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モーター スポーツ コラム 2024年12月30日

ロニー・クインタレッリ(No.23 MOTUL AUTECH Z)「淋しさというよりうれしさ。こんなすごい仲間とずっとやってきたんだと、うれしかった。」 | SUPER GT 2024 第5戦(最終戦) 鈴鹿サーキット【SUPER GTあの瞬間】

SUPER GT あの瞬間 by 島村 元子
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SUPER GTから引退を決意したロニー・クインタレッリ(No.23 MOTUL AUTECH Z)

SUPER GTから引退を決意したロニー・クインタレッリ(No.23 MOTUL AUTECH Z)

「あのとき、何があったの?」__ レースウィークの出来事、ドライバーに話してもらいたいと思いませんか? タフなレースを終えたドライバーに改めて話を聞く「SUPER GT あの瞬間」。2024年シーズンもレースの舞台裏に着目し、ドライバーの気持ちをコラムでお伝えします!

「今シーズンをもちまして、SUPER GTでの活動を終了することをご報告させていただきます」__11月20日、クインタレッリ選手が自身のSNSでこう発表するや、多くのモータースポーツファンの間で衝撃が走った。ニスモの赤いクルマがよく似合う“熱血漢”。その最後の走りを目に焼き付けようと、多くのファンが鈴鹿に詰めかけた。鈴鹿では、ファンからもらったというパワーを振り絞り、グランドフィナーレでは笑顔を見せた。20年という長い年月に渡ってSUPER GTで戦い続けたクインタレッリ選手に、“ファイナルラウンド”を振り返ってもらう。

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── レースを終えた翌日、月曜はどんな感じでしたか?

ロニー・クインタレッリ(以下、クインタレッリ):(自宅がある)横浜に戻って、(イタリアからラストレースを観に来ていた)妹たちと一日過ごしました。やっぱり鈴鹿の日曜日は、レースの内容もそうですが、最後の(レース後にコース上で行われたグランド)フィナーレでファン、GTAの皆さん、ドライバー、関係者の皆さんからもあんなに温かい声を(もらって)……。セレモニーもやってくれて、ものすごくパワーをいただいたので、月曜日はまだ元気いっぱいでした。テンションが高いままで月曜日を過ごしました。

── 鈴鹿戦から1週間ほど経ちましたが(※)、何かしら違いはありますか?
※ インタビューは12月16日に実施

クインタレッリ:正直に言うと、先週の金曜日まで取材だったりとかいろいろバタバタで、ほんとに今までみたいな感じに過ごしてきたんですけど、昨日の日曜日は家族と一緒に過ごして、少しゆっくりできたかな。そういう家族をサービスができたことで、ちょっとレースに関する熱が治まったかな。毎日、SNSで最後の思い出の写真などを、アップしたりしています。このあいだニスモに行って、ファンから頂いた作品やプレゼント、ニスモの歴代のチームメイトや、いろんな方がメッセージを入れたものをいただいたので、それを昨日の日曜日にSNSへアップしました。あれを見たときはちょっと急に淋しい思いが出てきましたね。

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ロニー・クインタレッリ「淋しさというよりうれしさ。こんなすごい仲間とずっとやってきたんだと、うれしかった。」

── さて、鈴鹿大会について。予選では、Q1担当でまさかの15番手。なにがあったのですか?

クインタレッリ:ピットから出る前に、アタックの計測2周目でタイムを出そうとチームと決めていました。みんな(ライバルたちは)3周目(にアタックをする)かなと思って、うちはピットでウェイティングしていたんです。残り8分ぐらいにピットから出たんですが、1周目のアタックに入る前に、前のクルマとのスペースをすごく取っていたんですけど、途中から前の2、3台くらいがゆっくり(のペース)で、まだタイヤを温めていて。“あれっ!?”みたい(な感じ)でした。シケインではさらに3台がペースを落としたので、前のクルマとの間隔を開けたかったから、またもう1回スローダウンして……。でも、僕の計測3周目はタイヤのピークが過ぎてしまって、微妙なアタックでしたね。結局、みんな3周目じゃなくて、4、5周目ぐらいで(アタックをして)。タイヤの違いなのか、(周りは)硬めのタイヤ(選択)だったのかな。だから1周のズレじゃなくて、2周のズレになってしまって、みんなのクルマと(アタックの)タイミングが合わなかったですね。僕のなかでは、かなりフラストレーションが溜まった最後の予選でした。

── 一方、ラストレースに向けて、どんなチームミーティングをしましたか?

クインタレッリ:まず、恒例のチームミーティングをレースウィークの月曜日にやりました。そのときに、監督の中島(健)さんから、ロニーにとって最後のSUPER GTのレースなので、『ロニーは後半(スティント担当)でいいですか?』と聞かれて。普通、ファンの皆さんは、引退するドライバーのチェッカーを受ける瞬間を見たいですよね!? でも、隣にいた千代(勝正)選手が、『いやいや、僕のプレッシャーが半端ない。僕のスティントでなんかあったら、もうロニーの出番がなくなっちゃう』と、千代選手からOKが出なくて(笑)。正直、僕はミーティングに行く前に、自分のなかでも考えていたんです。チームが作戦を考えるときに、そういう話が来るって。そのとき、うちの息子……息子は鈴鹿にも来てくれたんですけど、すごくレースが大好きで、小学生なのにアドバイスもくれたりして。で、息子に相談したんですね。『パパはどうしたらいいと思いう?』って。そしたら『パパはいつもスタートのイメージがあるから、スタート(担当)でいいんじゃない』って言われて。それで、僕はある程度イメージができたんです。この前の鈴鹿戦を含め、SUPER GTで149戦のレースに出たうち、多分9割はスタートドライバーを務めてきたんですよね。多分、ファンは僕に対して“スタートドライバー”というイメージが強いと思いました。最近の作戦の傾向で、ミニマム(の周回数)でピットに入ってきたりするので、今回もスタート(を担当)すると走れる周回数が短くなるんですけど、その姿を見せたら、“最後の最後までロニーらしい”と、ファンも納得するんじゃないかなと思いました。それで、『スタート(を担当)します』って言って、チームのみんなと決めました。

── 決勝に向けて、クルマのセットアップを変更した結果、ずいぶん良くなったそうですね。

クインタレッリ:Q1で、(前のクルマに)引っかかってしまった話をしましたが、多分それがなくても僕のQ1は8番手、9番手ぐらいだったかな? 前(の位置)に来る力がなかったですね。千代選手のQ2もそうでしたが、クルマのバランス的にちょっと足りない部分があって。乗りにくい部分がふたりともまったく同じで、満足しなかったので、決勝に向けて2、3点ほど細かくアジャストをしました。決勝前の20分間のウォームアップ(走行)のときに乗ったら、ものすごくクルマのフィーリングが良くて。SUPER GTの最後のウォームアップでトップタイムも出しました。このクルマのフィーリングなら、すごくいいレースができるという感触がありましたね。チームがやってくれたアジャストがちゃんといい方向で働いてくれました。前日の夜、(2011年〜2013年にコンビを組んだ)柳田(真孝)さんも一緒に千代選手と食事したんですが、『明日、最後のウォームアップだから、ロニーはガソリンが軽い状態で走ればいいんじゃない? それで最後にとんでもない(速い)タイムを出して、いい印象を残したら?』みたいなことを話していたんです。実際は、ガソリンを軽くしたわけじゃなく、普通のレース(仕様)で走って、いいウォームアップができたので、柳田さんもすごく喜んでくれました(笑)。それくらい、レースに向けてはすごく良かった。モチベーションもそうだし、日曜日の決勝に関しては、本当にすばらしくいい感じでした。

── その分、逆に「もう今日で最後なんだな」という気持ちが大きくなりませんでしたか?

クインタレッリ:エモーショナルな瞬間がひとつだけありました。(J SPORTSの中継でピットレポーターを務める)高橋二朗さんからの取材のときかな? スタート前のインタビューのときです。それ以外は、これまで応援してくれた方とか、ファン含めて、23号車のグリッドの周りにたくさんの人が来てくれて。久しぶりに会った方もいて、とにかくみんなと記念写真を撮りたいと思って、かなりバタバタで。“淋しい”とか“これで最後だな”みたいなことを考える時間がなくて、そういう瞬間、瞬間をすべて楽しみたいという気持ちでみんなと一緒にグリッドウォークの時間を過ごしました。(高橋)二朗さんと一緒に居た10秒、20秒間のときだけ、質問に対して、僕の(SUPER GTでの)20年間を振り返っていたら、ちょっとだけそのときは淋しくなって。でも、その瞬間だけでしたね。

── レースでは、オープニングラップから早速アツい走りを披露。“さすが!”という走りでしたが、自身でも“決まった!”というパフォーマンスでしたか?

クインタレッリ:グリッドウォークが終わって、クルマに乗った瞬間、なんだろう……とにかく全部自分の力(を出したい)というか、ベストを尽くしたいと(思った)。こういう(寒い)季節だから、タイヤの温まりで苦労するのはわかっていたんで、フォーメーションラップからすべて力を出し切ろうと、ものすごく努力しましたね。ほんとにフルの力でタイヤを温めて。必ず1周目でジャンプアップしたいという、ものすごく強い気持ちでした。いつもはパレード(ラップ)を入れて2周(のフォーメーションラップ)なんですけど、今回はプラス1周あって、あの3周のなかでとにかくすごくがんばって、『絶対、1周目からポジションアップする。フルアタックで行く!』と決めていたので、いいスタートができましたね。

── そのなかでも、14周目のシケインで見せた14号車(ENEOS X PRIME GR Supra/福住仁嶺)ととのバトルは見ものでした。

クインタレッリ:『誰が前にいたとしても抜ける』というくらい、無意識の状態で走っていたかな(笑)。今回はとにかくタイヤをセーブすることは何も考えてなくて。印象に残っているのは、そのシケインのオーバーテイクですね。前の周に仕掛けようと思ったんですけど、インに行けないように、福住選手にうまくブロックされて。ブロックされたらインから行けないんで、『じゃあ、次の周はアウトから行こう』と。もうその準備はスプーン(カーブ)の2個目の立ち上がりから決めていました。ただ、相手が上手なドライバーでないと接触に繋がったり、接触の可能性もあるんです。でも、福住選手はすごくいいドライバーなので、ちゃんといいバトルができましたね。フェアな戦いでした。

── そのあと、18周終わりでピットに戻り、千代選手へ交代しました。コースへ向かう千代選手を見送られたそうですが、いろんな思いがあったのですか?

クインタレッリ:そうですね。(ひと足先にピットインしたトップNo.36 au TOM’S GR Supraを除き)そのときは3台が同時に走っていて、ホンダの2台(No.16 ARTA MUGEN CIVIC TYPE R-GT #16、No.17 Astemo CIVIC TYPE R-GT)と、3号車(Niterra MOTUL Z)と僕の4台が同じタイミングでピットインしました。それで、1コーナーまでは自分の目で見えるんで、千代選手のアウトラップを(見ていた)。僕の引退が決まってから、彼は(12月1日に富士スピードウェイで行われた)ニスモフェスティバルのときからかな? もしかしたら、僕より淋しい気持ちがすごかったのかもしれない。『ロニーの最後(の走り)だな』みたいに……鈴鹿では、彼は弟みたいに、僕のためにすごくいい走りをしてくれていたんです。だから、『これからは千代選手に23号車を引っ張ってもらわないと』、という気持ちで、彼の走りを見えるところまで見ていました。まだヘルメットを被ったままだったけど(笑)。僕がずっと12年間走ってきた23号車(での走り)を、見守ってあげたいなと思って見てました。

── 鈴鹿のレースでは、“カッコいいロニー”として100点満点の終えることができたと思います。

クインタレッリ:そうですね。僕は、自分に厳しいときはとんでもなく厳しいんですけども、まず、日曜日の決勝に関しては、本当に“文句ナシ”でした。やれることは全部やって、最後のクルマに乗り込んで。最後の走りはほんとに僕らしい……当たり前のことを最後の最後にすることができて、ほんとに100点満点で最後の決勝戦を終えたと思います。

── 追い上げが実り、8位入賞で戦いが終わりました。グランドフィナーレでは、笑顔で壇上に上がりました。涙はありませんでしたね。

クインタレッリ:正直、涙は……ひとりでいるサーキットの外で……ホテルだったり、ひとりのときにいろいろ考えて、ちょっとそういう(涙する)瞬間もあったんです。話が鈴鹿戦の1週間前に戻るんですけども、実は、ニスモフェスティバルのときも、『最後の挨拶では、しゃべる前にすごくいろんな思い出が出てきて(泣いて)しゃべれないんじゃないかな』と思っていました。フィナーレのとき、みんなの前で挨拶があるなと緊張していたら、そのとき、僕の大切な(歴代の)チームメイトたち__(松田)次生さんと柳田さんと千代さんが出迎えてくれて、僕を待っていてくれたんです。僕、それを知らなくて。あの瞬間にものすごくパワーをもらいました。それで、どっちかというと淋しさというよりうれしさ……こんなすごい仲間とずっとやってきたんだなと思って。なんかうれしかったですね。まだ周りに仲間がいて、ファンもそうですが、その仲間たちが鈴鹿のグランドフィナーレのときにも『お疲れ様、お疲れ様』って、ひとりひとりドライバーが言ってくれたりとか。だからグランドフィナーレのときも(泣かないか)心配してたんですけども、うれしくて。みんな周りにいるから、泣けなかったですね(笑)。

これからSUPER GTのレーシングドライバーではなくなるんですけども、ファン含め、大切な仲間たちがみんなまだ横にいるというか。必要なときにいてくれるという感じでした。多分あれがあったから、泣かなかったと思いますね。ニスモフェスティバルでのフィナーレのとき、僕の大切なチームメイトの3人がそばにいたから、僕は気持ちを切り替えて、いい気持ちになってフルパワーで最後のフィナーレまで(戦って)、僕のSUPER GTのキャリアを終えることができました。

ただ、ひとつだけ、感傷的なことがあったんです。想像しなかったことでした。レースが終わり、グランドフィナーレまで20〜30分ぐらい時間があって、そのとき、うちの家族がチームピットに来たんですが、うちの息子が涙を流してて。『えっ!? なんで!?』と。 『あそこまでいいレースできたのに!?』って思ったんです。すごく驚いて、印象に残っています。うちの妻が言ってたんですが、(ラウンジでは)普通の(レースシーンの)映像と、23号車のオンボード(映像)がずっと見れていたそうで、(息子は)その車載の映像から、ずっと一瞬も目を離さず見ていたようです。ずっと最後の最後まで僕の走りを見ていたそうで。僕がいい走りを見せたから、“パパらしい”走りが見られたのに、もうこれからはこの走りが見られないな、って。多分、そこで感動して泣いたんじゃないかな。それが一番すごく……なんだろう、彼に対して、なんか悪いこと(申し訳ないこと)をしたかなという思いがあって。それが一番僕のなかで忘れられないシーンでした(苦笑)。

── 2002年に来日し、長くレースをしてきたわけですが、これから日本のモータースポーツ界でやってみたいことがあるのではないでしょうか?

クインタレッリ:SUPER GTにはドライバーとしてもう参戦しなくなるんですけども、この10何年間、ずっとSUPER GTを中心してやってきて、僕にとっては一番好きな選手権だし、世の中で一番素晴らしいシリーズと今でも思っているんです。だから、いきなり僕の姿がSUPER GTから全部一気に消えると、ずっと応援してくれたファンもそうですけども、僕も完全にファンに会えなくなるのは、あんまり良くないかなと思ってて。鈴鹿でもレースのあとに、いろんなファンに会ったんですけど、『来年も、まだ(SUPER GTの現場に)いますよね!?』みたいな、そういう言葉もファンからもらったので、ぜひ違う形でSUPER GTに貢献できればいいなと思います。どんな形になるかはわからないんですけどね。SUPER GTは、日本での人気はもちろんすごいんですが、僕が10何年間ずっと出ていたことによって、海外でもSUPER GTの知名度が(上がって)……。僕のおかげだけじゃないんですけどね(笑)。SUPER GTの存在感がどんどん広がってきたんで、SUPER GTには恩返しを含めて、なにかできたらいいなと思います。SUPER GTという、素晴らしい世界に残りたいですね。

── SUPER GTからは引退されますが、今後、レース以外のことでやってみたいことはありますか?

クインタレッリ:ずっと結果を出すために、これまで毎日毎日、トレーニングをしてきました。自宅にいるときでも、正直、僕の気持ちのなかでは“完全オフ”があんまりなかったですね。なので、ちょっと年明けから、数ヶ月は“普通の人らしい”1日の過ごし方をしたいかなと思っています(笑)。いつまでかわからないし、ちょっとつまらない答かもしれませんが(苦笑)。それと、これまでずっと僕のトレーニングのために、息子の部屋を使っていたんです。朝起きてから、メインのトレーニングの前に、いつも1時間から1時間半ぐらい自分でトレーニングをするんです。彼の部屋はいい場所というか、外の景色も良くて。ずっと彼の部屋を使っていたので、彼の寝る部屋がまだできてなくて、私たちと一緒に寝ているんです。来年は、まず彼の部屋を作ってあげないとね。僕、すごく綺麗好きだから、家の掃除もして、まずそのベースを作ってからセカンドライフを始めたいかなと思います。

文:島村元子

島村元子

島村 元子

日本モータースポーツ記者会所属、大阪府出身。モータースポーツとの出会いはオートバイレース。大学在籍中に自動車関係の広告代理店でアルバイトを始め、サンデーレースを取材したのが原点となり次第に活動の場を広げる。現在はSUPER GT、スーパーフォーミュラを中心に、ル・マン24時間レースでも現地取材を行う。

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