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モーター スポーツ コラム 2023年4月28日

コース上では“ライバル”も、レースが終われば“仲間”……波乱のSUPER GT開幕戦で見られた、ひとつの復活ドラマ

モータースポーツコラム by 吉田 知弘
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懸命の作業で復活した39号車。写真:筆者提供

今年も、岡山県の岡山国際サーキットを舞台に開幕を迎えた2023 AUTOBACS SUPER GTシリーズ。多くのファンが待ち望んでいたシーズン初戦だったが、注目の開幕戦は、まさに“大荒れ”だった。

予選日から雨模様となり、決勝レースもドライコンディションでスタートしたかと思えば、10周過ぎには土砂降りとなり、雹も降るという荒天に。それがレース中盤には路面が乾いてドライコンディションになると、その10周後には雷を伴う強い雨になるという、シリーズ史上でも類を見ないくらいの荒れ模様だった。

天候に翻弄されながらも、GT500クラスでは、ウエットコンディションで抜群の強さをみせ、最後が絶妙なタイミングでタイヤ交換をしたことが勝機となったNo.23 MOTUL AUTECH Z(松田次生/ロニー・クインタレッリ)がGT500クラスで優勝。GT300クラスも、目まぐるしく変わる天候で、的確なタイミングでピットストップを行ったNo.18 UP GARAGE NSX GT3(小林崇志/小出峻)が同クラスの激戦を制した。

各所で、アクシデントやトラブルに見舞われるチームも多く、まさに悲喜交々となった2023開幕戦。その中で、大きな困難を乗り越えて、決勝グリッドに辿り着いたチームがいる。No.39 DENSO KOBELCO SARD GR Supra(関口雄飛/中山雄一)だ。

土曜日朝の公式練習では、まず関口が39号車に乗り込み、好ペースで周回。1分31秒164でトップタイムとなり、開始30分を迎えるところで、中山に交代した。その時点で、雨量は強くなっており、刻々と路面状況が変わるという難しい状況。中山は「様子を見ながら慎重にいきます」と無線で伝えていた。

その直後に差し掛かったモスSの入り口で、突然ハイドロプレーニングを起こしコースオフ。そのままスピードが落ちないままスポンジバリアにクラッシュし、マシンは宙を舞った。

これでセッションは赤旗中断。幸い、中山に怪我はなく、マシン降車後も歩いていたのだが、マシンは大きなダメージを負ってしまった。

モノコックやエンジンなど、車体の根幹となる部分は無事だったが、ボディカウルは前後ともに大きく壊れたうえ、横転したため、ルーフ部分の交換も必要。予選はおろか決勝にも間に合うかが心配されるほどの損傷具合だった。

公式予選の開始前、修復の様子はJ SPORTSの中継でも報じられ、脇阪監督が状況説明に応じ「クルマの状況はかなり良くて、タイムも一番で余裕もありました。雄飛から雄一に交代したところで、雨の量が増えていて、ピットに戻すべきだったんですけど、僕の判断ミスで、ハイドロが起きて大きなクラッシュになってしまいました。まずは、応援いただいている皆様、関係者の皆様にお詫びしたいです」と、カメラに向かって、頭を下げた。

「予選には間に合いそうにないですけど、決勝を走れるように、最後尾になると思いますけど、精一杯追い上げて、みなさんに喜んでもらえるような走りをできるように、メカニックが今修復中です」(脇阪監督)

ここから、決勝レース出走をかけ、TGR TEAM SARDのマシン修復作業が始まっていく。

午後6時。ピット前では久しぶりの開催となるキッズピットウォークで賑わい、ドライバーやレースクイーンが子どもたちと交流していたが、その裏で39号車のガレージ内では、ボディカウルやウインドウスクリーンも全て外され、マシンはフレームが剥き出しの状態。かなり大掛かりな作業になっていることが伺えた。

午後9時すぎ。大半のチームが、翌日に向けたマシンのメンテナンスを終え、メカニックたちもサーキットを後にしている時間帯なのだが、SARDのピットは、まだ明かりがついており、マシンの修復作業が続いていた。普通ならば、翌日に備えてドライバーや監督はホテルに戻るのだが、脇阪監督はピットに残り、メカニックと共に夜を明かした。

修復作業は夜通し行われた。写真:筆者提供

「普段、ドライバーであれば『あとは、お願いします!』と言って、翌日に備えてホテルに帰りますが、今の僕はチーム監督という立場ですし、状況からしても、みんなを放っておくことができなかったです。あとは、みんながどんな気持ちでクルマを直すのかという興味がありました」

「モノコックの横にあるストラクチャーが潰れていたら決勝出走は不可能だったんですけど、まずクルマが帰ってきて、それが無事だということを確認して、(修復)作業に入っていきました」

「特にボディカウルの修復については、まずはどれが使えるのか、使えないのかをみて、TCDの方々にも協力してもらい、交換するカウルについてはカーボン地のままなので、カッティングシートを貼らなければいけなかったです」

改めて、マシンの損傷状況を説明してくれた脇阪監督。SARDのピットで、サスペンション周りなど、マシン本体の修復はSARDのピット内で行われ、同時進行で、トヨタ系チームをサポートするTCDのピットで、ボディカウルのカッティングシート貼りを実施。各所で作業を分担し、39号車の修復作業が急ピッチで進められた。

さらにボディのカッティングシート貼りは、脇阪監督自らが担当。まさにチーム一丸となって、マシン修復に取り掛かっていたのだが、そこに手を差し伸べたのが、GT300クラスに参戦するLMcorsaのメカニックたち。ちょうどTCDピットの隣が60号車のピットとなっており、慣れないカッティングシート貼りに四苦八苦する脇阪監督たちをみて、協力を買って出たのだ。

「LMcorsaのメカニックは僕も以前から知っているので、最初は冷やかしに来ていたんですけど、そのうちメカニックの中山さんが『良かったら手伝いましょうか?』と言って、カッティングシートを手伝い始めてくれました。そうしたら、自分たちのクルマの作業を終えたメカニックが集まってきて、最初は『GT500のクルマに触れて、いいな!』とか(メカニック中山さんを)茶化していたんだけど、気がついたら、みんな手伝い始めてくれました」

「ちょうど近藤代表と僕は、チームミーティングに出なきゃいけない時間だったんですけど……みんながそこまでやってくれるから、ミーティングはドライバーとエンジニアに任せて、僕たちも一緒に作業させてもらいました」

「彼らは(サーキット内にある)ロッジに泊まっていたらしくて、ギリギリの時間まで手伝ってくれました。もし、彼らがいなかったら、完璧にカラーリングが仕上がった状態で決勝レースを走ることはできていなかったです」

やはり、メカニックにとっても、GT500の車両に携わるのは憧れのひとつ。今回はカッティングシート貼りという形だったが、献身的に手伝ってくれたLMcorsaのメカニックたちの名前を、左リヤのフェンダー部分に記入してもらい、その下に『LMcorsa』のステッカーを貼った。最後に脇阪監督が“感謝”と記入。こうして、土曜日にクラッシュしたマシンとは思えないくらいピカピカの状態で、39号車が蘇った。

マシンには『LMcorsa』のステッカーとメカニックの名前が記された。写真:筆者提供

これ以外にも、他のチームからメカニックの夜食が差し入れられるなど、普段はライバルとしてコース上で競り合う相手も、こういう時は“仲間”として、助け合いの精神で、協力の輪が広がっていた。

そうした周りの協力もあり、ボディのカラーリングは完璧に仕上がったのだが、マシン本体の修復もかなりの時間を要していた。

時刻は日付が変わり、午前4時。マシンの組み付けに入ろうというところで、新たな問題が見つかる。

「作業の中でも優先順位をつけながらやっていきました。まずはエンジンをかけて、(エンジンが)大丈夫かどうかを確認しなきゃいけなかったです。夜中も作業を続けていくなか、朝4時にカッティングシートを貼って大丈夫だと思っていたものが、実はダメだったというパーツを見つけて、そこからエンジニア2人と僕とがリヤフェンダー部分のパーツの作業をしていました」と脇阪監督。

ここまでくると、メカニックたちの疲労も限界にくるのだが、このチームに何年も携わるベテランメカニックの1人が「雄一、ちゃんと寝られているかな」とつぶやいたという。

「自分自身は寝られていなくて、夜通しで色んな作業をさせられているのに、それでも雄一のことをずっと心配してくれている……。クラッシュというのは、ネガティブなものだと思っていましたけど、今回のクラッシュを機に“人の温かみ”を確認できましたし、これがチーム、これがモータースポーツだと思いました」と語る脇阪監督。

紆余曲折はあったものの、なんとかマシンの修復が完了。時刻は決勝日の朝6時を過ぎていたという。メカニックたちは安堵する間もなく、一旦宿泊先のホテルに戻り、荷物を引き上げて再びサーキットへ。慌ただしく決勝への準備を進めていった。

その様子を、最後まで傍らで見守った脇阪監督は「最後に形になった時は、ものすごく嬉しかったですね」と笑顔を見せていた。まさに、絶体絶命のピンチを乗り越え、TGR TEAM SARDのメンバーの絆が、一段と深まった瞬間だった。

迎えた午後の決勝レース。公式練習でのトップタイムから一転し、GT500最後尾の15番グリッドについたとき、グランドスタンドから、自分たちが応援しているメーカー、チームの枠を超え、無事に復活を遂げた39号車に大きな拍手が贈られていた。

レースは、天候が目まぐるしく変わる大混乱の展開となったが、39号車は最後まで粘り強く走り切り8位でフィニッシュ。貴重なポイントを獲得した。

本来、クラッシュというのはネガディブなイメージに捉えられがちだが、脇阪監督は今回の件で、新たな発見と、チームの絆を再確認することができたという。

「『クラッシュ』と聞くと、我々の世界では、怪我とか修理費とか、レースを失うとか、超ネガティブなイメージ。ポジティブなことなど何ひとつないと思っていました」

「だけど、こうして一晩“クラッシュ”というものと、それを修復する人たちに寄り添って、自分なりにできることを多少なりとも手伝わせてもらいながら、邪魔をしないようにしながらも、ちょっとでも役に立つようなことをやらせてもらいました」

「あと、今回はクラッシュがあった後、僕はピットに残って修復の役割分担の対応があったので、(マネージャーの)宮本さんが医務室に行ってくれたけど、雄飛にも『雄一のところに行って、励ましてこい!』と言いました。そうしたら彼は『こういう時こそ、寿一さんが直接顔を見せてくれた方が、彼も安心するだろうから、寿一さんも一緒に来てほしいです』と、雄飛に言われました。(関口は)相手の立場に立って、物事を考えてくれています。今は雄一と雄飛のコンビも、ものすごく良くなってきています」

写真:筆者提供

「今回のことで、チームがより“ひとつ”になれたと思います。人のことをちゃんと想ってくれているメンバーが、このチームにはちゃんといるということを再確認できました。自分のTGR TEAM SARDの監督をしているなかで、忘れられない1日になりました」

最後に脇阪監督は、39号車復活のために、協力してくれた人のことにも触れ、知らず知らずのうちに忘れかけていた“仲間の大切さ”を強調した。

「“ライバル”と聞くと、日本語に翻訳すると“敵”です。でも、ラグビーの“ノーサイド”じゃないけど、我々も走っている時は敵でありライバルですけど、走り終わったあとは仲間であって、困っている時は助け合う……これは、日本のレース界に古くからあったことだと思います」

「そういう関係性というのは、最近になってレース界に限らず、世の中でどんどん薄くなってきている気はしますが、今回の件で、その大切さをものすごく感じさせてもらいました」

過去にも、SUPER GTでは、予選日にクラッシュを喫して、メカニックが夜通しで作業し、決勝出走に間に合わせるというケースは何度かあった。一見、当たり前の光景に見えがちだが、実はその裏には、ここでも語りきれないほど、数々のドラマと、チームの枠を超えて“決勝レースのスターティンググリッドに並びたい、並んでほしい”という想いが詰まっているのだ。

こういったクラッシュは、本来あってほしくないのだが……いざという時には諦めずに頑張り、困っていることがあれば、お互いに助けあう。そういう光景が見られるのも、SUPER GTというレースなのかもしれない。

文:吉田 知弘

吉田 知弘

吉田 知弘

幼少の頃から父親の影響でF1をはじめ国内外のモータースポーツに興味を持ち始め、その魅力を多くの人に伝えるべく、モータースポーツジャーナリストになることを決断。大学卒業後から執筆活動をスタートし、2011年からレース現場での取材を開始。現在ではスーパーGT、スーパーフォーミュラ、スーパー耐久、全日本F3選手権など国内レースを中心に年間20戦以上を現地取材。webメディアを中心にニュース記事やインタビュー記事、コラム等を掲載している。日本モータースポーツ記者会会員。石川県出身 1984年生まれ

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