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モーター スポーツ コラム 2024年11月8日

山本尚貴、スーパーフォーミュラ ラストレースへ

モータースポーツコラム by 吉田 知弘
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今季でスーパーフォーミュラからの引退を表明した山本尚貴。

2024年11月5日の夕方。国内モータースポーツ界に大きなニュースが飛び込んできた。

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山本尚貴が2024年限りでスーパーフォーミュラを退く決断をしたことを自身のSNSで発表』

SNSでは彼のスーパーフォーミュラ引退を惜しむ投稿や、自分たちが撮影した写真と一緒に山本に感謝の想いを伝える投稿が、発表から数日経った今でも続いている。

それだけファンの間には、彼が15シーズンにわたて国内トップフォーミュラで戦ってきた記憶や色濃く残っているという証なのだろう。

筆者個人の話になって恐縮だが…私も長きにわたって彼のレースを取材してきた1人。正直言うと「いつかはこの日が来る」という覚悟はある程度できていたため、発表の時は大きな動揺もなく彼がインスタグラムで投稿していたコメントを読んでいた。その後、国内トップフォーミュラの舞台で彼を取材してきたことを思い出していた。

実は、私が初めて国内トップフォーミュラの公式戦を取材したのが2011年の開幕戦鈴鹿。そう、山本が初ポールポジションを獲得したレースだ。

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前年はNAKAJIMA RACINGでチームメイトだった小暮卓史に対して0.357秒差をつけ、パルクフェルメで大きくガッツポーズを見せて喜んでいた姿が今でも記憶に残っている。翌日の決勝ではスタートで出遅れて大きく後退。レース後はチームのトランスポーター内で悔し涙を流したが、国内トップフォーミュラで“トップに立つ”という結果を最初に残したレースだった。

その後、多くのファンの印象に残っているといっても過言ではないのが2013年の最終戦。この年はアンドレ・ロッテラー、ロイック・デュバルがシーズンをリードしていたが、2人とも同じ週末に開催されたWEC参戦のためスーパーフォーミュラは欠席。唯一逆転の可能性を残していた山本は、ほぼフルポイントをマークしないとチャンピオンになれないという状況のなか、予選でダブルポールを獲得し決勝1レース目で初優勝。2レース目は終盤に雨が降り始めて山本もハーフスピンを喫した場面があったが、粘り強く3位を守り切って初のシリーズチャンピオンに輝いた。幾多の困難を乗り越えての初戴冠だったが、一番のピンチだったのが予選Q3。アタック中に他車がコースオフして赤旗中断となったのだ。そこでポールポジションポイントが取れなければチャンピオンの可能性がなくなるという絶体絶命の状況下、再開を待っていた山本は「絶対に諦めない」と言い聞かせていた。

今でも彼が使う言葉のひとつだが、その不屈の精神がレースの場面で垣間見えた瞬間が、この2013年最終戦だった。

もちろん、山本にとって鈴鹿でのスーパーフォーミュラは良い思い出ばかりではなかった。

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カーナンバー1をつけて臨んだ2014年。この年から車両がダラーラ製SF14に変わり、エンジンも2リットル直列4気筒ターボエンジンの『NREエンジン』に変わった。ただ、シーズン開幕の段階でリードしたのはトヨタ勢で、公式テストではホンダ勢はライバルに対して約2秒も遅れた。

それでも山本はライバルとの差を埋めるべく、連日夜遅くまでチームとミーティングし、改善案を模索。開幕戦ではポイント獲得とはならなかったが、最後までライバルに食い下がろうと必死の走りを見せていた。

この頃に彼が常々語っていたのが「苦しい時や辛い時こそ、腐らずに前を向いて頑張る」という言葉だ。そこからライバルとの差を縮めていき、2015年シーズンにはライバルと互角に渡り合えるところまでパフォーマンスを上げ、同年の最終戦鈴鹿で優勝を飾った。


2015年シーズン、優勝を飾りポディウムで喜びを爆発させた。

もうひとつ、スーパーフォーミュラでの名勝負として語り継がれているのが、2018年の最終戦。ニック・キャシディとの一騎打ちだ。最終戦を迎える段階でランキング3番手だった山本だが、今までとは違う気合いの入り方で、予選前や決勝前は取材でも近寄れないくらい鬼気迫る雰囲気があったのを覚えている。

当時はドライタイヤが2スペックあり、ポールポジションの山本はソフトタイヤを選択。4番手スタートのキャシディはミディアムタイヤを履いた。前半は山本がリードしたが、途中のピットストップを終えると流れは逆転。キャシディが1周あたり1秒近いペースで山本に迫り、ラスト3周は手に汗握るバトルとなった。

この時はブレーキに不具合があった山本。残り2周のシケイン入り口ではフロントタイヤがロックアップし、それを大型ビジョンで見ていたグランドスタンドのファンからは悲鳴が上がるほど。鈴鹿サーキットにいる全員が、2台のバトルに釘付けとなっていた。

結果、山本が0.6秒差で逃げ切り、自身2度目のチャンピオンを獲得。パルクフェルメでは緊張から解き放たれて嬉し涙を流していたが、実はマシンを降りた後すぐにキャシディのもとへ握手を求めにいく姿があった。実は2015年の最終戦鈴鹿で自身2勝目を挙げた時も、ガッツポーズをする前にチャンピオンを獲った石浦宏明のもとへ歩み寄り、彼を祝福していた。

こういう自分のことよりも周りのことに意識を向ける山本の姿が、スーパーフォーミュラの現場ではよく見かけられた。実際に、翌2019年も同じキャシディとの王座対決では惜しくも敗れる結果となったが、この時もキャシディの元へ歩み寄り健闘を讃えあう姿があった。
2019年の山本vsキャシディ王座対決の詳細はこちら

そして、山本と鈴鹿サーキットのドラマで記憶に新しいのが今年の開幕戦だろう。2023年のSUPER GT第6戦での大クラッシュで重傷を負い、シーズン終盤は戦線離脱を余儀なくされた。

そこから2024年の復活に向けて手術とリハビリを続けて、何とか開幕前の公式テストから参加することができた。とはいえ、首の痛みを伴っている状態でトレーニングも通常メニューに戻せていなかったとのこと。それでも、予選で5番手につけると、決勝ではポジションを上げて3位表彰台を獲得。その姿に感動したファンも多かったことだろう。
詳細はこちら

2024年シーズン開幕戦で3位表彰台を獲得しファンの感動を呼んだ。

こうして多くのファンを魅了してきた山本だが、国内トップフォーミュラで戦うのは今週末の鈴鹿が最後。山本も自身のInstagramでこのように綴っている。

「最後のSFでのレース、どんな結末が待っていようとも自分らしく、そして持てる力をこのチームで全て出し切ってSFを降りようと思います。」

彼がスーパーフォーミュラを降りることに対して寂しい思いを持っている人や、彼に対して感謝している人…今回の発表について、さまざまな思いを持っていることだろう。

コメントにもあるように、どんな結果になろうとも彼がスーパーフォーミュラで戦うのは今週末が最後。15年のストーリーがどういう形で締め括られるのか。私は最後までしっかりと見届けたいと思う。


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文:吉田 知弘

吉田 知弘

吉田 知弘

幼少の頃から父親の影響でF1をはじめ国内外のモータースポーツに興味を持ち始め、その魅力を多くの人に伝えるべく、モータースポーツジャーナリストになることを決断。大学卒業後から執筆活動をスタートし、2011年からレース現場での取材を開始。現在ではスーパーGT、スーパーフォーミュラ、スーパー耐久、全日本F3選手権など国内レースを中心に年間20戦以上を現地取材。webメディアを中心にニュース記事やインタビュー記事、コラム等を掲載している。日本モータースポーツ記者会会員。石川県出身 1984年生まれ

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