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モーター スポーツ コラム 2025年12月8日

マッサの訴訟が新局面、焦点となるバーニー・エクレストンとは

F1コラム by J SPORTS 編集部
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元F1最高責任者バーニー・エクレストン

元F1最高責任者バーニー・エクレストン

元フェラーリF1ドライバー、フェリペ・マッサが2008年シーズンの“Crashgate(クラッシュゲート)”事件をめぐって起こした訴訟が、11月20日、正式に裁判に進むことが決まった。その訴訟には、当時F1の最高責任者を務めていたバーニー・エクレストンも名を連ねている。

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F1商業化の立役者、エクレストンとはどんな人物か

1930年、イングランド東部サフォークの小さな村に生まれたエクレストンは、漁師の家庭で育った。経済的な自立を目指して16歳で学校を離れると、地元ガス会社で働きながらオートバイの売買に携わり、戦後の二輪市場で商才を磨いていく。

レーシングドライバーとしても活動し、500ccフォーミュラ3に参戦してブランズ・ハッチで勝利を挙げたものの、事故を重ねたことで現役を退く。その後はマシンの売買や若手ドライバーのマネジメントへと軸足を移し、1950年代末にはスチュアート・ルイス=エヴァンスやヨッヘン・リントのマネージャーも務めた。こうして得た知識と人脈を背景に、1971年にブラバムのオーナーとなったことが、エクレストンをF1の政治と商業の中心へ導く大きな転機となる。

F1をひとつの産業へ

1970年代前半のF1は、興行としての統一性に欠け、グランプリの参戦交渉はチームごとに行われていた。テレビ放映権も体系が整っておらず、現代的なスポーツビジネスとは程遠い状況だった。

それを変えたのが、エクレストンが主導したフォーミュラ・ワン・コンストラクターズ・アソシエーション(FOCA)だ。チーム代表をまとめ上げ、主催者との交渉窓口を一本化することで、出場料や待遇改善を大きく前進させた。

このチームの団結を背景にFOCA はFISA(国際自動車スポーツ連盟、のちにFIAへ統合)との激しい対立を乗り越え、1981年にコンコルド協定を締結。レース運営と商業面の役割分担が明確化され、FOCAはテレビ放映権交渉を中心とした商業面の実務を担う立場を確立した。そこからエクレストンは1987年にフォーミュラ・ワン・マネジメント(FOM)を設立し、F1の収益だけでなく全グランプリの運営権も掌握する体制を整えていった。

世界規模へ広げたF1

1990年代に入ると、エクレストンはF1のグローバル展開をさらに加速させる。アジア、中東、アメリカへと開催地を広げ、世界的スポーツイベントとしての存在感を大きく高めた。サーキットとの契約交渉、放映権の一元管理、スポンサーシップの強化など、その積み重ねがF1を巨大エンターテインメント産業へと成長させた。

また、マネージャーとして関わったルイス=エヴァンスとリントの2人をレース中の事故で失った経験は、F1初のメディカルオフィサー設置につながり、安全性向上への取り組みを後押しした。

影の部分と揺るがぬ影響力

その華々しい功績の裏で、エクレストンは巨額の脱税や贈賄疑惑、人種・差別をめぐる発言など、多くの批判も浴びてきた。私生活でも、46歳年下の女性との再婚や89歳で子どもが誕生したことが話題になるなど、常にその存在は注目の的となっている。

2017年のリバティ・メディアによるFOM買収を機にトップから退き、2020年には組織から完全に離れたものの、エクレストンの影響力がいまなお大きいことは広く認識されている。

功績と論争が交錯するエクレストンの歩みは、F1というスポーツの複雑さを象徴しているとも言える。今回の訴訟をめぐる動きもまた、F1の歴史を見つめ直す一つの契機となるだろう。

文:J SPORTS編集部

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