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サッカー フットサル コラム 2023年3月4日

なんとか中国に逆転勝利したU-20日本代表 アジア相手の典型的な負けパターンだった

後藤健生コラム by 後藤 健生
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AFC U-20アジアカップが中央アジアのウズベキスタンで開幕。大会3日目の3月3日に登場したU-20日本代表は、U-20中国代表に先制ゴールを奪われて苦戦したものの、途中交代で入った熊田直紀(FC東京)が66分と70分に連続ゴールを決めて逆転。辛うじて「白星発進」に成功した。

キックオフ直後はアバウトなボールを入れて攻め上がってくる中国のスピードの前に受け身になってしまった日本。6分には左CKからニアで合わせた劉浩帆の鋭いヘディングシュートがDFの田中隼人(柏レイソル)の頭をかすめてゴールに突き刺さった(記録は田中のオウンゴール)。

日本人より筋肉量が多く、パワーのある中国や韓国との試合では試合開始直後に押し込まれることがある。そして、高さで劣る日本がセットプレーから失点……。アジアを相手の試合の典型のような立ち上がりだった。

その後は、日本がテクニックを生かして攻撃を続ける展開になり、何度も決定機を迎えるが、5-4-1で分厚い守備網を敷いた中国の守備陣にシュートをブロックされ、また、GKの李昊の好セーブもあって、日本は得点できないまま、後半も時間が過ぎていった。

このあたりも、あまりにも典型的な“アジアの戦い”。これまで、何度も日本が涙をのんだ負けパターンだった。

すると、富樫剛一監督は56分にサイドハーフの佐野航大(ファジアーノ岡山)とともに高さのある熊田を投入。66分には左サイドで粘った佐野がふたりと上げたクロスを熊田がヘディングで決めた。フワッとしたボールにタイミングを合わせた熊田に中国のDFは誰も競ることができなかった。

さらに、70分、佐野のクロスに合わせてジャンピングボレーを試みた熊田だったが、相手DFに絡まれて失敗。しかし、すぐに起き直った熊田はそのボールをコントロールしてターン。冷静にゴール中央に決めた。起き上がってすぐにシュートしていたらDFかGKにブロックされたことだろうが、そこで落ち着いてボールを動かしてからシュートしたあたりの落ち着きは素晴らしかった。

いずれにしても、苦戦を強いられたU-20日本代表。「アジアの戦い」の怖さを痛感したことだろう。その経験を、このチームでの今後の戦い、そして将来のオリンピック予選やフル代表での戦いに生かしていってほしい。

4年半前の2018年に開催された前回大会までは「AFC U-19選手権」として行われていたこの大会はFIFA主催のU-20ワールドカップの予選を兼ねる大会である。前回までは、世界大会の前年の偶数年に開催されていたが、今大会から世界大会と同じ奇数年に開催されることとなり、また「アジアカップ」の大会名を使用することとなった。

1959年に始まった「アジアユース選手権」時代から半世紀以上、今大会で41回目という長い長い歴史を誇る大会である。FIFA主催のU-20ワールドカップ(かつてのワールドユース選手権)が始まったのが1977年(チュニジア開催。2回目の1979年大会が日本開催)のことだから、アジアの大会がいかに歴史のあるものかが分かる。

日本は第1回大会から出場しているが、優勝は前々回2016年バーレーン大会が唯一。東アジアのライバルである韓国が13回の優勝回数を誇っているのに対して、日本の優勝は1度しかないのだ。

初期の大会には20歳以下という大会であるにもかかわらず、日本は高校選抜チームを派遣していたという事情はあるが、Jリーグが発足して、代表チームがワールドカップに連続出場する時代になってからもずっと優勝できないでいたのだ。

1999年には、小野伸二や稲本潤一、高原直泰らを擁するU-20日本代表(フィリップ・トルシエ監督)がワールドユース選手権ナイジェリア大会で準優勝するという快挙を成し遂げたが、この時もアジアの大会(1998年タイ大会)では決勝で韓国に敗れている。

いずれにしても、日本のサッカーがプロ化されるずっと前から、アジアユース大会は日本のサッカー界にとって非常に重要な大会だった。なにしろ、当時は代表チーム以外のチームが国際試合を経験する場がほとんどなかった。そんな時代に高校選抜やU-20代表の若い選手たちが、アジア各国の若手と真剣勝負をするこの大会は日本の若手育成のために非常に重要な役割を果たしていたのだ(初期の頃は、日本にとって、韓国などはもちろん、東南アジアのチームも格上的存在だった)。

そして、各年代の日本代表チームがさまざまな国際大会に出場し、フル代表はワールドカップに7大会連続で出場して、うち4度ラウンド16進出を果たす時代になっても、U-20アジアカップの重要性は変わらない。

なぜなら、日本の選手にとってヨーロッパや南米の強豪国の代表と真剣勝負をするには、FIFA主催の各年代のワールドカップに出場する以外にないからだ。

今年の大会でもU-20ワールドカップへの出場権獲得こそが最大の目標となる(2度目の優勝はもちろん狙いたいが、それはボーナスのようなものだ)。

世界大会出場は、いつも以上に重要なのだ。

というのは、現在のU-20世代の選手たちは、新型コロナウイルス感染症の拡大のため、本来なら出場するはずだった2021年のU-17ワールドカップが中止となってしまっているからだ。

日本の選手たちは、アジア予選で苦しい戦を経験し、そして、U-17やU-20のワールドカップやU-23代表が出場するオリンピックで世界の同年代の選手と戦うことで大きく成長できるのだ。

だから、U-17ワールドカップを経験できなかっただけに、U-20ワールドカップはぜひとも経験しておく必要がある。

ただ、中国戦でも経験したように、ワールドカップ出場権獲得は容易いことではない。実際、最近になっても日本が出場権を逃がしたことが何度もあるのだ。

基本的にはアジアの大会でベスト4以上になれば世界大会出場権が与えられるのだが、ベスト4に入るには一発勝負で行われる準々決勝で勝利する必要があるからだ。

現在の日本の実力をもってすれば、総当たりリーグ戦形式の大会なら、アジアのベスト4に入ることはそれほど難しいことではない。1つの試合で不覚を取っても、リーグ戦なら取り返すことができるからだ。

実際、カタール・ワールドカップを目指すアジア最終予選での初戦で、森保一監督率いる日本代表はホームでオマーン相手に不覚を取った。長距離移動を経て帰国したばかりのヨーロッパ組の選手たちのコンディションが上がっていなかったのが原因だった。だが、ワールドカップ予選はホーム&アウェー総当たり形式だったから、その後、復調した日本はオーストラリアに連勝するなどして危なげなく予選を突破した。

だが、年代別のアジア選手権でベスト4に入るには、一発勝負の準々決勝に勝たなければいけないのだ。

一発勝負だと、何が起こるかわからない。たとえば、2014年にミャンマーで行われたU-19アジア選手権で日本は北朝鮮と対戦した。グループリーグで韓国に勝利して万全の状態で臨んだ日本だったは試合を完全にコントロールしてはいたが、北朝鮮のGKの大活躍もあって1対1の引き分けに持ち込まれ、そしてPK戦で敗れてしまったのだ(ちなみに、最後にキックをミスしたのはエースと目されていた南野拓実だった)。

今大会も、準々決勝ではグループCの韓国と当たる可能性がある。いつも煮え湯を飲まされていた相手であり、2019年にはU-20ワールドカップのラウンド16で敗れた相手でもある。その日韓戦を避けるためには、キルギス、サウジアラビアも連破して首位通過を果たしたいものだ。

文:後藤健生

後藤 健生

後藤 健生

1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、「テレビでCLを見るよりも、大学リーグ生観戦」をモットーに観戦試合数は3700を超えた(もちろん、CL生観戦が第一希望だが!)。74年西ドイツ大会以来、ワールドカップはすべて現地観戦。2007年より関西大学客員教授

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