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このブログについて

2000年の番組開始から15年以上に渡り、良質かつ多彩な企画で人気を博してきた、J SPORTSオリジナルサッカー番組「Foot!」。
2011年8月から、週5日放送のデイリーサッカーニュースとしてリニューアルし、世界のサッカー情報を余す ことなく紹介する。

Ben’s Foot! notes 2017年08月30日

Week 3: Alive and kicking

foot!
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benFoot.pngのサムネール画像のサムネール画像
Week 2 - 後半:Cambridge rules

BGMの提案
曲名:Alive and Kicking
アーティスト:Simple Minds
リリース:1985年

PV

CM

●この曲はプレミアリーグ開幕時、地上波で流れまくったSky SportsのCMに使われた。
●「新しい」リーグを「新しい」テレビで提供することにより、「新しい」時代を盛り上げるSkyだから、何故このど80sの曲を1992年に使ったかは不明で不思議である。


今月、「25周年」を迎えたプレミアリーグ
●各メディアやプレミアリーグのSNSなどで今月、25周年の企画が行われている。
●プレミアリーグが確かに、1992年8月15日に開幕したのは間違いない。
●しかし、一体何の25周年なの?
●イングランドのトップリーグがそれよりも104年前、1888年に始まった。
●プレミアリーグになって、何が変わった?ただの改名なのでは?


なにが変わった?一方では何も変わらず...
●リーグのフォーマットが変わったわけではない。1991/92のFootball League Division 1と同じように、22チームがH&Aの総当たり戦でリーグ戦を争う大会だった。
●リーグ戦で制覇すれば、イングランドのチャンピオンになるというのも同じだった。
●2部リーグとの昇格・降格も、そのままだった。
●特別にルールが変わったわけでもない。たまたま、バックパスのルール変更とタイミングが被った為、GKがバックパスを手で触れなくなって混乱する時期と重なったが、
それはただタイミングの偶然で、それ以外は1992/93プレミアリーグの試合内容やリーグ構成はそれまでと全く変わらなかった。
●殆どの意味では、それまでのFootball League Division 1の延長線となった。


...他方では全てが変わった
●しかし、変わったのは、パワーバランスだ。
●何と何のパワーバランスというと、まずはFootball LeagueとFootball Association(FA、協会)。
●そして、リーグの運営側と、クラブ。
●その中でも、ビッグクラブとその他のクラブ。
●そして何よりも、テレビ局の力。
●テレビ局の資金力がきっかけで、イングランドのサッカー界にお金が流入するようになり、今の状況へ進んできた。
●その起点となったのは、プレミアリーグの開幕だった。


プレミアリーグの前には、イングランドサッカーの現状はどうだった?
●1部~4部リーグは、Football Leagueが運営した。Football Associationとは別の組織(J.LeagueとJFAと同様)で、かなり古くて組織図も複雑だった。基本的に変化に抵抗する、保守的な組織だった。
●ビッグクラブと言えば、クラブの歴史や近年のタイトル数、人気度によって、当時にはいわゆる「Big Five」という5強が定着していた。
●Arsenal (1989年と1991年にリーグ優勝。)
 Everton (1985年と1987年にリーグ優勝。1984年にFAカップ優勝、1985年にECWC優勝。)
 Liverpool (1973年と1990年の間、11回リーグ優勝、4回欧州制覇。)
 Manchester United (1967年以来、リーグ優勝から遠ざかっていたが、1983年・1985年・1990年にFAカップ優勝、1991年にECWC優勝。観客動員数が最多。)
 Tottenham Hotspur (1961年以来、リーグ優勝から遠ざかっているが、1981年・1982年・1991年にFAカップ優勝。当時、FAカップ優勝回数の8回が最多だった。)
●尚、当時はFAカップのメディア露出が高かったというのもあり、優勝すればリーグ優勝とほぼ同じ名誉だった。
●因みに、チェルシーは80年代の半分以上を2部リーグで過ごし、観客動員数が10000人を切ることが多かったので、とてもビッグクラブという感じではなかった。
●マンチェスター・シティも、1983年から20年間、かなりのヨーヨークラブだった。


プレミアリーグの前には、英国のテレビ業界はどうだった?
●英国内のテレビは基本的に全国4チャネルの地上波のみだった。
●サッカーは、BBCがFAカップ、民放のITVがリーグ戦を無料で放送していた。
●リーグ戦の生中継は、一年で30試合だった。
つまり、1節1試合以下だった。
●ケーブルテレビと、画質も悪くて庭にでかいアンテナを置く必要があった衛星テレビは非常にマイナーな市場だった。
●技術の進化により、1989年から「直接」な衛星テレビ放送が可能となった。(より多くの衛生台数から、より安定した信号を、壁に設置できるほどより小さなアンテナで受信することが可能となった。)
●それを受けて、SkyとBSBという2つの新しい衛星テレビサビースが開始したが、
その競合も視聴者にとって不理解の原因となり、有料テレビの文化が全く定着しなかった。
●2社が早速、合併したにもかかわらず、加入者を集めることに苦労ばかり。
●赤字が20億ポンドを越え、一時期、毎週1000万ポンド以上の赤字を記録していた。
●イギリス人は安定の地上波を無料で見られるし、よく知らないSkyなんちゃらをお金まで払ってみようと思っていなかった!


変化のきっかけ: お金の配分
●Football Leagueは1部リーグのみならず4部まであった為、テレビでは基本的に1部リーグしか中継されないにもかかわらず、放映権料は2部以下のクラブにも配分されていた。
●Football League時代は基本的に放映権料の半分が1部リーグのクラブに配分され、残り半分は2部?4部のクラブに配分された。
●それに対して、最も多くの視聴者を集めた「Big Five」のクラブは不満を抱えていた。
●その為、1988年にアーセナルのチェアマン、David DeinがITVの会長、Greg Dyke(のちFA会長)と、「Suntory」というジャパニーズレストランでミーティングを行った。
●そこでDyke氏が提案したのは、「Big Five」の放映権を他クラブの放映権から分けて、「Big Five」だけに多額の放映権料を払ってその試合を中心にITVで中継するプランだった。
●その話は聞いたFootball Leagueは慌てて、今回だけ1部リーグの配分は半分ではなく75%(つまり、2部?4部の配分は25%)というふうに何とかクラブを納得させた。
●ITVは1988?1992年のFootball League放映権を、年間£1800万で獲得した。
(今はSky Sportsが1試合でほぼ同じ金額を支払っている。)
●「Big Five」への特別扱いは無かった。
●しかし、これはあくまでも今回だけの合意だったし、問題を後回しにしただけだった。「Big Five」を初めとする、1部リーグのクラブはまだ不満を抱えていた。


Football Leagueが巻き返して強くなった結果、クラブは弱っていたFAを利用できた
●Football Leagueはこのエピソードを受けて、権力を確かめるべく新たな企画を始めた。
●リーグを中心に育成や設備など様々な分野に力を入れて、全国のフットボールを盛り上げるマニフェストを公開した。
●これは、FAの権限を侵害する行為だったが、当時はパワーバランス(とカネ)が完全にFootball Leagueにあった為、FAにとって止めることが難しかった。
●また、権力を強調する為にも、Football Leagueは急に1部リーグのチーム数を20から22へと増やすことにした。
●しかし、そのFAの弱っている姿が、「Big Five」にとってチャンスとなった。
●自分たちに有利な放映契約を結ぶ為には、Football Leagueから独立(離脱)する必要があると判断していた。
●しかし、勝手に独立すればヨーロッパ大会などには出られなくなるので、色々とFAの許可が必要だった。
●だから、クラブがFAと手を組んで、FAの管轄下で新しいリーグを創設してもらえたら、クラブとFAにとってWin-Winとなるはずだった。
●David DeinとリヴァプールのチェアマンNoel WhiteがFAにアプローチして、FAはすぐにその話に乗った。
●FAはコンサルタントのRick Parry(のちプレミアリーグ初代CEO、リヴァプールCEO)を「Big Five」との仲介役として雇い、企画を進めた。
●「Big Five」はホテルなどで、定期的にシークレットミーティングを行った。


FA会長の致命的な紳士ぶり
●FAは1991年4月5日に新しいリーグの企画を公開した。
●名前は、元々挙がっていた「スーパーリーグ」ではなく、「FAプレミアリーグ」となる。
●Football Leagueは訴訟を起こしたが、それが失敗に終わり、1992/93シーズンよりプレミアリーグが開幕することになった。
●そして、1部リーグのクラブがFA本部で集まり、新しいリーグの詳細を議論した。
●最初は、放映権料の40%をグラスルーツに投資するなど、FAにとって有り難い提案がいくつかあった。
●だが、ネックとなったのはチームの数。元々、22チームから18チームへと減らして試合数を減らすことで、代表チームに貢献するというプランがあったが、そんなに減らせば降格する心配が大きくなるクラブが多かった。
●18チームへと減らすことは、本当に必須なのか?と、クラブがFAのSir Bert Millichip会長に尋ねたところ、会長は紳士的なつもりで回答した。


プレミアリーグの前には、英国のテレビ業界はどうだった?
●"It's your league, you decide."
「あなたたちのリーグですから、あなたたちで決めてもらっても良いですよ。」


2017年にそのエピソードを振り返った、Rick Parry(初代プレミアリーグCEO)
●"I was looking at Graham and thinking: 'Hang on, isn't that pretty fundamental?'. It took me by surprise, I think it took everybody by surprise. He was referring to the 18 clubs, but the message people heard was 'it's our league, we'll make the big decisions'."
●「私は『ちょっと待って、その発言で基本が変わるだろう』と思った。私も驚いたし、恐らくその場で集まったクラブ代表者も驚いた。彼は、18チームのことだけについてクラブに任せるつもりだったが、クラブ代表者が受けたメッセージは『じゃあ、私たちのリーグだから、これから大きな決断は私たちでしよう』。」


紳士会長に会議室を貸してもらったクラブ代表者でリーグの詳細が決定した
●今や考えられないことに、Millichip会長はそれで別の会議室を用意して、クラブ代表者がリーグの詳細をFA無しで議論して、2時間弱で決定した。
●振り返ると、リーグがまだ開幕もしていない段階で、完全に権限をFAからクラブに渡す行為となった。
●そこで決まったのは、最終的にチーム数を22から20へと減らすこと。
●プレミアリーグの組織はFootball Leagueと違ってシンプルであり、加盟クラブは1クラブ1票で大きな決断を投票で決める。
●可決する為に、3分の2の圧倒的多数が必要。
●放映権料は、基本的に2部以下やグラスルーツに回す義務がなく、プレミアリーグのクラブが全額をキープすることになった。(現在は降格したチームに一部を回すようになった。)
●国内の放映権料は50-25-25で配分する。50%は平等に全クラブに配分。25%はリーグ順位によって配分。そして25%は生中継の数によって配分。(現在も同じ。)
●当時、微額だった海外の放映権料は平等に全クラブに配分。(現在も同じ。)


シンプルな組織となったプレミアリーグは後、決めることが1つだった。どのテレビ局を?
●最初から「Big Five」と裏で話していた、ITVのGreg Dyke会長は、プレミアリーグの創設によって自分の想像していた中継が可能になると考えていた。
●「Big Five」を納得させるほど、これまで以上の金額を支払い、プレミアリーグの初代放映契約を結ぶ自信があった。
●しかし、そこで2つのハードルが現れた。
●まず、「Big Five」以外のクラブは、1988年に「Big Five」だけの放映契約を提案していたITVに対して不満を抱えていたこと。1クラブ1票なので、5クラブだけで可決することはできない。
●そして、早くキラーコンテンツが獲得できなければ生き残れそうになかったSkyの登場。
●Skyは赤字が巨額になっていたが、その資本・主要株主はRupert Murdoch氏のNews Corporationだった。20億ポンドの赤字でも、また致命的ではなかった。
●SkyがプレミアリーグのRick Parry CEOと交渉し、有力な立場になった。


1991/92シーズン終了直後に、新シーズンの放映権がやっと決まった
●1992年5月18日、プレミアリーグの22クラブ代表がロンドンのRoyal Lancaster Hotelで集まった。
●Skyだけが入札の締め切りに間に合っていたが、ギリギリまで調整していたITVがそれを無視して、早めに会場に登場して新しいオファーを出した。
●ITVの入札は以前よりも倍以上の額となる、5年間で£2億6200万だった。それまでと同様に、1シーズンで30試合を生中継する予定だった。
●それで一番困ったのは、スパーズのオーナーとなっていた、Alan Sugar氏。
Sugar氏が経営するAmstrad社が既にSkyとチューナーを製造する契約を結んでいた為、Skyが生き残れなくなれば自分の会社も困る。
●Guardian紙の報道によると、Sugar氏はそこで「彼女から電話!」と嘘ついて会場から飛び出して、ホテルのロビーで慌ててSkyに電話したという。
●状況をSkyに伝え、ITVが絶対に支払えない金額を早くオファーしろ!とアピールしたという。
●Rick Parryも、Skyに連絡してITVの遅れた入札について伝えたという。
●そして、Skyの代表者がホテルに登場し、5年間で£3億0400万を入札した。
●有料テレビでしかできない、年間60試合を放送し、またハイライトをBBCが無料で放送できる提案だった。
●それで可決となり、プレミアリーグとSkyの時代が始まった。


纏め:その日のレガシィ
●Skyと契約しないとリーグ戦が見られない、ただ、契約すれば前よりもずっと多くの試合が見られる、というふうになった。
●Skyにとってはまさにキラーコンテンツになった。そのキラーコンテンツをキープする為に、契約更新時に毎回、益々巨額の放映権料を支払うようになってきた。
●権力がFAなどから、クラブに移るようになった。お金の流れが今の時代に繋がり、FAカップなどの伝統よりも豪華なリーグがメインになった。
●プレミアリーグ創設がそのきっかけとなった。


参考と出典:Paul McGuinness記者、The Guardian紙、2017年7月23日
https://www.theguardian.com/football/2017/jul/23/deceit-determination-murdochs-millions-how-premier-league-was-born

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