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サッカー フットサル コラム 2020年7月10日

亘崇詞さんのアミーゴを訪ねて

土屋雅史コラム by 土屋 雅史
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特に出会ったばかりの頃。「この人、何者なんだろう?」と思ったことは、正直に話さなければならない。

「アルゼンチンに詳しくて、面白い人がいる」と、弊社のJリーグ担当に紹介されて亘さんに初めて会ったのは2004年。もう16年も前のことになる。まだ日本に帰ってきたばかりだったからなのかは定かではないが、少なくとも当時の日本ではそれほど流行っていなかった、相当太めのスラックスを履いていたことは強く印象に残っている。

2004年前後は、J SPORTSのサッカーコンテンツが南米に舵を切り始めていた頃であり、ワールドカップ南米予選やコパ・アメリカはもちろん、コパ・リベルタドーレスやブラジル全国選手権、アルゼンチンリーグなど、少し大げさに言えば、あるいは南米の各国以上に、南米サッカーを充実して視聴できる環境にあったのではないだろうか。

その年のコパ・リベルタドーレス準決勝はボカ・ジュニオルスとリーベル・プレートのアルゼンチン対決。ボカ出身の亘さんはどうしても生で見たいということで、現地からの映像を受ける“回線センター”で、朝の8時過ぎからセカンドレグを一緒に見ることになった。

試合は白熱。最後はPK戦にもつれ込み、ボカが勝利を収めたのだが、試合中を振り返ると、控えめに表現してもうるさかった。もちろん亘さんが。しかも、スペイン語も交じえながら大声を張り上げるので、普段は非常に静かな回線センターで働いているスタッフの白い眼が、謎のスペイン風日本人を連れてきた私へ集中していたのは言うまでもない。

別に「嫌だなあ」という感覚は持たなかった。むしろ、これだけ熱くなれるクラブがあることには、一種のうらやましさも感じていた。だが、率直に言って「この人、何者なんだろう?」という想いを、その頃の自分が抱いていたことも否定できない。

わざわざ私が言うまでもないが、“謎のスペイン風日本人”は只者ではなかった。フアン・ロマン・リケルメ。マルティン・パレルモ。パブロ・アイマール。セルヒオ・アグエロ。とんでもないネットワークを駆使して、普通の日本メディアが接触すらできないような大物アルゼンチン人選手たちインタビューを、次々と成功させていった。

2006年には突然ペルーの名門スポルティング・クリスタルというクラブで、プロサッカー選手になってしまった。そして、そのクラブの50周年記念事業で、永遠のアイドルと言っていいディエゴ・マラドーナと同じチームでプレーするという夢も叶えてしまった。亘さんはいつも我々の遥か斜め上を見据え、遥か斜め上の“海”を心地良さそうに泳いでいた。

今回のセレクションでは4つのロケをご紹介している。1つはボカの日本遠征で、選手たちが新幹線に乗ったり、秋葉原で買い物したりしているロケ。1つはリケルメを訪ねてビジャレアルへ赴いたロケ。1つはマラドーナ伝説の5人抜きを、アステカスタジアムで再現してしまったロケ。最後は北京五輪で優勝したアルゼンチン代表の宿舎に潜入しつつ、ペレの“日本語”を引き出してしまったロケ。この4つを取り揃えた。

あるいは見ている方々も麻痺してしまっているかもしれないが、改めて考えても亘さんの “アミーゴ”ネットワークはとんでもない。だが、スペイン語ができるだけで、アルゼンチンでサッカーをしていたことがあるだけで、あんなネットワークが築けるはずがない。それはひとえに亘さんの誰からも愛されてしまう、キャラクターの為せる業だということを忘れてはいけない。

2006年。番組ディレクターの石神画伯はペルーに飛んだ。亘さんロケのほとんどは石神画伯が同行、撮影したものであり、前述したように突然プロサッカー選手になってしまった“亘選手”を視聴者へ紹介すべく、ペルーに飛んだものの、現地で体調を崩してしまったという。

その時。慣れない手つきで亘さんはおかゆを作ってくれたそうだ。日本の知り合いに電話で作り方を聞きながら、一生懸命おかゆを作ってくれたそうだ。画伯は帰国後、「自分が女の子だったら好きになってたな」と笑いながら回想していたが、私はこのエピソードに亘さんがあれだけのネットワークを築いてきた理由が、大いに詰まっていると思っている。

実は『Foot!』ではアレだけ南米ロケを敢行してきたのに、私は一度も行ったことがない。特にアルゼンチンは亘さんからいろいろな話を聞いてきただけに、自分の中で非常に様々な想像が渦巻いており、是非この目でその想像の真偽を、直接確かめてみたいという想いは常に抱いてきた。

いつか亘さんと一緒にアルゼンチンへ行く日は来るだろうか。その野望を実現できるように、ちゃんと企画を考えておく必要もありそうだ。もし、もし本当にそんな日がやってきたら、もちろん石神画伯は真っ先に誘おうと、心の中で秘かに思っている。

文 土屋雅史(J SPORTS)

土屋 雅史

土屋 雅史

1979年生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。早稲田大学法学部を卒業後、2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社し、「Foot!」ディレクターやJリーグ中継プロデューサーを歴任。2021年からフリーランスとして活動中。

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