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味の素スタジアム
11月26日に東京調布市の味の素スタジアムで行われたJ1昇格プレーオフ準決勝の東京ヴェルディ対ジェフ・ユナイテッド千葉戦では、試合前から記者席(関係者席)周辺でしきりに挨拶が飛び交っていた。
そこに“久しぶりの顔”を見つけたからだ。
対戦する両チーム出身者はもとより、直接は両クラブに関係のないはずの人も含めてサッカー関係者が数多く詰めかけていた。プレス関係者でも、初期の頃からJリーグを取材していた懐かしい顔ぶれがそろった。もちろん、現役の新聞記者や両チームの“番記者”と呼ばれる若い取材者も来ている。
こうして、スタジアムの記者席周辺は大変な賑わいとなったのである。
昇格プレーオフが東京ヴェルディとジェフ千葉という、いわゆる「オリジナル10」と呼ばれるJリーグの創設メンバー同士の戦いとなったからだ。
東京Vの前身は1969年に創設された読売サッカークラブである。
将来のプロ化を標榜し、選手は契約に基づいてプレーしていた。その金額はともかく、彼らはサッカーをプレーすることによって収入を得るプロだった。
そして、ブラジル人選手を加入させ、個人技を前面に押し出して中央突破にトライし続けるサッカーで人々を魅了した。当時の日本サッカー界をリードしていた古河電工や三菱重工、日立製作所といった実業団チームとはまったく違う自由奔放なプレースタイルが魅力的だった。
1980年代に入ると読売クラブは押しも押されもせぬ日本のトップチームとなり、日本サッカーリーグ(JSL)や天皇杯全日本選手権では企業のチームでありながらプロ化を目指していた日産自動車と常に覇権を争っていた。
1993年5月15日にJリーグ始まった時、開幕戦がそれぞれ読売クラブと日産自動車を母体としたヴェルディ川崎現、東京V)と横浜マリノス(現、横浜F・マリノス)の顔合わせとなったのは自然の成り行きだった(開幕戦として土曜日にはこの1試合だけが東京・国立競技場で行われ、他の4カードは翌日の日曜日に開催された)。
一方、ジェフ・ユナイテッド市原の母体は実業団の雄、古河電工サッカー部だった。
日本のサッカー界は1920年代から大学チームが中心となって強化されてきた。1936年のベルリン・オリンピックで強豪スウェーデンを倒した日本代表も早稲田大学を中心としたチームだった。選手たちは大学卒業後に実業団チームでプレーしていても、全日本選手権には大学の0Bとして大学チームでプレーするのが一般的だったから、全日本選手権の覇権は現役学生と0B混成の大学チームが握り続けていた。
そんな中で、実業団チームとして初めて1960年度の天皇杯全日本選手権で優勝したのが古河電工だった。実業団の時代の皮切りとなったのが古河電工であり、プロ時代の先鞭をつけたのが読売クラブだったというわけだ。
つまり、単なる「オリジナル10」ではなく、日本のサッカー史に大きな足跡を残した伝統のあるチーム同士が10数年ぶりのJ1リーグ昇格を目指して戦ったのが東京V対ジェフ千葉の試合だったのであり、だからこそ多くの関係者が集まったのだ。
まあ、ほとんどはJリーグ開幕当時を懐かしがっていた世代なので、読売クラブや古河電工にまで思いを馳せた人はそれほどいなかっただろうが、読売クラブ世代の人は実業団の古河に対しては強い対抗意識を持っていたはずだ。
大会レギュレーションによって引き分けの場合はリーグ戦上位の東京Vが決勝進出となるので、「勝利が必要な」千葉が立ち上がりから攻撃を仕掛けていったのは当然の選択だった。千葉が猛攻を仕掛け、東京Vが耐えた。
昨シーズンの途中で就任した城福浩監督は東京Vの選手たちに球際での高い守備意識をたたき込んできた。激しい守備でボールを奪ったら、すぐに攻撃を仕掛けていく……。それが、城福監督のヴェルディだ。こうして、東京Vは千葉の猛攻を耐えきって、そして、25分過ぎに反撃に移っていく。
守備から攻撃への切り替えも今の東京Vの持ち味の一つ。森田晃樹のドリブルの仕掛けからゴール前に混戦を作り、そこから中原輝が決めて東京Vが先制。前半終了間際にも左からのクロスを森田が頭で合わせて2点差とし、後半の千葉の攻撃をうまくかわして勝利をつかみ取った。城福監督は、どちらの場面でも複数の選手がゴール前のプレーに関わっていたことを評価した。
Jリーグ初期の頃の華麗なヴェルディの華麗なサッカーとはかなり違ったスタイルだが、ボールへの執着心や激しさの部分に当時のヴェルディにも通じるところを見出だすこともできる。
そんな現在のヴェルディだったが、1ゴール1アシストと活躍した森田はヴェルディの育成組織から育った生え抜きの選手であり、かつてのヴェルディを思わせるテクニックの持ち主だ。
ヴェルディらしさを残す森田の活躍で勝利をつかんだことの意味は大きい。
ヴェルディのトップチームは2009年にJ2リーグに降格して以来、J1復帰を果たしていないが、その後も読売サッカークラブ時代以来の育成の伝統は維持されており、数多くの名選手を輩出し続けている。
かつて森保ジャパンの初期に日本代表として活躍し、今は浦和レッズに在籍する中島翔哉や鹿島アントラーズの不動の左サイドバック安西幸輝、横浜F・マリノスのDF畠中槙之輔や同じくMFの渡辺皓太、横浜からシントトロイデンに渡った藤田譲瑠チマなど数多くの選手たちがヴェルディの育成組織から育ってきている。
さて、昇格プレーオフ決勝で東京Vと対戦するのは、もう一つの「オリジナル10」清水エスパルスである。
こちらは、Jリーグ創設期を思い出させる懐かしい顔合わせとなる。Jリーグ開幕を前年(1992年)に開かれたヤマザキナビスコカップの決勝戦がこのカードだった。その後も、1996年までにでは両チームは4度もヤマザキナビスコカップ決勝で顔を合わせている。
そして、いずれも舞台は東京・国立競技場だった。
当時はサッカーに使用できるスタジアムで5万人以上を収容できるのは国立だけだった。国立はどこのチームのホームでもない中立地だったが、集客が見込めるヴェルディ戦は国立で開催されることが多かったし、JSL時代には読売クラブが国立を使っていたから、国立はヴェルディ川崎の“準ホーム”だった。
決勝戦が毎回その国立で開催されるので、当時、清水の監督を務めていたエメルソン・レオンは「どうしていつも国立で試合をするんだ」と怒っていたことを思い出す。
国立での東京V対清水エスパルスの試合の関係者席でも、きっと懐かしい顔が数多く見られるに違いない。
文:後藤健生
後藤 健生
1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、「テレビでCLを見るよりも、大学リーグ生観戦」をモットーに観戦試合数は3700を超えた(もちろん、CL生観戦が第一希望だが!)。74年西ドイツ大会以来、ワールドカップはすべて現地観戦。2007年より関西大学客員教授
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