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モーター スポーツ コラム 2020年4月21日

こんな時だから

今日も今日とてプッシュ&ルーズ by 高橋 二朗
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非常事態宣言によって、不要不急の外出は避けています。仕事でどうしても外出しなくてはならない時は、公共交通機関の使用は避け、人が密集するようなところへは、近寄らないようにしています。週末は特にモゾモゾと自宅に潜んで、できるだけ気を紛らわす工夫をしているのですが、基本的に自宅でくつろいでいるのが好きなのに、「外出を控えて」と言われると、なぜか外で活動したくなるのは、ボクだけはないでしょうね。

そんな時にモータースポーツ雑誌業界の大先輩が FBであるテレビ番組アーカイブのURLをアップしていた。早速見ました。(YouTubeで見ることができます)

NHKが1964年に制作したドキュメンタリー番組、現代の映像【特命試走車】。日産自動車が当時の高速走行時代の到来に向けた高性能エンジン開発の舞台裏。テストドライバー達の過酷な現場を取材、編集したもの。

当然、日産自動車の全面協力。完全なドキュメンタリー、ノンフィクションというより、シナリオに基づいて構成されていることは、見始めてすぐに理解できる。でも、登場人物は、本物の開発部門所属テストドライバーの面々。主演!?はテストドライバー達をまとめる現場のトップ、難波靖治さん。1958年に参加したオーストラリア1周ラリーでクラス優勝。日本車、日本人が国際ラリーで始めて優勝。日産のモータースポーツ の歴史の1ページ目に掲載されている歴史的な偉業を達成した人物。ここで細々書くよりも、是非一度ご覧ください。

難波靖治氏はラリー部門の監督として国際的なラリーイベントへの参戦を指揮。「ラリーの日産」のイメージを築き上げた。写真は第18回 RACラリー(1969年)。車両は ブルーバード 1600SSS。

約50年前。半世紀前にはこのようにして新型エンジン開発をしていたとは・・・。ちょっと驚かされる場面が続々とアップされます。難波さんは何事にも体当たりで成し遂げるタイプの人物であったと聞いています。後にニッサンモータースポーツインターナショナル(NISMO)初代社長となって、大変お世話になりました。氏の執務室には、旭日旗が据えられていた。氏が海軍兵学校の出身と聞き、その訳が分かった。現役のテストドライバー時代は、鬼のように怖かたと皆が言うのですが、ボクの難波さんに対するイメージは異なっていました。しかし、この映像に登場する難波さんは、<鬼>でしたね。

NISMO社長として世界ラリー選手権(WRC)に出場する日産ワークスの総指揮も執った難波靖治氏。写真は'91 RACラリーを走行するパルサー GTI-R。

エンジン開発とモータースポーツとの関連も表現される場面もあり、われわれが携わるテレビ番組ではイベントでスタートからゴールで構成されるものは、その裏側にある開発の作業に比べればほんの刹那であることが改めてわかった。こんな時だからじっくりと、まったりと得ることができた週末の映像鑑賞だったのでした。

文:高橋 二朗

高橋 二朗

高橋 二朗

日本モータースポーツ記者会。 Autosport誌(英)日本特約ライターでもあり、国内外で精力的に取材活動をするモータースポーツジャーナリストの第一人者。1983年からルマン24時間レースを取材。1989年にはインディー500マイルレースで東洋人としては初めてピットリポートを現地から衛星生中継した。J SPORTSで放送のSUPER GTのピットレポーターおよび、GTトークバラエティ「GTV」のメインMCをつとめる。

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