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ラグビー コラム 2020年7月29日

小倉順平のあくなき向上心 キヤノンイーグルスで自らを鍛え、 RWC2023の日本代表スタンドオフへ

村上晃一ラグビーコラム by 村上 晃一
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2020年に入り小倉順平のラグビー人生は激変した。NTTコミュニケーションズシャイニングアークスで5年目のトップリーグを戦いながら、シーズン序盤で退団しサンウルブズへ入団。2017年シーズン以来のサンウルブズでプレー機会を得た直後、新型コロナウイルス感染症拡大によるスーパーラグビー休止が決まる。一縷の望みに賭けて待機し、世界各地に散らばったチームメイトとの合同トレーニングをリードするなど苦境のなかで小倉はできるかぎりの行動をとった。しかし、サンウルブズの活動はいったん終了。プレーする場を失った小倉に声をかけたのはキヤノンイーグルスだった。しかし、キヤノンには小倉と同じポジション(スタンドオフ=SO、10番)に日本代表の田村優がいる。それでも小倉はキヤノンへの入団を決めた。約半年の間に3チームを渡り歩くことになった心の動きについて、思い描く未来について、詳しく聞いた。


──キヤノンイーグルス入団の経緯について聞かせてください。

「サンウルブズに所属していたときにキヤノンから声をかけていだだき、いろいろな話をしました。入団を決めるにあたって、沢木敬介さんが監督になるということ、田村優さんがいることは大きかったです。自分を成長させてくれる場という意味で、よい環境だと感じたのです」

──沢木さんはサンウルブズのコーチングコーディネーターを務めていました。どんな印象をもっていましたか。

「コーチとしての経験が豊富で、(僕に)できないこと、足りないものを指摘してくれますし、学ぶことの多いと感じていました」

──サンウルブズで出会う前は、接点はなかったのですね。

「はい。(サントリーサンゴリアスの監督として)怖い顔をして笑わない沢木さんしか知りませんでした(笑)」

──そのイメージは実際に話をして変わりましたか。

「かなり変わりました。気さくですし、いろんな人をいじります」

──なぜ、NTTコミュニケーションズを退団したのですか。

「NTTコミュニケーションズではプロ選手としてプレーしていました。契約上、トップリーグでプレーしなければいけなくて、シーズンが重なっているスーパーラグビーでプレーするには退団するしかなかったんです」

──それくらいサンウルブズに行きたかったのですね。

「サンウルブズが今年でスーパーラグビーを離れることが分かっていました。スーパーラグビーでプレーする機会は一生に一度あるかないかです。2017年にサンウルブズに参加した時もいろいろ感じることがあったので、もう一度行きたいという思いは強かったです」

──サンウルブズが最後だと分かっていながらNTTコミュニケーションズを退団するのは、退路を断つことになります。そういう行動に出る性格には見えませんでした。

「はい、そういうタイプではなかったです。でも、サンウルブズに行くと決めてからは、気持ちが曲がることはなかったです。(契約上は)僕の言っていることがおかしいのですが、気持ちが伝わったのか、最終的には会社(NTTコミュニケーションズ)からも、頑張っておいで、と言ってもらえました」

──短い期間になりましたが、サンウルブズでの活動が実現してどうでしたか。

「実質2カ月くらいしか在籍できませんでした。今年は外国人選手が多いチームでしたが、サインや戦術を、どれだけ早く覚えられるかどうかが、試合に出られるようになる勝負でした。僕が参加したときには、チームが始動して2カ月くらい経っていましたので。とても良い経験でした。沢木さんに出会えたし、久しぶりにガース・エイプリル(元NTTコミュニケーションズ)ともプレーできました」

──キヤノンイーグルスには同じポジションに田村優選手がいますね。

「出場機会を考えたら、行かないという選択をするのが普通かもしれません。でも、今の僕の考え方は違います。これまでの自分の環境は試合に出られるのが当たり前でした。自分が納得できるプレーができていなくても、試合に出られた。それは良いことなのですが、人に指摘してもらえることは幸せなことだとも感じていました。下手なら下手と言ってくれる人がいないと成長できません。自分の中ではそれが大事だと思っていました。まずは自分の成長を重視してこの半年くらい動き、指摘してもらえる人がいるところに行きたい、という思いになりました」

──田村優選手を越えないと、試合には出られませんね。

「もちろんです。だから、自分の形をしっかり持てるようにしたいです。パス、キックなどで指摘されるのをイエス、イエスと聞くのではなく、自分流に落とし込んで、それを体現できるようにしたいと思っています」

──どんなSOを目指しているのですか。

「今までは、ボールを持ったら走って抜く、スペースがあったらいつでも行くようなプレースタイルだったのですが、各国代表のSOでそういうタイプはいません。常に安定したパフォーマンスで、チームがやろうとしていることを体現するのが大事です。今はそれができるようなることしか考えていません」

──2023年のラグビーワールドカップ(RWC)で日本代表の10番を背負うのが目標ということですね。

「はい、目指しています」

──キヤノンでの目標は。

「信頼を得て、試合に出るのが第一の目標です。キヤノンには日本代表のSOがいるわけですから、ここで試合に出ることができれば代表に食い込むレベルにいるということです」

──田村優選手はキャプテンですよ。

「そうですね(笑)。これがまた、楽しいのです」

──日本代表への思いは、いつ頃から強くなりましたか。

「3年前(2017年4月22日、対韓国代表戦)、初めて日本代表キャップを獲得しました。そのときは、ラグビーを好きでプレーしていたら選ばれたという感じで、日本代表に選ばれたくてプレーしていたわけではなかったんです。そんな気持ちでいたら代表から落ち、今に至ります。日本代表がどれだけ偉大かというのは一回選ばれて、落ちて気付きました。気付くのは遅いのですが、誰もがプレーできる場所ではないのです。2019年のRWC日本大会を見ていても、誇りに思える場所でプレーできるのは幸せだし、ラグビーをする上で最高の目標だと思います」

──日本代表の快進撃を見ながら悔しい思いもありましたか。

「悔しさよりは、嬉しさが大きかったです。ラグビーが多くの人に認知されました。嬉しかったです」

──NTTコミュニケーションズシャイニングアークスは、クラブハウスなど素晴らしい施設がありましたね。キヤノンイーグルスも立派なクラブハウス、グラウンドがあります。施設面での感想はありますか。

「僕は、施設のことは気にならないんです。ラグビーができるグラウンドがあれば大丈夫です。違うと思ったのは、キヤノンは駐車場の場所が30歳以下と、30歳以上の選手で分かれているくらいですね(笑)。30歳以下は奥の方にあって、30歳以上の方はクラブハウスの近くです」

──体作りの面ではどんな目標を持っていますか。

「体重は現在、過去最高くらいで82㎏です。走る部分も、チームのフィットネステストの基準は満たしているので、それを底上げして、そのまま行きたいなという感じです」

──体重は重いほうが良いということですね。

「一時期、軽すぎると感じるときがありまして、ある程度大きくして走れるようにするのがベストです」

──再開されたスーパーラグビーは見ていますか。

「ニュージーランドのスーパーラグビーは試合によって見ています。個々の選手よりも、試合の流れを見ています。クルセイダーズ対ハイランダーズを見ていて、クルセイダーズはトライを獲り切るけど、ハイランダーズはミスなどで獲り切れない。いろいろ参考になります」

──見ていると、スーパーラグビーでもっとプレーしたかったと感じるのではないですか。

「それはもう、仕方ないです。僕は楽観的なので、今できることをやるだけです」

──最後にチームは変わっても応援をしてくれるファンの皆さんにメッセージをお願いします。

「今年になって移籍が多いのですが、SNSでファンの皆さんからたくさんの激励のメッセージをいただいています。何があっても応援してくださるファンの皆さんは、すごく優しいと思いますし、そういう応援があるからこそ、さらに頑張ろうと思えます。感謝しています。これから、キヤノンでしっかり試合に出て、結果を残せるように頑張るので、引き続き応援をお願いします」

口調は穏やか、笑顔の絶えないインタビューだったのだが、強い意志を感じた。小倉順平はラグビーができる時間を愛おしむように、厳しい指導者と最強のライバルがいる場所で自分を高めようとしている。桐蔭学園高校で日本一になり、早稲田大学、NTTコミュニケーションズでも正SO。恵まれた環境でプレーしてきたが、甘えることなく、退路を断った。その挑戦を応援したいファンは多いだろう。「直接いただいたメッセージには必ず返事を書いています。普通は書かないんですか? 返事するとびっくりされることがあって(笑)」。温かい応援を原動力にキヤノンイーグルスで成長する姿を見るのが楽しみだ。


文:村上晃一

村上晃一

村上 晃一

ラグビージャーナリスト。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。現役時代のポジションは、CTB/FB。86年度、西日本学生代表として東西対抗に出場。87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者として活動。

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