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ストレスを与えると野菜がおいしくなる。いつだったか、そんな話を知って、ラグビーの元コーチとして小膝を打ちたくなった。「そりゃあそうだ」と。根をめがけて注がれる水が乏しければ、少ないチャンスをいかそうと、その根は太くなる。土に塩がまぶされたら、押されっぱなしでたまるかと、みずから甘くなるだろう。温室育ちにコクなんかないのさ。
さあ4月。我々は強かった、いや私たちはそうでもなかった、は、ひとまず脇へよけて、高校や大学のラグビー部出身である新社会人、そのひとりずつに声をかけたい。「君たちは、いまのところ不細工に曲がったキュウリかもしれない。けれど、このキュウリ、本当は甘くてうまいのだ」と。
ラグビーのチームは「快」だけでは強くならない。素質に満ちた若者が集まり、あるいは集め、海外のプロコーチの好む先端の理論を採用、きめ細かなフィットネスやコンディショニング指導で、いつでも持てる力を存分に発揮する。悪くない。されど、自分より、自分たちより、身体能力や幼いころからの競技経験や環境に恵まれた相手も同様の強化を続けてきたら、やはり勝てない。簡単に書くと追いつくことができない。もちろん追い抜けない。
ひとりずつが、よい状態である。それが15人そろう。試合では、みんな体のキレがよく、負傷もいえている。普通に考えると理想だ。でもチームとしての課題、欠点を残したままなら負ける。理屈の外の粘りがないと番狂わせはありえない。
当然、ファイナル、あるいは目標と掲げる最重要ゲームを前に選手が疲れ果てていたら勝てない。決戦2日前からの心身は「きわめて快」のほうがよい。出荷直前にまたいじめたらキュウリはへなへなになってしまう。しかし、そこに至るまでに「快でなし」の過程、時間はどうしてもなくてはならない。
日曜に公式戦があった。翌日ばかりでなく翌々日もコンディション調整が常識かもしれない。だが楽でない相手とぶつかる次戦はこんどの土曜だ。それまでにキックの追い方とそこからのディフェンスの連携を高めなくては危ない。そこで選手のコンディションが損なわれることを覚悟して、あえて、疲れたまま、そこの領域の練習を徹底反復、身体と意識を自動化させる。そうしたほうが勝利できるからだ。コーチは選手の不満を理解しつつ「調整」を捨てる。こういう局面はシーズン中によくある。
シーズン前ならなおさらである。ターゲットとの距離を埋めるためには「無理」しなくてはならない。調整とは優しい顔した悪魔だ。力をつけるために、そのときはもう力が出ないくらい厳格な鍛錬を経る。新しく社会へ出る元ラグビー部員の諸君は、多かれ少なかれ、それを知る監督、コーチ、先生に教わったはずだ。
運動部、いわゆる部活からも理不尽のスペースはどんどん失われている。ここは広く社会のありかたを反映している。それでもラグビーのような楽でない競技と無縁であった同世代とあなたは少し違う。「ストレス」をくぐりぬけてきたのだから。
ただしラグビーの場の「ストレス」が人生に真っ黒な絶望をもたらすことは許されない。ここは指導者が深く考えなくてはいけない。昔、ある往年のラグビー選手が以下の内容を語って、なるほど、と納得した。いわく。
「自分の子どもが生まれたら、自動車で遊園地に連れて行ってはならない。電車やバスといった公共交通機関に乗るべし」。ココロは。「楽しいことの前には少し嫌なことがあったほうがいい。座りたいのに座れない。駅の階段ですれ違うおじさんの足を踏んでにらまれる。そういうことがあったほう人生の耐性ができる」。まあ、北海道は十勝の牧場の家族や、沖縄県今帰仁村のスイカ農園の一家ならクルマを用いるべきだが、語った人は首都圏在住なので、こういうたとえになった。
電車の席が空いていない。それは幼き心を根源で傷つけるストレスではない。でも、そのときは結構つらい。昔、携帯電話のない時代、ガールフレンドの家の番号をダイヤルするのにちょっと似ている。なぜか決まって父親が受話器をとる。楽しいことの前のストレスだ。
社会人になれば、つまり、あとで振り返れば、そっと微笑できるのだが、その瞬間には、つらく苦しく痛いような練習をときに味わう。理不尽や無理を「振り返る微笑」にさせるのは、コーチの部員ひとりずつへの敬意だ。指導者は、対象が小学1年であろうとも、ラグビーに向き合っているという一点をもって、そこにいる人間のすべてを尊敬すべきである。愛情と言い換えてもよい。慣習的な罰はチームを崩壊させる。指導する側が感情を乱して怒るのははっきりと論外である。あくまでも目標の試合から逆算して、ここ、というところで負荷をかける。そこにいるラグビー部員の人格を傷つけず、身体や精神に、制御されたストレスをかける。
ここ2、3年、エレクトロニクス企業や放送会社で人事などを担う複数の知人が同じ内容を筆者に話した。「最近の新入社員はいつの時代とも変わらぬ若者で、まじめで優秀である。ただ会社で人生初のストレス、試練を感じる人間が増えた気がする」。本稿のヒントだった。ひとりひとりが異なる以上、一般化は慎むべきだが、やはり社会との関連、親子関係の密度の変化もあって、幼少や青春期に土に塩をまかれる機会は減っているのかもしれない。
元ラグビー部員は、甘いばかりでない青春を知る分、甘く、うまく、噛みごたえがある。そして、ラグビーを続けてきて、きっと、いちばんよかったのは「本当がわかる」ことだ。この仕事は本当に自分には合わない。いや、いまは試練を養分とする過程なのだから、遠くない日、本当に楽しくなる。そこを峻別できる。簡単に会社をやめもしないし、人間の尊厳の観点からやめるべきときはあっさりやめられる。実感をともなう基準を内側に持てる人は幸福である。
最後に、グラウンドから職場へ戦う場を移した若者へ往年の名選手からの一言を。南アフリカの元ラグビー選手の社会での成功を描いた一冊『From Locker Room to Boardroom』より。1980年代前半、同国代表スプリングボクスの背番号14として、圧倒的な速さとパワー、みなぎる活力でトライを量産したスピードスター、レイ・モートは、青年期にはやんちゃなところもあったのに、現役引退後、水圧シリンダー整備の小さな会社を「ゼロから」起こし、思慮深い経営によって、みるみる大企業グループへと導いた。不滅のモットーは「ディシプリン」。スプリングボクスのテストマッチ当日にも「早朝に起床、5kmのランを欠かさなかった」男は、ビジネスでの成功の秘訣を語る。
「お客さんのニーズのみに集中すること。大言壮語は禁物。期待外れよりも期待以上を。するとお客さんはまたあなたを訪れる」
若き日、隣国ローデシア(現ジンバブエ)から衣服と1か月分の食費だけ携えて南アフリカへ渡った叩き上げらしい。簡潔で飾りがない。
藤島 大
1961年生まれ。J SPORTSラグビー解説者。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。 スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。 著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)近著は『事実を集めて「嘘」を書く』(エクスナレッジ)など。『 ラグビーマガジン 』『just RUGBY 』などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球にみる夢』放送中。
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