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モータースポーツ コラム 2025年11月10日

戦い続け11年。”古代兵器”が創設22年のチームに初勝利をもたらした

SUPER GT by 島村 元子
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木村偉織(No. 5 マッハ車検 エアバスター MC86 マッハ号)

2025年シーズン最後の戦いとなったSUPER GT第8戦もてぎ大会。GT300クラスの予選2位からスタートを切ったNo. 5 マッハ車検 エアバスター MC86 マッハ号はピット作業でタイヤ無交換を敢行、終盤は単独走行となり、後続に9秒強の差をつけてトップチェッカーを受けた。後半スティントでステアリングを握った木村偉織は、「とにかく最後まで走ってくれよ」とクルマに話しかけていたという。

チェッカーまで残り20周を切ったあたりから、「もうこれは勝ちパターンに入ったな。あとはトラブルが出ずにゴールできれば優勝できるぞ」と手応えを感じた木村。コース上のクルマはペースもよく、仮にライバルと同じくタイヤ交換を行なったとしても勝つ可能性があったと思わせるほど、クルマは上機嫌で最後まで速さがあった。「今回はマザーシャシーの良さを活かせる戦いができました。セッティングはじめ、ドライビングや戦略に基づいたピットワークなど、すべてがうまくハマったんです」。

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一方、シーズンベストの予選結果を手にしたチームは、レース前から決め打ちでタイヤ無交換の準備を進めていた。これは玉中哲二チーム代表の強い希望であり、レース前に木村と塩津佑介のふたりは「タイヤをしっかりと守ってゴールまで繋げてくれ」と指令を受けていた。玉中代表は、「タイヤさえ保てれば勝てると読んで、クルマはタイヤ無交換を前提にセッティングしていた」とレース後に語ったが、それには足元を支えるヨコハマタイヤの開発陣による協力も欠かせなかった。SUPER GT参戦車両のなかでただ一台であるMC86の足元をしっかりと支えてくれたことに感謝し、同時に、無交換をやり遂げることができたのはドライバーふたりの努力の賜物でもあったと手放しで喜んだ。

自らレーシングドライバーとして、MC86をドライブした経験を持つ玉中代表。当然ながらクルマへの思い入れも強い。MC86での参戦をいつやめようかと思いつつ、気がつけば初参戦から11年が経ち、今や”古代兵器”などと呼ばれるようになった。最新の技術を投入するレース界においては、極めて珍しいポジションにあるのは明らかだ。当然、スペアパーツもどんどん減っており、破損などしようものなら、その修復は一筋縄ではいかない。長くチームスタッフとして関わるメカニックたちが手間隙かけて修復し、レースに臨んでいる。もてぎには、シーズンベストを目指して乗り込んできたというが、実のところ”本命”のレースではなかった。狙いを定めていたひとつ前のオートポリスで14位に留まったことが、最終戦に向けてチームを奮い立たせていたのだ。

「クルマの特性に合ったオートポリスで表彰台争いできると思っていたんです。もともともてぎは入賞できればいいなというレベルだったのですが、実際に走り出すとすべてがうまく噛み合って」。予選Q2で木村が2番手グリッドを手にしたことで弾みがついた。レース展開、タイヤ無交換を含むピット作業、そしてコース復帰後の快走……すべてが優勝に向けて一本の線が繋がった。「レース中、優勝が見えてくるといろんな人の気持ちを背負って走っているような感覚になりました。最後の1周は、お世話になっている人たちの顔が次々と浮かび、その方たちに感謝しながら走ってチェッカーを受けたんです」。これは、シート喪失の危機を乗り越えた木村ならではの感情だったのだろう。

2023年、木村はGT500クラスにスポット参戦のチャンスを得る一方、全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権でシリーズチャンピオンを獲得。翌年は全日本スーパーフォーミュラ選手権へのステップアップを果たし、フォーミュラレースに専念した。しかし、今年は年が明けてもシートが確定せず、5号車での参戦が決まったのも開幕前の3月。これまでのレース活動で世話になった関係者が繋いでくれた縁でもあった。それゆえ、結果を残すことで恩返しをしたいという気持ちも強かったという。そのなかで初めて乗るMC86はまるでフォーミュラカーのような乗り心地であり、このクルマなら自身の経験を活かせるという確信が木村にはあったようだ。

「とにかくいいクルマなんです。パワーもダウンフォースも少なめのGT500クラス車両みたい。フォーミュラに例えるなら(日本最高峰の)スーパーフォーミュラと(ステップアップカテゴリーである)スーパーフォーミュラ・ライツの中間くらいですかね。乗るとフォーミュラカーのようなフィーリングを得られるクルマで、軽快な動きをするんです」。フォーミュラレースで得た自らの経験と強みを活かし、速さを見せることがチーム全体の士気を高めることに繋がると信じた木村は、同じくフォーミュラレースの経験を持つ塩津とともにクルマ作りやドライビングの研究に努めた。かくして、若手ふたりのドライバーによって”古代兵器”は若返り(!?)、ついに優勝という大きな成果を手にすることとなった。

「今回の勝利で、諦めずにやり続けることの大事さを知りました。チームとして参戦22年目にしての優勝は、悔しい思いがたくさん積み重なった上に獲れたものだと思うし、玉中代表の熱い思いも共有できて本当に良かった」。今回の優勝を機に、もっとチームに貢献してチャンピオンを狙いたいという気持ちになったという一方で、再びGT500クラスに挑戦したいという思いも膨らんでいる。今はまだ、その”揺れる気持ち”で居られることに幸せを感じているというが、「玉中さんのように、自分もずっと挑戦し続けないといけない。さらにいい形でレースをしていきたいと思います」。さて、”継続は力なり”で挑んできたチームによって覚醒した木村の来シーズンや、いかに!?

文:島村元子

島村元子

島村 元子

日本モータースポーツ記者会所属、大阪府出身。モータースポーツとの出会いはオートバイレース。大学在籍中に自動車関係の広告代理店でアルバイトを始め、サンデーレースを取材したのが原点となり次第に活動の場を広げる。現在はSUPER GT、スーパーフォーミュラを中心に、ル・マン24時間レースでも現地取材を行う。

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