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今季限りでSUPER GT引退を表明したロニー・クインタレッリ
あの日は暑かったのを覚えている。
2008年9月14日の取材ノートで確かめてみる。気温31度、路面温度44度。
2008年第7戦。ポールポジションからスタートしたカーナンバー3YellowHat YMS TOMICA GT-Rは、カーナンバー1ARTA NSXの追撃を振り切って1.117秒差でゴールラインを通過した。ウイニングランを終えてグランドスタンド前のパルクフェルメに戻って来る前に黄色いGT-Rを待ち受けようとピットウォール中程ゲートからコースに出ようとした。しかし、ピットロードエンドから入るようにオフィシャルさんに指示され、全力でダッシュした。その後のことは、記憶にない。瞬間、ものすごい衝撃を頭部に受け、全身の力が抜けピットロードに崩れ落ちた。ゲートの上部、観音開きの扉の鉄骨で頭を強打して脳震盪を起こしたのだった。
ボクは、GT500クラスの担当であり、ウイニングクルーと監督の喜びの声をJ SPORTSの視聴者とツインリンクもてぎに詰めかけた来場者に場内放送で伝えなくてはいけなかったのに、レース終了と共にピットウォールに群がる関係者の後ろで意識を失ってピットロードで一人ひっくり返っていた。幸いにもう一人のピットリポーターが代役を務めてくれた。記念すべき彼のSUPER GT初勝利のインタビューをボクは逃してしまった。
ロニー・クインタレッリ選手が11月20日にSNS X上で今シーズンをもってSUPER GTの活動を終えると報告した。2002年にイタリアから日本へ。2003年に当時の全日本F3選手権に参戦開始。2004年にチャンピオンを獲得。2005年からは国内のトップフォーミュラ、フォーミュラ・ニッポンと国内のトップツーリングカー、SUPER GT(SGT)の両シリーズに参戦。SGTでは、20シーズンを戦い、チャンピオンには最多の4度輝いている。 2024年第8戦終了時点でポールポジション獲得20回。優勝回数19回。彼にとってのレースキャリアは日本が一番長い。そのグレードドライバーの一人が2024年の最終戦(延期された第5戦鈴鹿戦)を終えてヘルメットを脱ぎ、世界最速のツーリングカーのコクピットに収まることはなくなる。
2015年シーズン、自身4度目の王者に輝いた
初優勝のウイニングインタビューを差し引いて、少なくとも38回のインタビューをさせていただいたことになる。チャンピオン獲得の際、などなど、正確な記録はないけれど、ボクにとって一番多くの回数マイクを向けさせてもらったSGTドライバーになるだろう。始まりがあれば、終わりがある。いや、次のステージへのスタートラインへ彼が向かっている。素晴らしい功績をたたえ、彼の将来へ弥栄を送る。
文:高橋 二朗
高橋 二朗
日本モータースポーツ記者会。 Autosport誌(英)日本特約ライターでもあり、国内外で精力的に取材活動をするモータースポーツジャーナリストの第一人者。1983年からルマン24時間レースを取材。1989年にはインディー500マイルレースで東洋人としては初めてピットリポートを現地から衛星生中継した。J SPORTSで放送のSUPER GTのピットレポーターおよび、GTトークバラエティ「GTV」のメインMCをつとめる。
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