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サッカー フットサル コラム 2019年9月16日

内陸国パラグアイの思い出。ビーチサッカーW杯で日本は開幕戦に登場

後藤健生コラム by 後藤 健生
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11月から12月にかけてパラグアイで開催されるビーチサッカー・ワールドカップの組分け抽選が行われ、日本代表はグループAに入って開幕戦で地元のパラグアイ代表と対戦することが決まった。

開幕戦(開幕日11月21日に行われる4試合のうち、最後に行われるメインゲーム)ということで関心も集まり、地元チームとの試合は3000人収容と言われるスタジアムも多くの観客で埋まることだろう。

なにしろ、パラグアイでFIFA主催の世界大会が開かれるのはこれが初めてということで、地元の関心度も高いはずだ。

日本、パラグアイと同じグループに入ったのはアメリカとスイス。スイスは2009年のUAE大会で準優勝したことがあり、アメリカは世界選手権として開催されていた初期の頃に上位進出があるが、ブラジルやポルトガルなどのようなワールドカップで常に上位に食い込む国ではない。すなわっち、グループAはいわゆる「オープンなグループ」であり、どの国にも準々決勝進出の可能性があるのではないだろうか。

ところで、このビーチサッカー・ワールドカップ。「世界選手権」として1995年に始まった大会で、2005年からはFIFA傘下の「ワールドカップ」となり、かつては毎年開催だったが、2011年からは2年に1度の大会となっている。

初期の大会はすべてリオデジャネイロのコパカバーナ海岸など、ブラジルで開催されていたが、2008年からは各国で持ち回りの大会となった。開催地はフランスのマルセイユとかUAEのジュマイラビーチ、あるいはタヒチやバハマといった、いかにも「ビーチ」という言葉がぴったりの国ばかりだったが、今回はパラグアイという内陸国が開催地に選ばれた。「内陸国」つまり海のない国のことだ。

パラグアイは、先日のキリンチャレンジカップを含めて、これまで何度も日本代表と対戦しているし、2010年の南アフリカ・ワールドカップではラウンド16で対戦して120分間の“我慢比べ”の末にスコアレスドロー。PK戦でパラグアイの準々決勝進出が決まるという死闘も繰り広げている。また、1999年に日本代表が招待されて初めてコパ・アメリカに参加したのもパラグアイ大会だったし、さらにかつての国民的英雄的GKのチラベルトを覚えておられる方も多いだろう。

つまり、サッカーに関しては、日本人もある程度のパラグアイについて知識とイメージを持っていることだろう。しかし、パラグアイという国についてはあまり知られていないはずだ。第一、「内陸国なのにビーチサッカー?」という疑問もあるのではないだろうか。

そこで、今回は開催国パラグアイについておさらいをしておきたい。

というのも、僕はじつはこのパラグアイという国には、何度も行ったことがあり、親近感を持っているからだ。

最初にこの国を訪れたのは、1978年のアルゼンチン・ワールドカップが終わった直後。決勝戦を見て翌々日にブエノスアイレスから長距離バスに乗ってパラグアイの首都であり、今回のビーチサッカー・ワールドカップの開催地でもあるアスンシオンに向かったのだ。その後、1997年にあったアメリカ・ワールドカップ予選のパラグアイ対アルゼンチン戦とか、1999年のコパ・アメリカなど数年に1度はこの国を訪れていた時期もある。実は、訪問回数はブラジルより多いのだ。

今回の「ビーチ」という意味では、実際にこの内陸国にはビーチが存在する。それも、首都アスンシオンの中心街に、である。

というのは、このアスンシオン(人口約50万人)はパラグアイ川という川に面しているからだ。南米大陸の南部を流れる大河がパラナ川だ(最後は「ラプラタ川」と名前を変えて、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスとウルグアイの首都モンテビデオの間を流れて大西洋に注ぐ)。パラグアイ川は、そのパラナ川の支流なのだが、非常に広い川幅で、最初にブエノスアイレスからバスでパラグアイに行った時には、最後はバスがフェリーに乗せられてパラグアイ側に渡ったのを覚えている(現在は橋が完成している)。

そして、アスンシオン市街からパラグアイ川の方向に歩いていくと、すぐにパラグアイ川の河畔にたどり着くのだが、そこが広大なビーチになっているのだ。だから、僕にとってはパラグアイという国と、「ビーチ」という言葉は何の違和感もなく結びつくのだ。

歴史を辿れば、16世紀にペルーの旧インカ帝国領を支配したスペイン人たちは次第に内陸に勢力を広げ、パラナ川(ラプラタ川)の辺りまで進出してきた。そして、この地域で最初に大きな都市を作ったのがアスンシオンなのだ。その後、ラプラタ地域の中心はブエノスアイレスに移ったが、アスンシオンは古い町並みが残り、またその後の近代的な発展から取り残されたこともあって、ブエノスアイレスよりも、モンテビデオよりも緑の多い静かな街となっている。

その後、この国は南米大陸の地域大国であるブラジルとアルゼンチンに挟まれて苦労を重ねる。19世紀には、そのブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの3か国を相手に戦争となってしまい(三国同盟戦争)、パラグアイは広大な領土と人口の半数以上を失うという損失を被ったこともある。

つまり、パラグアイという国はワールドカップ予選でもコパ・アメリカでも、常にブラジル、アルゼンチン、パラグアイと戦っているが、政治的にも周囲の大国との関係で圧力にさらされてきた国なのだ。

現また、かつてはこの地に入植した日本人も多く、現在も多くの日系人が暮らしている(パラグアイでコパ・アメリカが開かれたときには、日系人の皆さんが「日本からのメディア向けに」と言って大福餅などを作って差し入れしてくれたこともあった)。

ビーチサッカーのワールドカップを機に、ご興味のある方はぜひ訪れてみていただきたい。

文:後藤健生

後藤 健生

後藤 健生

1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、「テレビでCLを見るよりも、大学リーグ生観戦」をモットーに観戦試合数は3700を超えた(もちろん、CL生観戦が第一希望だが!)。74年西ドイツ大会以来、ワールドカップはすべて現地観戦。2007年より関西大学客員教授

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