はなくとも、控えの席には確かに腰かけたのだ。

気になる経歴は「1973年にウェリントンで1試合出場。翌年、ペトーネ・クラブで南アフリカ遠征後、そのままとどまり同国のクラブでプレー、のちに英国とフランスへ渡った」。根っからの旅人である。

ニュージーランドでウェリントンの代表に選ばれるのは名誉だ。当時はオールブラックスのひとつ手前とも解釈できる。ただしヘガティーの出場歴は「1試合」。黒のジャージィとのあいだを細くない河が隔てていた。一部の記録には「ウェリントン・コルツ(年代別代表)で1試合」ともあって、ならばなおさらだ。

でも、いろいろあって「1977年のオールブラック」。やはり自慢なのかなあ。それともオールブラックスはあまりに気高い存在なので、「幸運」によりひょいと名を連ねて、いくらか複雑な気持ちなのだろうか。自分で話し始めて自分で打ち切った。ちょうど、そのあたりに心はある。人間らしい。いま69歳のはずのヘガティーさん、元気だろうか。

ブライアン・ヘガテイーはオールブラックスの国に生まれ、オールブラックスのスポーツを楽しみ、オールブラックスには届かず、異国でオールブラックスに飛び入りしてオールブラックのジャージィをまとった。

その人と機内で隣席になった。興味深い逸話に触れた。耳に入り、ただ脳に記憶されるストーリーとは違う。そこに、めったに負けない黒ずくめの代表が介在するとたちまち歴史の一幕となる。ダーバンからケープタウンまでの短いフライト時間も「わがオールブラックス経験」なのである。

 

ジャパンがオールブラックスに挑む。勝利も接戦もとても簡単ではない。ラグビーのニュージーランドは、いまだ世界のどの国にも圧勝する可能性がある。でも、たまに負ける。本年はよく負けた。

たとえば南アフリカやイングランドならパワーで封じ込めるようとする。オーストラリアには、長き隣国ゆえの有利不利を超える心理戦の道が残される。では桜のジャージィはどこで上回るのか。理屈ではなかなか難しい。国立競技場の芝に「ここで勝負」の意思と準備を見たい。ぎょっとさせても、へっちゃらで跳ね返されても、何が起きようと、それは人生をふくよかにする正味80分である。 

文:藤島 大

藤島大

藤島 大

1961年生まれ。J SPORTSラグビー解説者。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。 スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。 著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)近著は『事実を集めて「嘘」を書く』(エクスナレッジ)など。『 ラグビーマガジン 』『just RUGBY 』などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球にみる夢』放送中。

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