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モーター スポーツ コラム 2022年10月20日

吉田広樹選手(No.52 埼玉トヨペットGB GR Supra GT)「プライベートでは友人である彼らといいレースができて、うれしかった」 | SUPER GT第7戦

SUPER GT あの瞬間 by 島村 元子
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吉田広樹選手(No.52 埼玉トヨペットGB GR Supra GT)

吉田広樹選手(No.52 埼玉トヨペットGB GR Supra GT)

レースでの出来事をドライバー自身に振り返ってもらう「SUPER GT あの瞬間」。レースでの秘話、ドライバーのホンネを“深掘り”し、映像とコラムでお届けします!

勝てそうで勝てないレースが続くと、目に見えないところでプレッシャーがかかるもの。オートポリス戦では、No.52 埼玉トヨペットGB GR Supra GTの吉田広樹は独走に近い形でドライビングを続けることになったが、久々の優勝が近づく一方で過去の苦い記憶がチラつき、自身をコントロールしながらの戦いになったという。2020年最終戦(富士)以来となった勝利の“舞台裏”を語ってもらった。

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──オートポリス戦で2年ぶり優勝達成。道のりは長かったですか?

吉田広樹:本当に長かったですね。去年、優勝できそうなレースを何回か逃しちゃっているので、余計に長く感じてました。優勝して表彰式を待つときに、61号車の井口(卓人)選手と山内(英輝)選手が来てくれて。なぜかわからないですけど、小突かれたり蹴られたりっていう……(手荒な)祝福を受けたんです(笑)。彼らは世代も一緒で、FCJ(フォーミュラ・チャレンジ・ジャパン)だとか、ミドルフォーミュラのときから一緒にレースしてきた仲間なんですが、レース中はライバルだし、もちろん絶対抜かれたくないし、抜きたいっていうような関係で。表彰台で3位だったLEON(65号車)の蒲生(尚弥)選手もそうですが、ライバルだけどプライベートではいい友人である彼らといいレースができて、その中で結果も伴ったので本当にうれしかったですね。また、表彰式が終わってピットへ歩いてるときは、スバルのチーム(61号車)の皆さんが“おめでとう”、“今回は完敗だ”って話しかけてくださって……。他のチームの監督さんやチーム代表の方たちと話をする機会はなかなかないんですけど、今回、自分たちがこういう結果だったときにライバルチームのドライバーだけでなく、普段あんまり交流がないチームの皆さんにもそういうふうに言ってもらえたことがすごくうれしくて。なかなか経験できる機会もなかったのでうれしかったし、今までにない感覚というか感情というか。いい思い出になりそうだなって思ってます。

──勝てそうで勝てないレースが続くと、チーム全体の雰囲気はどのような感じになるのでしょう?

吉田:去年、勝てそうなレースが富士で2回あったと思うんです。(※1)1回目はたぶん残り10周切ったぐらいでマシントラブル……トップを走っててリタイアになってしまって。(2回目は)最終戦で、僕が走ってて、それこそトップを走ってたんですけど、また残り10周切ったぐらいで他車と当たっちゃったことで、(タイヤが)バーストしちゃって……という感じだったので、僕は僕でプレッシャーを感じてました。一方で、メカニックもそういうことが実際起こり得るんだっていうのを身に染みて去年体験していたんで、メカニックもなんか自分たちのなかでプレッシャーを抱えながら戦ってたと思います。不安もドライバーだけじゃなくてメカやチーフ、チームをまとめてる監督であったり各々が感じてたと思います。でも、悪い雰囲気になるようなことはなかったと思います。

※1:2021年第2戦富士では、後半にトップに浮上したが、チェッカーまで残り7周の時点で突然のスローダウン、そのままピットへ戻った(正式には27位終了)。また、最終戦(第8戦)ではトップ独走のなか、51周目のパナソニックコーナーで左リヤタイヤがパンク、ピットインを強いられた。その後、復帰して9位チェッカー。

No.52 埼玉トヨペットGB GR Supra GT

No.52 埼玉トヨペットGB GR Supra GT

──久々の優勝で笑顔がこぼれましたが、それにもまして“勝てて良かった”という安堵感が表情に出ていました。

吉田:本当にホッとしました。最終ラップまで何が起こるかわからないし、もちろん機械が壊れることもあるんで。そういう意味では、うれしさよりもホッとしてるほうが大きかったかもしれないです(笑)。

──予選は川合孝汰選手がQ1・B組で2番手。トップから約0.2秒差でした。Q2担当の吉田選手もトップと0.116秒の僅差で2番手に。ただ、やはり地元・九州のサーキットでポールポジションを獲りたかったのではないですか?

吉田:まず、川合選手がQ1で出したタイムが自分たちの朝の公式練習のタイムから結構大きく伸びてたんで、びっくりしていたんです。(川合の)タイムを知った状態でQ2に行った自分もさらにタイムアップできたんで、コンディションがQ2に向けて良くなったっていうのはあるにしても、そこそこいいタイムじゃないかなっていうのを車内のメーターでタイムを見たときに思いました。ポール(ポジション)っていう……“もうこれは間違いなくいける”っていう感覚ではないんですけど、ガッツポーズが出るぐらい自分的には納得できるタイムでした。ただ、セクター3で僕の前でアタックしてた別のクルマが、アタック前のクルマに追いついちゃったりっていうのがあって。自分もその集団で一緒に追いついちゃったんです。アタックしてない選手たちが避けてくれたので直接大きなタイムロスにはならなかったんですけど、やっぱり目の前に(他車が)出てくることで行き切れない(攻め切れない)っていう部分が自分の中でも多少あって。タイムを見たときにはそのことを忘れてたんですけど、トップとのタイム差を聞くと、“もうちょっとどうにかできたかな”っていう欲が(苦笑)……。ただ、 自分的にはアタックとしてミスがあったわけではないんで、まぁまぁ満足いく予選ではありました。

──今回のオートポリス戦は2日間とも天気に恵まれ、予想以上に気温が上がりました。タイヤメーカーによっても違ったと思いますが、52号車としては、このコンディションをどう受け止めてレースに挑んだのでしょうか?

吉田:予選でも一発のタイムは出てたんですけど、公式練習に比べて予選のときのウォームアップがすごい良くて、自分たちが想定してた周回より一周早くアタックが開始できたんです。それは、たぶん予選があった午後に向けて路気温が上がったことが影響しているんだと思ってたんですけど、イコール、レースも(予選と)同じ時間帯なので、正直、自分たちが思ってるより早く(タイヤグリップの)落ちが来るんじゃないかっていう不安がありました。ただ、前日の公式練習では、そういう想定で自分たちもできるだけこのタイヤで距離を伸ばしてた(周回を重ねていた)んです。ですが、あるところまでそれなりのタイムで行けても、途中からとんでもなくタイムが落ちちゃって……。“もうこれじゃあレースにならない”っていうレベルのタイムの落ち方でした。でも、同じようなパッケージで戦ってる2号車(muta Racing GR86 GT:ブリヂストンタイヤを装着)を見てると、すごいいいタイムで走ってたんで。なので、周りに対して自分たちにアドバンテージがあるかどうか正直わからず、日曜日は思ったよりも不安な状態のままレースを迎えることになってしまいました。

──タイヤマネージメントを意識する一方、チームとしての戦略はどのようなものでしたか?

吉田:タイヤが他に選びようがない状況になっていたので、考えられる戦略としては、スタートドライバーの川合選手ができるだけ(周回数の)真ん中まで引っ張って、レース距離を二等分する方法しかないかもっていう話をレース前にチームで話してました。例えば、暑さに強いハード目のタイヤがあるのであれば、それを僕が2スティント目で履くっていう選択はできたんですけど、今回はそういうシチュエーションになかったので、日曜日のウォームアップ(走行)を終えた時点で、前の日までに自分たちが考えていたプランが不安要素として大きくなりました。

──不安が残るなか、10周目の第2ヘアピンでは61号車のSUBARU BRZ R&D SPORTを逆転。この様子をどう見守っていましたか?

吉田:スタートからスバルさん(61号車)を追い上げてるだけじゃなくて3位以下のマシンも離していたので、もしかしたら、思ってるより自分たちにとっていい方向に進んでるのかなという気はしてました。それに、(川合)孝汰がうまく(GT)500クラスに抜かれる瞬間を使ってオーバーテイクできたし。自分たちにもまだ余力があって61号車を引き離しにかかっていたので、そのマージンがあればあるほど、自分たちの第2スティントとしては作戦の幅が広まるというか、考えられるシチュエーションが増えたので、すごく心強かったです。いい流れで進んでるなっていう実感はありました。

──ドライブする川合選手からは、何かしらインフォメーションを受けていたのですか?

吉田:もちろん。ある程度経ったところから、“急に(タイヤが)グリップしなくなりました”って(無線で)言ってました。僕たちのマシンはクルマの中でスタビ(ライザー)を前後調整できるのですが、そこら辺をうまく調整しながら乗っていたので、本人の中ではタイムが落ちてはいたんだと思うんですが、周りに対しては落ち幅が少なかったです。(川合からは)タイヤのインフォメーションだったり、“クルマのバランスとしてこんな感じだから、こういうスタビで乗ってます”みたいなものは無線でもらってたんですが、これが自分のスティントに活かせる内容だったのでありがたかったですね。

──“スタビの調整”とのことですが、レース中にどんなことができるのでしょうか?

吉田:たぶん他のマシンも似てると思うんですが、フロントとリヤのスタビを5段階ずつ調整できるようになっています。タイヤ(のコンディション)がいいときは、リヤを動かすというかフロントを入れてリヤを動かす……つまり曲がるようなスタビの位置で走っているんですが、ただ、特にオートポリスみたいなタイヤに厳しいサーキットになると、もう最後は全然リヤがなくなってきて、入口もオーバーステアだしトラクションもなくて前に進まない……という風になってくるんです。今回のレースに関して言うと、最後はできるだけタイヤの攻撃性を抑えるために柔らかい方向に調整しました。

──ルーティンワークのタイミングは23周終了時。これは、2位の61号車とタイムギャップが10秒以上広がったのを確認できたからですか?

吉田:いや、それよりもやっぱり怖かったのは、セーフティカーが入ることでした。本来、僕らはミニマム(最低周回数)の19周で入ることを考えていたものの、やっぱりタイヤ(の持ち)が不安っていうこともあって、できるだけ(ピットインを)伸ばしたいねっていうのがウォームアップ時の状況でした。ただ、トップに立ったことで、周りに対してペースが悪くなければどんどん真ん中まで孝汰の(走行)距離を伸ばしていきたかったんです。でもそこでセーフティカーが出ちゃうと、ミニマムで(ピットに)入った組だったり、自分たちより先に入った組に対して難しいレースになってしまうというのがあったので、1周1周様子を見ながら(走り)……仮にそういうシチュエーションになれば、ドライバーの判断ですぐピットに入れるような態勢でチームと僕も準備して待っていました。セーフティカーが出ないかどうかと、僕らが誰と戦ってるかを考えて、(ピットインの)タイミングが23周目になったという感じです。

──このあと、ひと足先に作業を終えた61号車がうしろから迫ることになりました。コースへ出た直後はどんな気持ちでしたか?

吉田:コースに出た直後、チームが(61号車との)ギャップを教えてくれた時点では7秒ぐらいでした。そのときスバル(61号車)が2位だったので、はじめはそんなに僕が慌てなきゃいけないという状況ではなくて……。一方で、GT500クラスと一緒にレースをしているので、オートポリスではセクター3の上り区間は“譲ったり、譲られたり”のスペースを作るのが難しいというか、結構大きなロスになる区間なので、できるだけ500の皆さんの邪魔をしないように、ロスなく譲りたいっていうのがあって……。それと同時に自分も(コース復帰直後の)ウォームアップでタイヤをできるだけ使いたくなかったので、代わってすぐは後続を引き離すというより、絶対無理をしないで500との集団接触などのリスクを避けることや、タイヤを使わないことを意識して走ってました。

──61号車とは一時的にかなり差が詰まり、44周目は3秒を切るぐらいに。ただその後、吉田選手はペースアップして後続を引き離しましたね。

吉田:チームもギャップが7秒から5秒になったぐらいまでは無線をくれてて、そこからはギャップについて連絡がなかったんで、それぐらいギャップがあると思って走ってたら、同じクラスの周回遅れのクラス(車両)を抜いてちょうど第1ヘアピンを立ち上がったとき、(バック)ミラーになんか青いクルマの黄色いライトが見えて(苦笑)、“あれ!?”と思って……。“もしかして2位のスバルなの!?”みたいになって、どう見ても5秒ないなと思って。“いつの間にか追いつかれた”みたいな感じになると、それはそれで僕も後半(タイヤ)がきつくなるので、そこからはタイヤを使ってでもいいから、もうちょっとだけギャップを築きたいなっていう気持ちで、少しペースを上げました。ブリヂストンタイヤさんの特性と強さで、これまで耐えるレースをいっぱいしているし、今回のオートポリスもそういう展開が十分あり得るなと思ってたんですが、前日の公式練習だったり(決勝直前の)ウォームアップ走行では、急にタイムが落ちていたので、この状態でもしセーフティカーが入ろうものならもう絶対逃げれないと思っていたんです。

引き離すというよりも、もしセーフティカーが入ってギャップがなくなり、レース後半に2位以下の選手と戦うことになったら、戦えるだけの余力としてタイヤは残しておきたいなっていう気持ちがあったので、2位(61号車)が見えてたときもそこからプッシュして、ギャップを開いてできるだけどんどん行くというよりは、セーフティカーが入ったとしてもまだ戦えるだけのタイヤを残しておきたいなっていう気持ちでした。なので、実際そういう(後続を引き離す)走りになってたかはわからないですけど(苦笑)、たぶんペース的に燃料が軽くなってきたことで意外にタイムが落ちなかったのと、路気温も涼しくなってきてストレート(スピード)も伸びてきてるから、セクター1の区間が速いのかなっていう認識もありました。タイヤを残せてるっていうイメージと自分もタイムがそこまで落ちてないっていうのがあったので、そんなにうしろから迫ってこられる焦りはなかったと思います。

──レースを理想的にマネージメントし、独走に近い形で終盤を迎えたわけですが、そういうときは何かしら頭によぎるのでしょうか?

吉田:めちゃくちゃよぎってて(笑)。自分自身が去年の最終戦の富士でトップを走っていて、(他車と)当たって(タイヤを)パンクさせたので、もうそのことだけ最後まで(思っていた)……。こういうときこそ集中しないとまたミスに繋がると思ったんで、もちろん500クラスに譲るタイミングだったり、追いついた周回遅れのクルマとの距離感だったり……そこに気を付けて走っていました。逆にうしろに余裕があるから走り方を変えようみたいにすると、集中力が切れるだろうなと思ったので、そこからはあまり他のことは考えないで集中して今のパッケージでベストの走りをしようっていう走り方で最後まで走りました。で、最後の1周もマシントラブルに繋がらないよう縁石に乗らないようにしようとか、そういうことだけ考えて走ってたと思いますね。

チェッカーの瞬間

チェッカーの瞬間

──であれば、最終的に勝ちを確信できたのはファイナルラップの最終コーナーという感じですか?

吉田:そうですね。500クラスのトップとの兼ね合いで自分たちだけ1周多く走ることになったので、エンジニアにも“もうこの周は帰ってくるだけでいいから”、“タイムのことは気にしないで”みたいな言い方をされてたんで。その周(ファイナルラップ)に入ったとき……要は2位以下はチェッカーは先に受けちゃってるわけだから、もう大丈夫かなっていう気持ちでした。

──地元のレースをいい流れで勝って最終戦のもてぎを迎えます。川合選手の方にタイトル争いの権利がある(※2)のでアシストする形になりますが、どんなレースにしたいですか?

※2:吉田が欠場した第2戦富士で川合が1点を計上しているため、ランキングでは川合が37ポイントで5位、吉田は6位となる。

吉田:優勝を目指して走りたいなと思っています。去年、もてぎで優勝争いをして結局3位になったんですけど、そういうレースができたので、自分たちがまったく戦えないようなサーキットだっていう認識はないです。やるからには優勝を目指して、それに孝汰のチャンピオンが付随してくれたらいいなと思ってます。自分たちの優勝がマストですが、(チャンピオン獲得は)他の上位の選手たちの順位によるので、優勝だけ目指して走ればその後に付いてくるものだと考えてます。

──では最後に、「SUPER GT あの瞬間」恒例の質問。ここ24時間以内で感じた“ちょっと幸せなこと”を教えてください!

吉田:やっぱり優勝したことで、SNSなどで皆さんからお祝いのメッセージだったり、連絡をもらったりして。今回はオートポリスで(帰りの)飛行機が熊本からだったので、(空港で)関係者みんなから“おめでとう”って言ってくれて……。少なくとも、ここ2年近くは言う側でしかなかったんで(笑)、言われる側になって普通にうれしかったですね。

無料動画

【SUPER GT あの瞬間】SUPER GT 2022 第7戦:吉田広樹選手(No.52 埼玉トヨペットGB GR Supra GT)

文:島村元子

島村元子

島村 元子

日本モータースポーツ記者会所属、大阪府出身。モータースポーツとの出会いはオートバイレース。大学在籍中に自動車関係の広告代理店でアルバイトを始め、サンデーレースを取材したのが原点となり次第に活動の場を広げる。現在はSUPER GT、スーパーフォーミュラを中心に、ル・マン24時間レースでも現地取材を行う。

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