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2000年の番組開始から15年以上に渡り、良質かつ多彩な企画で人気を博してきた、J SPORTSオリジナルサッカー番組「Foot!」。
2011年8月から、週5日放送のデイリーサッカーニュースとしてリニューアルし、世界のサッカー情報を余す ことなく紹介する。

Ben’s Foot! notes 2017年08月23日

Week 2 - 後半:Cambridge rules

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Week 2 - 後半:Cambridge rules

「労働者のスポーツだ」というフットボール
●これまで、『Foot!』で何度かフットボールと労働者の関係について話してきた。
●そして、どちらかと言えば、上流階級の人はラグビーを好むという話もした。

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2015/16シーズン、#6より


サッカーをやる一般庶民、ラグビーをやる上流階級:学校から始まる流れ
●確かに今もその傾向が強い。特に、英国の私立学校出身であれば、フットボールよりもラグビーを好む傾向が強い。
●尚、イギリスの公立学校(小中高)は一切学費がかからない一方、私立学校の平均年間学費は英国民の平均年収よりも高い為、国民の約7%しか通うことが出来ない。
●まさに、英国の中にある別の社会だといえよう。


しかし、ルールを定め、フットボールを「遊び」から「スポーツ」に変えたのは私立学校
●そうだ。フットボールという「スポーツ」のルーツは英国の私立学校、つまり、英国の上流階級にあった。
●フットボールのような遊びは、日本の蹴鞠やイタリアのカルチョなど、世界各地にあったが、スポーツになったのは非常に英国らしい流れだった。
●イギリスにあった遊び、中世フットボールは非常にラフな遊びで、ほぼ何でもありだった。
●例えば、「村対村」の対戦では、それぞれのゴールがそれぞれの村にあり、数kmも離れることが多かった。
●因みにその伝統を引き継いでいるのは、イングランド・ダービーシャー州アッシュボーンにて毎年1度行われる「シュローヴタイド・フットボール」。ゴールが5km離れている。

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その英国らしい流れとは
●16?17世紀より、土地や資金、知恵と時間に恵まれた私立学校、特にイートン校やウィンチェスター・カレッジ、ウェストミンスター・スクールなどエリートの私立学校ではフットボールが益々流行った。
●それぞれの学校では、それぞれのルールを少しずつ決めていくことで、その学校ではその学校のみんながフットボールを楽しめる環境ができた。
●そして、1760年(前後)に英国で「産業革命」が始まった。
●労働階級にとって、それがもたらしたのは可能性とともに苦労。1850年代の工場法まで、週6日勤務、1日12時間以上勤務というパターンが非常に多かった。子供も普通にそんなスケジュールで工場で勤務した、フットボールという娯楽を楽しむ余裕が全くなかった。祝日に行われたラフな中世フットボールも姿を消した。
●しかし、上流階級にとっては尚更、益々可能性が生まれた。
●特に、1825年に世界初めての鉄道が営業を開始し、1840年代には「鉄道狂時代」というのがあり、鉄道が急に全国に広まった。
●それにより、私立学校出身の人にとっては移動がしやすくなり、より多くの上流階級の人がケンブリッジなどの一流大学で集まることが可能になった。
●しかし、集まったところで、それぞれの出身校で使っていたルールはそれぞれ違っていた。
●例えば、1830年代からラグビー校ではボールを手で持って走ることが人気だったが、イートン校出身の学生にとってはそれが有り得ない反則だった!
●だから、1848年にケンブリッジ大学で各校出身の代表が集まり、正式にフットボールのルールを定めることにした。


参考:その証拠
いかにして1848年のルールが策定されたかという物語は後にH.C. Maldenによって1897年10月8日書かれた書簡で語られている。

私はケンブリッジトリニティ・カレッジに上がった。翌年、その頃流行っていたホッケーよりむしろフットボールを始めようとする試みがなされた。しかし、皆がそれぞれの出身のパブリックスクールで慣れた規則でプレーしようとしたため、結果は悲惨な混乱状態となっていた。私はイートン校の卒業生がラグビー校の卒業生に向かってボールを手で扱うことについてどのようにわめいていたのかを覚えている。そして、パブリックスクール卒業生からそれぞれ2名、大学代表としてパブリックスクール出身でないものからも2名が代表者として選ばれることが合意された。G. Saltと私が大学代表として選ばれた。他が誰だったか覚えていればよかったのだが。ラグビー校の一人はBurn、イートン校の一人はWhymperであったように思う。私達は全員で14名だったと思う。ハーロー、イートン、ラグビー、ウィンチェスター、シュルーズベリーの代表者である。私達はホールの後の午後四時に私の部屋に集った。長い会合が予期され、私は机を片付けペンとインク、紙を用意した。何人かは入ってくると、試験は受かったのかどうか私に尋ねた! 皆がそれぞれの出身校のルールの写しを持参するか暗記してきていて、新ルールを作る我々の歩みはゆっくりであった。投票が同数であった時に、公平な立場のSaltと私は幾度もルールを採用あるいは不採用とした。我々は午前零時の5分前に解散した。この新ルールは「ケンブリッジ・ルールズ」として印刷され、写しは配布されたりパーカーズ・ピースに掲示されたりし、非常に満足のいく働きをした。これらのルールは忠実に守られ、このルールを好まないからといってプレーをやめてしまったパブリックスクール出身の生徒については耳にしたことがない。[...] さて、この後、他の者がこれらのルールを採用し、ケンブリッジではまだ有効であったが、わずかな修正を加えてアソシエーション・ルールズとなった。フェアキャッチとフリーキック(ハーロー校ではまたプレーされている)は廃止された。オフサイドルールはよりゆるやかになった。「ハンド」はより厳しくなった; これは賢明に修正されたばかりである。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/ケンブリッジ・ルール


Football Associationへ
●他にも「Sheffield Rules」も有力だったが、1863年にロンドンを中心とする私立学校やフットボールクラブがFootball Associationを創設し、正式にルールを定めたとき、主にケンブリッジ大学の「Cambridge Rules」がベースとなった。
●尚、これがフットボールとラグビーの分かれ目となった。ラグビー校出身の人は、どうしても手でボールを運びたいという拘りを捨てることができなかったので、別のルールと別のスポーツを作ることになった。
●因みに、「rugby=ラグビー」を「rugger=ラガー」という愛称にするのは、非常に私立学校学校らしい呼び方だが、「サッカー=soccer」という表現も、同じように英国の私立学校でAssociationの省略形「Assoc.」から生まれた。
●私立学校でのルーツは、FAカップの歴史を遡ればはっきりしている。


FAカップ、歴代優勝と準優勝チーム
1872年 Wanderers(ワンダラーズ) 1-0 oyal Engineers(王立戦闘工兵隊)

1873年 Wanderers 2-0 Oxford University(オックスフォード大学)

1874年 Oxford University 2-0 Royal Engineers

1875年(再試合) Royal Engineers 2-0 Old Etonians(イートン校OB)

1876年(再試合)Wanderers 3-0 Old Etonians

1877年 Wanderers 2-1 Oxford University

1878年 Wanderers 3-1 Royal Engineers

1879年 Old Etonians 1-0 Clapham Rovers(クラップハム・ローヴァーズ)

1880年 Clapham Rovers 1-0 Oxford University

1881年 Old Carthusians(チャーターハウス・スクールOB 3-0 Old Etonians

1882年 Old Etonians 1-0 Blackburn Rovers(ブラックバーン・ローヴァーズ)

1883年 Blackburn Olympic(ブラックバーン・オリンピック)2-1 Old Etonians

●ワンダラーズとクラップハム・ローヴァーズはエリート私立学校出身の選手が中心となるチームだった。
●王立戦闘工兵隊はかなりステータスの高く、学歴が良くないと入れない工兵隊だった。
●1881年まで、最初の10大会では決勝戦に勝ち進んだのはOBチームや大学チーム、私立学校出身チームだけだった。
●その流れを変えたのはBlackburnの2クラブ。どちらも地方クラブで労働者のチームだった。
●1850年代の工場法を受け、労働者が娯楽を楽しむ時間をもう少し与えられるようになり、FA創設語、1870年代から地方の労働者でフットボールが広まるようになった。
●そして、私立学校出身の人にとってはスポーツはあくまでもアマチュアのものだったのに対し、労働者にとっては客も集まるし、工場で働くよりも良い「仕事」になりそうだった。
●1885年にプロ化が認められ、その後、私立学校出身のチームがFAカップの決勝戦に出場することが全くなくなった。

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