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ラグビー コラム 2020年7月9日

大野均、日本代表98キャップの足跡 ついに最多キャップ保持者になったサモア戦 そして、因縁の相手との最後のテストマッチ

村上晃一ラグビーコラム by 村上 晃一
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大野が選んだもう一つの日本代表戦は、2016年6月25日、味の素スタジアムで行われたスコットランド戦だ。2015年のRWCで南アフリカを破って世界を驚かせ、プール戦で3勝という好成績を残した日本代表が、2019年のRWCに向けての強化をスタートさせた時期だ。しかし、ジョーンズHCの後任ジェイミー・ジョセフHCは、ニュージーランドラグビー協会との契約を残しており、このときは、サンウルブズのマーク・ハメットがHC代行を務めた。

SHグレイグ・レイドローキャプテン率いるスコットランドに対し、日本代表はリーチ マイケルが怪我で欠場し、HO堀江翔太がキャプテンを務めた。メンバーには、2015年RWCには参加していなかったLO小瀧尚弘、SH茂野海人、WTB笹倉康誉、FB松田力也らが加わっていた。スコットランドは大野にとって因縁浅からぬ相手だ。大野は2004年秋、日本代表のヨーロッパツアーに参加。エジンバラでスコットランドと戦い、8-100という歴史的大敗を喫した。大野はLOとして先発し、その責任を重く感じていた。

2013年11月9日、大野は再びエジンバラでスコットランドと対戦し、17-42で敗れる。しかし、互角に渡り合った時間は長く、手応えをつかむ戦いだった。2015年のRWCでも日本代表はスコットランドに10-45で敗れたが、大野はこの試合に出場していない。そして迎えた、2016年のスコットランド来日シリーズだった。

6月18日の第1戦は豊田スタジアムで13-26と敗れ、第2戦は、6月25日、東京の味の素スタジアムで行われた。観衆は、34,073人。当時の天皇皇后両陛下が観戦されるなか、日本代表SO田村優のキックオフで試合は始まった。3-6とスコットランドにリードを許した前半19分、日本代表はラインアウトからの攻撃で、SO田村優、CTB立川理道がループ。FB松田力也が抜け出し、連続攻撃からSH茂野海人がトライし逆転。互いに譲らぬ攻防は試合終盤までもつれる。後半35分、16-18で日本代表が2点を追うという手に汗握る展開だった。試合を決定づけたのは、スコットランドSHグレイグ・レイドローの約40mのPGである。前年のRWCでも日本代表の間に立ちはだかったレイドローは、日本代表キラーとも言われた。

悔しい敗戦ではあったが、怪我でリーチを欠き、本来の指揮官も不在の中での惜敗は、日本ラグビーのたしかな地力アップを証明していた。この日も献身的に働いた大野は、のちにしみじみ語っている。「惜しかったですからね」。2004年に比べて、日本代表が強くなったという実感である。しかし、最後のテストマッチになるとは、その時誰も思わなかっただろう。大野はずっと走り続け、RWC日本大会でも雄姿を見せてくれるはず。多くのファンはそう信じていたはずだ。

振り返れば、大野に相応しい最後だったのかもしれない。相手がラグビー界きっての伝統国であるスコットランドであり、天覧試合でもあったのだから。98キャップを積み重ねた鉄人ロックの最後のテストマッチ。もう一度見て、目に焼き付けておきたい。


文:村上晃一

村上晃一

村上 晃一

ラグビージャーナリスト。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。現役時代のポジションは、CTB/FB。86年度、西日本学生代表として東西対抗に出場。87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者として活動。

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