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立川祐路
2023年のSUPER GT第8戦もてぎ大会。毎年、チャンピオン決定の舞台として注目が集まるシリーズ最終戦だが、この年はもうひとつ“特別な出来事”があった。これまで25年にわたってGT500クラスで戦い、3度のシリーズチャンピオンに輝いた立川祐路の引退レースだったからだ。
立川が引退を表明したのは、シーズン途中の第4戦直前。実際には第3戦鈴鹿を終えたあたりで気持ちを固め、6月・7月にかけて、各関係者らに伝えていたという。
また、引退が発表された日のSNSには、普段から彼をはじめ、セルモやトヨタ勢を応援するファンや関係者からもコメントが寄せられ、彼が第一線を退くことに対する影響の大きさがうかがえた。
立川が国内最高峰のGT選手権に参戦したのは、全日本GT選手権時代の1996年。日産300ZX-GTSからスポット参戦を果たした。その後、1999年にTOYOTA TEAM CERUMOに加入。そこから約四半世紀にわたって、セルモのドライバーとして戦い続けてきた。
2000年第5戦岡山での初優勝を皮切りに、これまで語り尽くせないほど数多くの名バトルを披露してきた。もちろん数々の記録を残しており、決勝レースでは歴代2位となる通算19勝をマーク。JGTC時代の2001年にau セルモ スープラを駆り竹内浩典とのコンビでGT500初タイトルを獲得。2005年には高木虎之介とZENT CERUMO スープラで、2013年には平手晃平とZENT CERUMO SC430でチャンピオンに輝いた。そして、立川といえば予選ポールポジションの獲得回数。GT500クラス歴代最多となる24回を記録し『SUPER GT最速男』と呼ばれ、2023年も38号車のQ2を担当し、各サーキットでは最後の予選アタックを披露していた。
2005年は高木虎之介とのコンビで2度目の王者を獲得した。
今でも安定感抜群の走りを見せる立川。引退発表から数日後に開催されたSUPER GT第4戦富士前の記者会見で、その胸中を語った。
「全てのことに始まりあれば終わりがあるので『(レーシングドライバーを)いつまでもできるものではない』ということは分かっていました。そのタイミングがいつかっていうことなのですが、2022年あたりから自分の進退をかけてやろうと思っていました」
「やっぱり、プロのドライバーとしてやっている以上、やっぱりその成績だとかそういったものに責任も持たないといけないし、昨年含めて成績が残せていない……これはやっぱり自分の責任もあると思います」
「当然、昨年を含めてトラブルが出たり、クルマがうまくまとまらないということもありました。ただ、いろんな理由はあるにせよ……自分の中では、『前の自分だったらそういう状況も自分で何とかすることができたんじゃないか』と。それができないんだったら、もう引退をする、身を引くタイミングかなと……それで引退をすることを決めました」
それ以降は、残されたGT500のレースで「ここまで応援してくれたファンの皆さんに応えられるようなレースがしたい」と、繰り返し感謝の気持ちを伝えていた。第4戦富士以降は、毎戦イベント広場でトークショーを実施したほか、ピットウォークやパドックでも可能な限りファンサービスをしている姿がみられた。
「これだけの多くの方々に支えられ、仲間たちと一緒に戦ってこられました。そして多くのファンや応援してくれる方々に、最後までこうやって『寂しい』と言ってもらえる……そういったドライバー人生が送れたことは、もう幸せです」
第4戦の富士スピードウェイでセレモニーが開催された。
そして、GT500最後のレースとなる第8戦モビリティリゾートもてぎ。予選日の引退セレモニーには、多くのファンが駆けつけたほか、セレモニーの様子はYouTubeでも生中継で配信された。
ホームストレートに設置された特設ステージでのトークセッションを終えると、TGR TEAM SARDの脇阪寿一監督が運転するレクサスのオープンカーで1周パレードランを実施。ピットウォークに参加していたファンをはじめ、コースサイドで待機するマーシャル、さらに各コーナースタンドからも、多くの方々が立川に手を振る姿が見られた。
さらに、1周を終えたメインストレートではTGRファンシートで応援するファンたちが、赤いボードを使って『38』の文字を作り、立川に感謝の気持ちを伝えたほか、ゴール地点にGTA坂東正明代表をはじめGT500・GT300各チームのドライバーがで迎えた。2人のお子さんがチェッカーフラッグを担当。普段は立川に傘をさし、近くで応援するチームのレースクイーン『ZENT Sweetis』の中には涙を流しているメンバーもいるなど、最後は大きな感動に包まれた。
引退セレモニーでも、終始笑顔で振る舞っていた立川。「多分、(一番の思い出になるレースに)この最終戦がそうなると思います。引退を表明してから、すごく多くの方に応援してもらっていたし、こういう場も皆さんに用意してもらえて……長いドライバー人生の中でもこの数ヶ月間は、本当に特別な思いがあるし思い出に残る数ヶ月になりました」と、応援してくれる人への感謝の気持ちを伝え続けた。
注目の最終戦決勝は、自らチェッカーを受けるべく後半スティントを担当した。途中に雨が降ってくる難しいコンディションにはなったが、何度も抜きつ抜かれつのバトルを披露し、11位でフィニッシュした。
チェッカー後のクールダウンラップでは「この時間がもっと長く続いてほしいと……寂しさを感じました」と立川。引退を表明してから、どの場面においても気丈に振る舞ってきた印象があるが、この時初めて“もっと乗っていたい”という感情が露わになった瞬間だったかもしれない。
マシンを降りると、最終スティントで順位を争った阪口晴南や牧野任祐が握手を求めにきた。特にスーパーフォーミュラでは立川が監督を務めるセルモインギングで戦う阪口は、今回のために立川のレプリカデザインヘルメットを用意し、彼のGT500最後のスティントを間近で走った。
グランドスタンドからは、惜しみない拍手が贈られ続け、立川もそれに応えるように各方面を向いて手を振り、ピットへ戻っていった。こうして、彼のGT500最後のレースは幕を閉じた。
引退会見後の囲み取材で「立川選手にとって、SUPER GTとは?」と質問すると……、彼は少し考えた後にこう答えた。
「“人生”ですね」
「SUPER GTがあったから今の僕がありますし、多分レースをやっていなかったら大した人間ではなかったと思います。大して何もできないような僕が、唯一できたことです」
彼のラストランから早1ヶ月以上が経った年末に、J SPORTSでは彼の引退特番『ありがとう!立川祐路 SUPER GTベストレース』と題して、彼が繰り広げた名レースを振り返る。
もう一度、SUPER GT最速男の魅力溢れる走りが観られるチャンス。ぜひ、その目に焼き付けてほしい。
文:吉田 知弘
吉田 知弘
幼少の頃から父親の影響でF1をはじめ国内外のモータースポーツに興味を持ち始め、その魅力を多くの人に伝えるべく、モータースポーツジャーナリストになることを決断。大学卒業後から執筆活動をスタートし、2011年からレース現場での取材を開始。現在ではスーパーGT、スーパーフォーミュラ、スーパー耐久、全日本F3選手権など国内レースを中心に年間20戦以上を現地取材。webメディアを中心にニュース記事やインタビュー記事、コラム等を掲載している。日本モータースポーツ記者会会員。石川県出身 1984年生まれ
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