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50mを5秒7で駆け抜けるスピードは福岡堅樹に優る。福岡が東京オリンピックへの挑戦を断念した今、松井千士にかかる期待は高まっている。大阪の常翔学園高校で日本一に輝き、高校日本代表、U20日本代表で活躍し、同志社大学時代には7人制(セブンズ)、15人制の日本代表に選出された。順風満帆の選手生活だったが、2016年のリオデジャネイロ・オリンピックは12名の正メンバーに残れなかった。バックアップメンバーとして帯同したが、選手村には入れず、観客席から4位入賞の快挙を見守った。その悔しさが松井を大きく成長させた。2020年6月29日、3年間所属したサントリーサンゴリアスを退団し、7月3日、キヤノンイーグルス入り。新天地で彼が描く未来とは。延期された東京オリンピック、2023年のラグビーワールドカップ(RWC)を目指す25歳の想いを聞いた。
──サントリーサンゴリアスを退団し、キヤノンイーグルスに入団した理由を聞かせてください。
「サントリーでは社員選手として仕事をしながらプレーしていました。プロ選手になってラグビーをする時間を充実させたいというのが、理由としては大きかったです。サントリーも良い環境ですが、環境を変えてチャレンジャーとしてプレーしたいと思いました」
──プロ選手になることは、いつ頃から考えていたのですか。
「大学(同志社大学)を卒業し、サントリーに入社する頃には考えていました。ただ、社会人として経験することも多くあると思って社員選手として入社させてもらいました。その後も、プロになりたいという考えは持ち続けていました」
──プロ選手になることは、セブンズ日本代表でプレーすることと関連しているのですか。
「オリンピックを目指すことについては、社員もプロも変わりません。15人制について、プロとして特化してプレーしたかったのです」
──東京オリンピックが終わったら15人制に特化してプレーするという意味ですね。
「そういう意志があったので、プロ選手になりました」
──キヤノンを選んだのはなぜですか。
「沢木敬介さんが監督になるので、その影響だと思われているところがあるのですが、実は、僕がキヤノンに行くことを決めた後で沢木さんの監督就任が決まりました。だから、それは理由ではありません。サントリーは日本一も経験しているし、常に優勝争いにからむチームです。キヤノンはチャレンジャーの立場であり、僕もその一員になってチームの顔になりたいという気持ちがありました」
──サントリーで指導を受けていた沢木さんがキヤノンでも監督になると聞いたときは、どんな気持ちでしたか。
「正直、びっくりしましたけれど、縁を感じました。僕の入団発表があった後、沢木さんから電話があったんですよ。『俺、監督になるけど大丈夫か? お前は嫌じゃないのか』と。嫌って言えないじゃないですか(笑)。それは冗談として、僕は沢木さんに良い印象しかありません。U20日本代表のときの監督でもあり、サントリーでも沢木さんに成長させてもらったので、また一緒にできるのは楽しみです」
──サントリー時代は厳しい指導もあったのでしょうね。
「めちゃくちゃ厳しかったです。でも、的を射た指摘ですし、世界で活躍するために良い意味でのプレッシャーをかけてくれる方でした。僕がサントリーに入った一年目はよく試合に出してもらえて、優勝に絡むような試合でも起用してもらいました。僕自身は自信を持ってプレーしているつもりでも、自信がなく委縮しているように見えたときはハーフタイムに怒鳴られました。『お前は、なんでもっとボールを要求しないんだ!トライを獲る気がないのか』と。それがトップレベルのラグビーの厳しさだと思ったので、言ってもらえて良かったし、成長できたと思います」
──沢木さんの指導法は理解しているということですね。
「僕自身は5年ほどの付き合いなので、厳しい言葉も愛情だと分かっています」
──7月13日にメンバーが集まって、フィットネステストを実施されたようですね。以前、お話を聞いたとき、体重が増えているということでしたが、今はどうですか。
「88㎏くらいです。その体重がまだ体に馴染んでいなくて、フィットネステストではしんどい感じもありましたが、目標の数値は達成できていますので、これを体に馴染ませながら怪我なくやっていきたいです」
──キヤノンというチームの印象はどうですか。
「沢木さんがいるからかもしれませんが、いい緊張感がありますね。僕は、一年間はセブンズに特化しますが、皆さんに理解してもらえて楽しくできています」
──キヤノンに以前から仲の良かった選手はいるのですか。
「大学で一緒にプレーした永富健太郎がいますし、キャプテンになった田村優さんは僕が15人制の日本代表で初キャップをとった時(2015年4月18日、対韓国代表)、一緒にプレーしました。安井龍太さん、小倉順平さんは同期入団になったので仲良くしてもらっています。安井さんはセブンズでも一緒にプレーしたことがあるのですが、小倉さんとは初めて話しました。フレンドリーですぐにチームの輪の中心に入っていける人です」
──キヤノンと、セブンズの活動はどのように両立させるのですか。
「セブンズ日本代表の合宿があるときは、そちらを優先することになります。トップリーグ開幕後も、セブンズのワールドシリーズ出場を優先させてもらいます。もちろん、トップリーグの試合にも出たいのですが、オリンピックでメダルを狙うなら、両立は難しいと思っています。東京オリンピックまではセブンズを追いかけます」
──前回のリオデジャネイロのオリンピックでは、直前にメンバー選考から漏れ、バックアップメンバーとしての帯同でした。その悔しさはあるでしょうね。
「そこは強いです。もし、2016年のオリンピックに出場できていたら、今回の一年延期が決まったとき、一年後も挑戦できたかどうかわかりません。あの悔しさがあったから、すんなりやり切ろうという気になりました」
──ラグビーをする多くの選手が目指すのは、高校、大学、トップリーグの優勝、そして日本代表、RWCだと思います。オリンピックはその中で異質のものです。松井選手にとってはどんな位置づけなのですか。
「代表カテゴリーの中で初めて選ばれたのがセブンズ日本代表でした。その後、15人制日本代表にも選ばれましたが、最初に認められたのはセブンズです。オリンピックはアスリートが目指すもっとも大きな大会だと思いますし、出場できる可能性があり、メダルを獲るかもしれないチームにいられるチャンスは、そうはありません。僕の中でオリンピックはRWCと同じくらい大きなものです。達成してからRWCを目指したいです」
──現在のセブンズ日本代表はどんなチームですか。
「2016年のときもそうだったのですが、正直に言えば、毎大会、好成績をあげているわけではありません。まだ期待されているようなチームではないと思います。昨年、15人制日本代表がRWCで活躍しましたよね。憧れると同時にセブンズのメンバーとして悔しい思いもしました。僕たちは注目選手も多くない。オリンピックで注目される存在になりたいし、尊敬されるようなチームになりたいです」
──福岡堅樹選手がセブンズからの引退を表明しましたね。
「福岡さんとはポジションも同じですし、ライバル視していることをメディアにも取り上げてもらいました。RWCで活躍されたのを見て、あの人に勝ちたいという気持ちが大きくなりました。一緒にプレーしたかったし、学ぶものもあったと思います。でも、医師になる夢に向かって決断されました。同じくオリンピックを断念された桑水流裕策さん、橋野皓介さんも含め、先輩方の気持ちも背負って戦いたいです」
──メダルを獲るために、何をレベルアップさせたいですか。
「ラグビースキル、個人のスピード、フィットネスはもう一段階、二段階高くしないといけないでしょう。まだ、まとまりにも欠けています。セブンズファミリーと言われるくらい、家族のようになろうと話している中ではまだ愛情が足りない。一年延期になって時間ができたので、より一層、チームとしてまとまっていきたいです」
──東京オリンピックでメダルを獲るためにターゲットになるチームはありますか。
「日本代表は開催国枠で参加しますのでベスト4のチームと初戦に当たる可能性が高いです。フィジー、ニュージーランド、南アフリカ、アメリカあたりですね。環境に慣れているという意味で日本代表のほうが有利なので、初戦に勝って勢いに乗りたいです」
──松井選手自身は、セブンズの選手として4年前と何が変わりましたか。
「リオの後、サントリーに入団してスピードの面でも自信が持てたし、それによってワールドラグビーセブンズシリーズでも活躍することができました。大学生の頃は先輩に引っ張ってもらう存在でしたが、自信がついて前に出て発言することも増え、大会によってキャプテンも任されるようになりました。メンタルの部分は強くなったと思います。ポジションも、主にWTBだったのが、SHもやりますし、FWでスクラムを組んだり、ラインアウトで飛んだり、いろんなポジションでプレーできるようになりました。岩渕健輔ヘッドコーチ(男子セブンズ日本代表)からも『チヒトは、試合に出続けてもらわないといけない』と言われますし、どのポジションもこなせるように取り組んでいます」
──東京オリンピックが終われば、次は2023年の15人制RWCですね。
「2023年に向かってはアピールする期間が短くなりました。ジェイミー・ジョセフヘッドコーチ(男子15人制日本代表)も東京オリンピックは見てくれると思うので、強烈なインパクトを与えるようなプレーをし、トップリーグでもアピールしていきたいです」
──最後にファンの皆さんにメッセージをお願いします。
「まずはオリンピックに出場してメダルを獲るので、応援してもらいたいと思います。帰ってきたら、キヤノンで活躍したいです。ラグビーファンの皆さん、キヤノンファンの皆さん、サントリーファンの皆さん、ぜひ引き続き応援をよろしくお願いします」
──チームは変わっても応援してくれるファンの皆さんがいるのは嬉しいことですね。
「今年になって移籍が多いのですが、SNSでファンの皆さんからたくさんの激励のメッセージをいただいています。何があっても応援してくださるファンの皆さんは、すごく優しいと思いますし、そういう応援があるからこそ、さらに頑張ろうと思えます。感謝しています。これから、キヤノンでしっかり試合に出て、結果を残せるように頑張るので、引き続き応援をお願いします」
すべての質問にハキハキと答える態度に自信とプライドが感じられた。リオデジャネイロ・オリンピックのときは大学生だったが、社会人として経験を積み、セブンズ日本代表ではチームを引っ張るリーダーの一人となった。スピードを落とさず、体重を増やすことにも取り組む。オリンピックからRWCへと目標も明確だ。福岡堅樹がいなくなるのは寂しいが、松井千士はこれから円熟期を迎える。ケンキがいなくても、チヒトがいる。最速のトライゲッターが日本中を熱狂させる日を楽しみに待ちたい。
文:村上晃一
村上 晃一
ラグビージャーナリスト。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。現役時代のポジションは、CTB/FB。86年度、西日本学生代表として東西対抗に出場。87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者として活動。
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