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ラグビー コラム 2019年1月29日

ヤマハ発動機の監督から新たな道へ。清宮克幸監督退任会見

ラグビーレポート by 斉藤 健仁
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さらに清宮監督は2つの集合写真を取りだし、説明を続けた。

1つは2001年度、ヤマハ発動機が初めて関西社会人リーグで優勝したときの歓喜の写真だった。「初めてヤマハのグラウンドにいったとき1枚の写真を見つけました。何とも言えない表情です」。

「これを越える写真はなかった。この1枚が影響とモチベーションを与えてくれた」。この写真を越えるために、清宮監督はヤマハの練習グランドでトレーニングを重ねてきたというわけだ。

続いて、もう1枚の写真を取りだした。それが2015年2月の日本選手権でヤマハ発動機がクラブ史上初めて日本一となり、選手とファンで撮った集合写真だった。

清宮監督は「これが私の宝物になる写真です。多くのファンを背中に、何とも言えないですね。日本一を取った仲間たちとの写真です。これが私のヤマハラグビーのすべてです」としみじみと語った。

「4つのチームが優勝争いを繰り返していた中に、低迷を経験し、人材に恵まれず、環境に恵まれないチームが4年で日本一になれると証明した写真です」。

「これが私のヤマハ発動機で、監督として一番の仕事だったのかな。やればできるというものを、多くのラグビーチームに伝えることができたんじゃないかなという思いです」。

2014年度からヤマハ発動機はトップリーグの強豪としてベスト4に5回入ったが、惜しくもトップリーグ王者にはなれなかった。

だが、清宮監督は「トップリーグチャンピオンという結果は得られませんでしたが、私はそれ以上の、ヤマハファミリーという仲間を監督8年で得ました。私にとって何よりの宝物になります」と胸を張った。

その後、質疑応答で、ヤマハ発動機を強豪に押し上げることができた要因を聞かれて清宮監督は、「選手たちのレベル、質、そういったものはトップチームより劣るものがありました」。

「彼らにヤマハしかやらないラグビーをやる大方針、ヤマハオリジナル、 ヤマハスタイルを浸透させたことがトップ4(の常連に)になった一番大きなポイントだったと思います」と説明した。

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