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サッカー フットサル コラム 2023年4月14日

日立台が赤く染まった日~ある実況者のホームゲーム~(再掲載)

土屋雅史コラム by 土屋 雅史
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2016年4月14日に熊本地震の前震が起きてから、今日で7年が経過した。当時、サッカー界からもロアッソ熊本を中心に、被災した方々へいろいろな形での支援が行われ、サッカーファミリーが熊本の方々に寄り添い、ともに生きていく姿勢を明確に現わしたことは、まだ記憶の中にはっきりと残っている。個人的にも何か自分にできることはないかと考えていたタイミングで、ロアッソが1か月半ぶりに日立台でホームゲームを開催した際、試合中継の実況を担当した熊本放送(当時)・山崎雄樹アナウンサーの試合に向かう心情のお話を伺い、記事にさせていただいた。2016年5月24日に掲載した同記事を再掲載することで、熊本地震で亡くなられた方々へ哀悼の意を表すとともに、改めて多くの方が熊本地震に想いを馳せる一助になれば幸いだ。(土屋雅史)

細かく作る方だと自分でも思っている資料はいつも通り。ルーティンにしている車内での発声練習もいつも通り。ただ、ハンドルを握るのは自家用車ではなくレンタカー。自宅からスタジアムへ向かう緑豊かな景色も、この日は大きなビル群が左右に流れていく景色に変わっている。ロアッソ熊本へ1ヶ月半ぶりに帰ってきたホームゲーム。その大事な一戦の実況を託された山崎雄樹は、通い慣れたうまかな・よかなスタジアムではなく、日立柏サッカー場へと車を走らせていた。

今シーズンは迷いながらのスタートだった。ロアッソ熊本がJ2へと昇格してから今シーズンで9シーズン目。中継を担当している熊本放送でアナウンサーを務める山崎は、その9シーズンに及ぶ期間の中で、2試合を除いたすべてのホームゲームの実況を任されている。その2試合も1つは後進に経験を積ませるためであり、もう1つは同じ時間のラジオ中継を担当したため。今シーズンは開幕直前にインフルエンザに罹ってしまったが、3日連続で点滴を打ち続け、何とか実況席で開幕戦を迎えることができた。

ただ、山崎の心は晴れない。「9年やってマンネリじゃないですけど、目の前で起こることが想定内というか、『ここでこんなプレーをしたからこうなるでしょ』とか、『これをしたからこうなったよね』となってきて。そうすると『自分がこんな状態だったら見ている人や聞いている人はもっと飽きているんじゃないか』というのもあって、正直今シーズンに関して僕は迷いがあったんです」。自分の迷いとは裏腹に、チームは開幕から快進撃を続ける。「逆にチームが好成績だったから、それに乗せられたというような今シーズンの出足でした」と当時を振り返る山崎。なかなかモヤモヤとした想いを振り切れない中で、4月14日の21時26分がやってくる。

学生時代に腕を磨き、40代に差し掛かったのを機に再び本腰を入れ始めた卓球の道場で、“1回目”の揺れを経験する。「卓球のユニフォームのままで会社に行ったら大変なことになっていて、『誰か益城町に中継に行ける?』と言われたので『僕が行きます』と。会社に置いてあるスーツに着替えて、ヘルメットをかぶって益城町に入りました」。当初は比較的被害の少ない地域を通って益城町に入ったため、そこまで事態を把握できていなかったが、ひっきりなしに鳴り響く救急車や消防車のサイレン、それに夥しい数で上空を埋めるヘリコプターを見て事の重大さを思い知る。

結局、その日の夜から翌日の夕方まで、ほぼ24時間体制で中継を続け、いったん自宅に戻る。「その次の日は3時半に出社して5時に避難所から中継というスケジュールが決まっていたので、自宅に帰って夜の12時ぐらいに2時間ぐらい寝られるかと思ってソファーで寝たんです」。

ウトウトして1時間半後。「遠くのキッチンの食器棚が開いて、食器同士がぶつかるバリバリという音が聞こえてきて」目が覚める。“2回目”の揺れは“1回目”と比較にならなかった。電気も水道も止まっている中、スマホの光で必要最低限のものだけをかき集めて会社へ向かう。放送を送出するマスターがダウンしたため、自局での放送は断念したものの、東京に向けて直接現地の状況を送り届ける。「正直、ロアッソのことは頭になかったですね」と山崎。三重で生まれ育った彼にとって、第二の故郷とも言うべき熊本は未曽有の事態に陥っていた。

“2回目”の揺れから3日後。ロアッソのクラブ広報から連絡が入る。聞けば阿蘇熊本空港に程近いホテルのテニスコートで、選手たちがサッカー教室を開くという。「放送局に勤めている人間として、ロアッソを取材している人間として、他局や他系列にロアッソの最初の復興支援活動を独占で放送されてしまう訳にはいかんというのは正直ありましたね」と山崎は少し声のトーンを上げる。

そのホテルの駐車場で車中泊していた畑実と森川泰臣からは、厳しい現実を知らされた。「選手たちからも『テレビ見てましたよ。大変だったでしょ』と言われたり、清武(功暉)は『クラブハウスで寝ています。監督と一緒に寝ました』とか、そんな感じでしたね」。その時に決意した。「僕は実況アナウンサーでもありますけど、一放送局のアナウンサーなので、ゲームの実況だけではなくて、取材して伝えるというのも仕事としてあるんです。だから、彼らがいかに熊本のことを想って、熊本のために行動しているかと、なおかつ練習もしているという姿を番組を通して伝えようと思っていました」。

迷いは消えた。いや、正確に言えば迷っている余裕すらなかったのかもしれない。「今の彼らの姿を見て凄く誇りに思ったので、彼らと一緒に自分もできることは最大限やろうと。地震対応と熊本県内でも他のスポーツのチームも色々な復興支援活動をやっているので、それも取材しています。放送局に務めるアナウンサーとして、異常な仕事量で仕事はしていますね」。一心不乱に取材を繰り返し、テレビを通じてその光景を視聴者へ伝え続けた。

リーグ戦の再開は5月15日にアウェイで行われる千葉戦に決まる。山崎はすぐに信頼のおけるスカパー!のスタッフに電話を入れた。「自分がやりたいというよりも、僕はロアッソの選手の姿を見ているから、それは僕しか伝えられないことだと思ったので、『15日のピッチレポーターをやらせて下さい』と言いました」。快諾が得られ、日々の取材と並行して約1ヶ月後の中継に向けての準備も進めていく。ところが、実際にその日が近付くにつれて、山崎の想像とは異なっていたことがあった。

「その時は1ヶ月先だから熊本の環境もロアッソももっと落ち着いていると思ったんです。だから、勢いというか『熊本の復帰ゲームは自分が喋らないかんやろ』みたいな感じでしたけど、今も全然落ち着いていないですからね。ようやく先週に避難者数が1万人を割り込んだというぐらいなので、まだまだ熊本は震災の影響に苦しんでいます」。依然として復興への道も先行きが不透明な中で、ロアッソがJリーグの舞台に帰ってくる日は訪れる。

「その時その時の状況によって感情が揺り動かされることの繰り返しで、打ち合わせをしている時とか資料を準備している時は、普段の中継とはそこまで変わらずに作業をしているんですけど、実際にサポーターと話をしたり、選手の姿を見るとこみ上げてくるものはありましたよね」と千葉戦を振り返る山崎には忘れられない光景がある。

「1点目を取られて、ちょうどベンチの隣に巻と清武が水を飲みに来たんですけど、巻が膝に手を突いていて、『あの巻がこんなになるんだ』と。でも、隣に来た清武の腰を巻が左手でポンポンと叩いて、言葉は聞こえなかったですけど『キツいけど頑張ろうぜ』というような雰囲気があって、叩かれた清武もピッチに向かって『やろうぜ、やろうぜ』というような感じで、巻もすぐに両腕を上げてピッチに戻っていって。あのシーンというのはまさに使命を帯びた男の姿ですよね。『キツいけど、どうなるかわからないけど、やろうぜ』というのが伝わってきて、あのシーンが一番感動しました」。

避難所を回る巻やクラブハウスで寝泊まりする清武をその眼で見てきたからこそ、その一連に感情の増幅を抑えられなかった。山崎による巻のインタビューで中継は締め括られる。翌週の日曜日。ロアッソにとって1ヶ月半ぶりのホームゲームは、彼にとっても1ヶ月半ぶりに実況席へ座る日でもあった。

「今日は藏川とロメロ・フランクがJ2で150試合出場とか、薗田淳が2014年10月の富山戦以来久々の出場とか、そういうことも普段の中継として大事なことなので、プロフィールや経歴はちゃんと整理して、車の中で発声練習して、選手名を言いながら来るというのも変わらなかったです」。宿泊していた上野からレンタカーを走らせ、日立柏サッカー場へ向かう。慣れない道に想定より5分ほど遅れて到着したものの、そもそも集合の1時間前入りを目指していたため、何の問題もない。いつも通りの準備を進め、いつも通りの時間が過ぎていく。

山崎にとって心強かったのは、控室に旧知のスカパー!スタッフが待っていてくれたことと、解説が水沼貴史だったことだ。百戦錬磨の彼なら安心して任せる所は任せられる。水沼も当然この試合の意味は十分過ぎる程わかっている。「俺は試合前にスタッフの打ち合わせで『見どころをお願いします』と言われて、『今日は実況がメインなので邪魔しないようにやります』って言ったの(笑) 彼の想いというのは熊本の人にしかわからないかもしれないし、俺たちはニュースでしか知らないので、それこそ彼が伝えたいという想いの邪魔をしないようにしながら、俺は試合のシビアな部分の話をしていって、あとはフォローする時はフォローするというようなスタンスでいたかな。ゲーム前に知っている顔の選手やコーチにたくさん話を聞いて、知らないことを少しでも自分の中で吸収してから話をしようとは思っていました」と明かした水沼。山崎も不思議と落ち着いていた。

「この一戦に対する気負いというのはなかったです。そこはずっと熊本を実況しているという所で、J2をずっと喋っていますし、水戸対熊本もだいぶ喋っているので選手のこともわかりますし、プレー追いに関してはむしろ“うまスタの7階”の放送席よりも見やすいですからね(笑)変な気負いはなかったです」。水前寺清子が熱唱した『三百六十五歩のマーチ』や、益城町出身の上村周平がユニフォームのエンブレムを掴むシーンに心を揺さぶられながら、きっちり2時間半の中継を話し切った。

「やっぱりこの臨場感の中で喋っているので、もしかしたら声のトーンもちょっと高かったかもしれないですし、ちょっとノイジーだったかなという感じはします」と反省もあるが、とにかく最高の雰囲気に包まれたスタジアムの空気を伝えることはできたのかなと思えた。「サッカーのようなスポーツには、純粋に戦えるものの中に色々な想いが入っているんだなというか、色々なものを託せるものなんだとは思いましたね。そこに色々な想いを託している人がいて、元気をもらいたいとか、逆にこちらから選手に元気を与えたいとか、そういう人たちもいらっしゃいますし、それを言葉ではなくて映像で伝える人も中継スタッフの中にいますし、色々な人たちがいて、サッカーの良さやスポーツの素晴らしさを現場で体験できたのは、これからどういう風に生かされて行くかわからないですけど、より伝える側の意味というのを再確認させられたなというのはあります」と水沼も想いを新たにした一戦。山崎も「サッカーファミリーって凄いなと思いました。今日も中継の前にスタッフが今日のゲームが起こる前にどういうことが起こっていたかというのを情報としてたくさん教えてくれて。僕にとってのサッカーファミリーは中継を通してのものなので、『ありがたいな』と思いましたし、教えていただいたことは何としても伝えたいですし、伝えなくてはいけないことだなと思ったので話をしました」とスタッフへの感謝を口にする。ロアッソにとって、そして山崎にとって1ヶ月半ぶりのホームゲームは、Jリーグ史上の中でも稀に見る温かい雰囲気の中で終演となった。

実は千葉戦を終えた後、山崎はあるグループにLINEでメッセージを送っている。そのグループとは熊本の中継スタッフ。千葉戦と水戸戦に関わってくれたスタッフへの感謝はもちろん十分に感じているが、『先に復帰してすみません。早くみんなでワーワー言いながら中継したいです』というメッセージを送信した。「そうしたら、みんなも『早く中継したい』『私もです』と。だから、いつもの解説の方と、いつものフロアディレクターさんと、いつものリポーターと、いつものカメラマンと、いつもの音声さんと、いつものアシスタントと、いつもの場所でワーワー言って、熊本の人たちがゴール裏にいてというのが、やっぱり自分が帰る場所だし、熊本の人たちにとって『Jリーグに戻ってきたんだ』ということだと思いますね」と山崎は言葉を紡いだ。

照明はとっくに消えている。誰もいなくなった日立台の記者席で長い時間に渡って話してくれた山崎へ最後に聞いてみた。「こういうことがあって、改めて『ロアッソの実況をできるのは俺しかいない』と思いますか?」と。少し考えて、山崎はこう言った。「『俺しかいないよ』とはあまり思わないですけど、残り定年退職まであと20年という中で、この地域のクラブが熊本の人たちと一緒に力を届けたり、届けられたり、パワーを交換しながら、どうやって復興していくのかという姿を伝えていくのが、たぶん今後20年のアナウンサーとしての仕事だと思っています。地震があったから良かったなんて決して思わないですけど、自分には10年分と地震があった後も取材をさせてもらっている蓄積がありますからね。僕がアナウンサーとして心掛けているのは『料理があったらお皿になりましょう』『絵があったら額縁になりましょう』『お酒があったらグラスになりましょう』『花があったら花瓶になりましょう』と。別に僕の顔とか名前とかはどうでも良くて、その起こっていることをちゃんと伝えるということなんですよ。そうすれば見ている人や聞いている人にとって『自分も頑張ろう』という力になるかもしれないので、だから僕はスポーツアナウンサーをやっているんです。大きくて重たい荷物を背負ったなと思いますけど、そういう仕事を今後もちゃんとやっていこうと思っています」。

熊本の地にロアッソのホームゲームが帰って来ることを、全国のサッカーファミリーが待っている。どんどん自分だけの“ホーム”を増やし、どんどん全国各地に友人を増やしていく山崎をうらやましく思っているであろう、熊本の中継スタッフたちもその日が来ることを待っている。そして、自分のあずかり知らない所で勝手に他のスタジアムと比較され、きっと少し機嫌を損ねているに違いない“うまスタの7階”が、山崎の帰ってくる日を誰よりも待ち侘びているに違いない。

文:土屋雅史

土屋 雅史

土屋 雅史

1979年生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。早稲田大学法学部を卒業後、2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社し、「Foot!」ディレクターやJリーグ中継プロデューサーを歴任。2021年からフリーランスとして活動中。

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